2018年6月30日土曜日

近況20180630

<<追記20180630
昨晩は色々考えてたけど思いつかなくてダラダラと時間が過ぎた。
俳句三句作ったのは覚えている。
疲れたと言えば疲れたので土日はゆっくりしたい。
今日の朝は短歌を二首作った。iMacに数学と経済の電子書籍をダウンロードした。
そのため当分やりたい事はある。時代のおかげかなとは思う。
それでも簡単に問題は解決しない。気長にやりたい。
それでも今日も雑務がある。色々対応していきたい。


不思議と可能性を求めて生きてきた。
それが何かしらの愛につながっている。
今もそれなりに真面目に生きて可能性を求めているのは愛だからだと思う。
なので私としては真面目に生きた結果である。
それが私なりの最短経路である。
今も色んな可能性を求めている。
それなのに仕事はそれと無縁である。
それが私が納得行かない現状である。
到底仕事のために生きている気はしない。
なので私は私なりに可能性を求めて今日に至る。
それでも生活費は必要なので仕事はしている。
だけど私のメインは可能性である。
それを忘れたら愛にならない。それが私の実感である。
可能性にならない仕事はどこか間違っていると思う。
なのに大概そんな事を忘れて仕事している。
結局それが遠回りの原因である。
必要なのは可能性である。なのに学歴も職歴もおいてけぼりである。
真面目に生きることを忘れている。
それは男も女も同じである。
いくら女が叫んでもそれで実現するわけでない。
いくら男が抵抗しても仕事は成立しない。
そこに可能性はゼロである。愛が欠如している。
それでは避けて通りたくなる。
それでも可能性を追求するしか愛は存在しない。
それなのに真面目に生きる人が少ないという現実が重くのしかかる。
それが私に何の関係があるのか私はわからない。
私に関係無い人が問題を起こしているだけである。
それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180630end

2018年6月29日金曜日

雑記20180629

<<追記20180629
今日も仕事した。
昨日は「永遠の0」という小説を読み終えた。
話としては良く作られている気はした。
戦争とはこういうものかと思った。
もっと人間を大切に使ったほうが良い。今もそれは言えると思った。
その他にも残った読書をしてサッカー見ないで寝た。
次はベルギー戦らしい。
なんかベルギーとは良く戦うなあというのが実感である。
福岡でベルギー人と話をしたのが思い出される。
今も英語は苦手だけどその時よりかは前進している。
教授も助手も英語を話していてそれはそれでカルチャーショックだった。
そのレベルまでようやくたどり着いたが
まだまだ単語は必要のように思う。
そんな経験が私を成長させた気はする。

まだまだやる事はあると思っている。
それでも一つ一つクリアしてきた。
山口の教授は簡単なドイツ語は話せると言ってた。
色々話しして感じてきたことを今も課題にしている。
私もよくここまでやってきたと思う。
障害者として少し残念ではあるが私なりに生きてきた。
正々堂々と生きていい気はする。

なんとなく健康でいれればいいかなあというのが第一感である。
それは仕事よりも優先順位が高い。
それが障害者の宿命のように思う。
不健康になるまで仕事する気はない。
それでも疲れるには疲れる。
それでも健康になってればいいわけである。
それが障害者のバロメーターである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180629end

2018年6月28日木曜日

雑記20180628

<<追記20180628
今日も仕事した。
今日も女の叫び声は最高潮である。
その割に日本語が通じない。
ストレスでしかない。
女の当たり前が理解出来ない。
女の許せないが理解出来ない。
アホやバカが叫んでいるぐらいしかない。
一体私にどうしろというのかわからない。
もっと風情のある事言えないのが私の文句である。

男も男で女も女である。
一体このいがみ合いが私に何の関係があるのか理解出来ない。
もっとまともな仕事を出来ないのかと文句たらたらである。
そんな事言っても私の環境は変わらない。
そんな事でほとんどあきらめている。
ひたすらにやる事やるだけである。
それだけの事が問題になっているだけである。

昨日は少し読書を減らした。
その分今日読もうと電車の中で数冊読んだ。
今夜はその残りを読む予定である。
それと小説も読みたいなあと思っている。残り百五十ページぐらいである。
明日ぐらいでなんとかしたい気もする。
それでもなんとかならんなら土日かなあと思っている。

おおむね女の問題以外は順調かなあと思う。

それでもなんか落ち着いた生活したいなあと思う。
風情を楽しむ余裕が欲しい。
それが毎日女のせいで台無しである。
多分愛が足らないせいだと思う。
愛があったらおしとやかになると思う。
バカとかアホにはわからないのだろうと思う。
愛のある人は見ているだけで聞いているだけでわかる。
それが私の本音である。

明日は明日でまた同じ事書いている気もする。
過去にもこんな事あった気もする。
それでもそれなりに現状報告である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180628end

2018年6月27日水曜日

雑記20180627

<<追記20180627
今日も仕事した。
このまま書き続けて良い事があるのかちょっと考えている。
小説を書くとか文章を書くとか絵を描くとか何なんだろうと思う。
葛飾北斎がギリシャ哲学を知ったらどうなってただろうと思う。
川端康成が小説を書けなくなって自殺してしまった。
それでも書くとは何なんだろうと思う。
「名人」の域にも達せず私ごときが書く意味とは何だろう。
それが今の私の疑問である。
生きている証拠と言えば証拠かもしれない。
それでも私が書きたいものとは何なのか私にもわからない。
それは科学にも言える。
科学で私が何をしたいのかわからない。
それがわかれば苦労はしない。
それがたまたまここ四十年疑問無しできたのは奇跡である。
今にしてようやく初心にかえっている。
人間はそうやって原点に戻る気はする。
そこでなんか呆然とする。
そんな所があっても読書することだけは一丁前にある。
小説もあと二百ベージをきった。
それでもこのまま書いても
あんまり目的が見出だせないまま書くことになるだろうなあと思う。
三島由紀夫は段々長い文章を書くことにこだわったみたいである。
そこまでして何を表現したかったのか私にはわからない。
私自身は今もってあんまり表現したいものはない。
ある意味人間のすることは何だろうに近いと思う。
私にある情熱が変異しているのかもしれない。
それでも私には短歌や俳句が別腹である。
それはそれで不思議な気持ちである。
明らかに三島由紀夫とは異なっている。
そんな事考えると短歌や俳句は峠を越して
文章は今ようやく峠を越しているのかもしれない。
それでも恐ろしく時間がかかっている。そんな事あるだろうかと思ったりする。
自由になるのに時間がかかっている気もする。
そんな手前もうちょっと続けるべきかもしれない。
明日は何を書こうか思案のしどころである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180627end

2018年6月26日火曜日

雑記20180626

<<追記20180626
今日も仕事した。
あんまり他に表現したいものはない。
読書も段々読むものが少なくなっている気はする。
それでもそれなりだけどほとんど時間の問題だろうと思う。

そのため書く量を減らして
なんか別の時間を作ったほうが良い気もして
私は一体何がやりたいんだろうと初心にかえる気がしている。
ストレスの開放がメインな事はメインだけど
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。
私の問題はそれなりに解決してきたつもりである。
あとは攻めの姿勢しかない。
この世の軟弱さをあらためるしかない。
そんな事して何になるのか私にはわからない。
それぐらいこの世は軟弱である。
全然強くない。弱い世の中である。
それが学校の先生のせいなのか官僚のせいなのか政治家のせいなのかわからんけど
ラクし過ぎである。
努力が足らないとしか思えない。
自由に飛び出る勇気がないからだと思う。
神様に裏切られ続けている。
そんな事をくり返していつまでこんな状態を続けるのか私にはわからない。
なのでそんなに攻めてどうなりもしないだろうなあと思っている。
サバサバ感がおおありである。

朝 ←¬
↓        |
仕事   |
↓        |
昼      |それなりに楽しんでいる。
↓       |
仕事   |
↓    |
読書→亅

当たり前が理解できない←¬
    ↓                     |   
  ストレス                  |本人はくだらない。
    ↓                     |
  許せない----------------→亅

表現がやり過ぎ←-----¬
   ↓       |
無理無く通過    |ほどほどというより
   ↓       |やりようがない。
他の道を探す---------→亅



<<追記20180626end

2018年6月25日月曜日

雑記20180625

<<追記20180625
昨日は予定通り枝豆ゆでて
外国の本を少しナナメ読みした。
ディープラーニングも少しナナメ読みした。
庭の雑草を少しだけ抜いた。
まあこんなに時間を使って犯罪だなと思いつつ
こちらもそんなのんきな時間使う気はないので
一昨日テーマを決めて昨日の午前中に以下のシナリオを作った。

---------------------------------------------
やるだけやる:
男の言い分:
女の言い分:
---------------------------------------------
あきれ果てる状況
---------------------------------------------

やるだけやる:
何事もやる事やらないと何事もありえない。
色々やってみて色々感じる。
色んな事を思いつくのも色々やる事やっているからである。
色んな事を表現できるのも色々やっているからである。

男の言い分:
そんなの出来るわけがない。
理解できないのは才能である。
それで差別するのは問題である。
それを決める他人が悪いだけで私は悪くない。
悪いのは他人である。
私は悪い事していない。
私の当然の権利である。
私が出来ないのは他人のせいである。

女の言い分:
私にも出来ないけど私にも出来るかもしれないから
男が悪い。男が出来ないなんて許せない。
絶対私にも出来るはずである。
それでも今の私は出来ない。そのチャンスを私に欲しい。
男に出来ないのは男が悪い。
絶対私にも出来るはずである。

やるだけやる:
男も女もやるだけやらないで他人に問題を押し付けている。
この問題はただ単にやることをやっていないだけである。
全ての解決はその後に起こる。
私には無関係である。
それなのに解決が先になっている。
男も女も同じ次元なのにお互いすれ違っている。
男も間違っているけど女も間違っている。
女の方がまだ救いがあるだけで同じ次元である。

そんなこんなで私は男も女も迷惑である。
そんないがみ合いただのストレスである。
そんな暇あったらすることやってる方がマシである。
結局この戦いは無益な戦いである。
双方やる事やらないだけだからである。

--------------------------------------------

私はこんなストレスを毎日感じている。
話が通じない他人がいっぱいいるぐらいしか状況判断できない。
結局他人が他人の苦労をわからないのは
やることをやれないからである。
それを私がどうすることも出来ない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180625end

2018年6月24日日曜日

近況20180624

<<追記20180624
昨日は一応予定のコースだったけど
録画は未消化である。
今日の午前中に一本消化した。
今日の予定はメールのチェックと
音楽番組の録画ぐらいである。
他にもいくつか雑務がある。
まあなんだかんだと過ごすつもりである。
昼間は冷やし中華作った。なんかそれはそれで元気になった。
また午後三時付近で枝豆ゆでるつもりである。

あんまりやりたい事は無い。
フランス語の単語の量が少し気になる程度である。
なのでドイツ語とフランス語やりたい気はする。
気持ちは楽しんでいるうちが花かなと思う。
そんなこんなで韓国語も中国語も参加かなあと思ったりしている。
しばらく慣れが必要である。
そんな思いが英語の記憶である。
そんなこんなで今日の午後後半戦である。

------------------------------------------
英語のインプット:
英語のアウトプット:
その他の外国語:
私の声:
------------------------------------------
世界の窓について
------------------------------------------

英語のインプット:
単語をたくさん覚えなああかん。
その点英語をヒアリングするか多読する方がラクである。
それが受験英語のツライところである。
本当は多読やヒアリングするにはアウトプットも必要である。
なぜならその方が語順の感覚に慣れるからである。
日本語の感覚のままヒアリングや多読するから英語嫌いになる原因である。

英語のアウトプット:
これはこれで気分転換になる。なんか今までと違う頭を使っているような気になる。
必要なのは極力英語の順序でアウトプットすることである。
インプットでこんなに困っているのだからアウトプットも努力した方が良い。
翻訳とか辞書で調べて新しい言葉を使ったほうが良い。
文法から言葉を作るような事をしてもいい。
いろんな制約を課して文章を作るべきである。
それは短歌や俳句に似ている。それはそれでアウトプットは革命児である。

私の声:
そんなんだからインプットとアウトプットはくり返した方が良いに決まっている。
それが一番適しているのは会話である。
それでも外人と話するのは抵抗が私にある。
人知れず努力するのは音楽データと本で何遍も文句言われずくり返せるので
一人でコツコツやる事である。
それが私なりの一番の近道である。

その他の外国語:
英語の経験はその他の外国語にも言えることである。
ただ私は歴史上の空海のように外国人と話するのは至難だったと思う。
読み書きぐらいが関の山のように思う。
なのでまず取り組むのは読み書きだろうと思う。
ヒアリングは隙間時間に単語を増やす程度である。

私の声:
英語の単語を自分の頭に定着するのにも時間がかかった。
そんな手前そんなに簡単じゃあない。
それを短時間に可能にさせるのが会話だと思う。
だけど私にはそんな機会が無いしそんな勇気も無い。
それが大半の日本人だと思う。
なのでどうにかして努力を重ねインプットとアウトプットするしか無い。
それなのに受験はインプットばかりである。
それが悪循環のはじまりである。
自分の行動を頭で英語にするとかそういう体操が受験には大切である。
遠回りのようで近道なのである。

なんでそんなに英語嫌いにする暇があったら
明るい未来を提示するような大人になりたい。
それが私の実感である。

―――――――――――――――――

それで昨日はドイツ語とフランス語やった。
それでも単語の定着は難航している。
そんなくり返しは英語にもある。
人生そんなもので日々が過ぎている。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180624end

2018年6月23日土曜日

近況20180623

<<追記20180623
昨日も英語だけやった。
なんか疲れてまた寝てしまった。
結構仕事で疲れてたような気もする。

今日の午前中は短歌と俳句作って
またシナリオの案を考えた。
明日のシナリオを目指そうと思っている。

今日の午後になってまだ時間があるので平日と違う本を読もうと思っている。
ドイツ語とフランス語とUMLと固体物理学入門が気になるところである。
他にはPythonもある。
とりあえずゆっくりやりたい。
それはそれで仕事のような気もする。
それでも時間があったらヒアリングと録画でも消化しようと思っている。

とりあえず「さわやかウォーキング」も明日で終わり二ヶ月の休みとなる。
仕事が体力系なので梅雨時期は家の中かなと思っている。
それでも歩くのは大事だと思う。
元気にやりたい。

-------------------------------------
作戦本部長の私脇田隆之:
仕事:
プログラム:
パソコン:
端末:
本:
ホームページ:
--------------------------------------
結局常日頃の考える習慣がものを言う。
--------------------------------------

本:
こうしかじかひたすらに続く。

作戦本部長の私脇田隆之:
なんか面白い事ないかなあ。
なんでこんな指数関数使うんだろう。
微分がまた指数関数で
0から1までの指数関数を確率に適用みたい。
ボルツマンは自殺したみたい。
ショックやなあ。
人工知能にも使われている。

ホームページ:
なんか目茶苦茶やなあ。
もっと人間をとりもどさなああかん。
これでもかこれでもかと続く。

パソコン:
やれるまでやってみよう。
そんなこんなでいつまでも続いてる。

端末:
いざという時に備えよう。
やりたい事は山のようにある。
従っていつまでも時間をつぶせる。

プログラム:
何がやりたいのか結論なくて
環境ばかり整える。
それでも未来への投資である。

仕事:
そんなこんなで生活費のためである。
あまりにも真面目かなあ。
仕事だから仕方ないかも。
一応これはこれで考えることはある。
どうしたらうまくいくのかは
日常茶飯事だからなあ。
何事も習慣の一部である。

作戦本部長の私脇田隆之:
おおむね視界良好。
ここまでこれて何も言うことなし。
未来に向けてビジョンが必要である。
もう私がどうのこうのの時代は終わった。
若者の時代である。
それが私に何が出来るか考える時である。
おおむねやり過ぎである。
それでもやる事がある。
そんな手前なるようになるさでやっている。
経験と勘もある。
それが人間をなめている気もする。
可能性とはこういう事をいうのだと思う。
色んな事が関係してる。
無関係なのは他人だけである。

----------------------------------------

自分の生活をあらわしたかったけど
難しいテーマでした。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180623end

2018年6月22日金曜日

雑記20180622

<<追記20180622
今日も仕事した。昨日はベットで横になってたら寝てしまった。
そのため英語しか出来なかった。
録画も未消化である。
今日は昨日のくり返しか外国語と録画をやれるかといったところである。
中央亭の餃子を買って帰った。
最近の楽しみは食べる事のような気もする。
読書もなんだか先が見えてなんか別の未来が必要な気もする。
他にやる事と言ったら物理ぐらいである。
最近気になるのはプリンターである。プリンターが不便でしょうがない。
そんなに使うものでもないのでそれで良い気もするけど
便利なものがあるとそれはそれで気になる。

あしたあさってはゆっくりするつもりである。
またシナリオに挑戦するかわからんけどそういう時間はあるような気がする。


何でよって戦って私が参戦せなああかんのか理解不能である。
もうやる事やってるだけである。
なんでそんなに比較せなあ仕事が出来ないのか理解不能である。
そんな比較せんでも仕事は出来る。
私には無関係なだけである。
私には私のやる事がある。
他人の仕事を干渉するような暇人ではない。
他人を批判するぐらいなら自分の仕事をすべきである。
そんな手前なんで他人に合わせて仕事せなああかんのか理解不能である。
ただ他人が仕事にならないものを
私にはどうしようもない。
それになんで付き合わなああかんのか理解不能である。
私には私の時間がある。
これ以上他人に合わせるのはゴメンである。
もう不可能な状態しか認識出来ない。
私は私の道がある。
迷惑な他人なんて私にはいらない。
大体自分が出来ないから他人が出来るわけないなんてナンセンスである。
そんな発想だから出来ないのだろうと思う。
せめて自分だけ出来るぐらいの発想無くて仕事にならない。
いつまで他人の非力に私が合わせる必要があるのか理解不能である。
もう考え方がおかしい。
これ以上付き合う必要無し。
どうやったら出来るかより
他人の批判するぐらいなら仕事すべきじゃあない。
迷惑も甚だしい。
自己努力が足らない。
それでどうして他人と比較する必要があるのか理解不能である。
結局私には無抵抗だし無関係である。
いつまで比較する必要があるのか理解不能である。
そんな暇があったら他の事してる方がマシである。
なのにダラダラ続けてる。
ほとんど他人の責任問題である。
私は無抵抗なだけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180622end

2018年6月21日木曜日

雑記20180621

<<追記20180621
今日も仕事した。
昨日は読書した。今日は録画を消化する。
小説も半分を越えて後半戦である。
なんか土日だけ外国語というのも問題な気がして
今日は外国語やろうかなあと思う。
やる事だけはいつまでも残っている。

日本人の人材の有効活用を考える時にきている。
学校が機能していない。
参考にする人を間違えている。
今必要な事が抜け落ちている。
既得権益に障害が発生している。
この世にはもっと大事な事がある。
今人材の墓場になっている。
もっと人を大事にすべきである。
教育ももっと進化すべきである。
今あるのは過去のマンネリである。
既得権益にしがみついて今があるだけである。
必要な事は自由に飛び込んでいく勇気である。
それが防衛にしか頭がない。
それが教育が劣化している原因である。
もっと自由を求めるべきである。
上から下までラクし過ぎである。
勇気を持って自由に向かっていくべきである。
それがないから教育は劣化していく。
神に裏切られている。
それが人材の墓場たる由縁である。
この停滞した状況を打破するのは
何がこの国に何が必要か考える事である。
そんな簡単な問いさえ忘れている。
哲学不在である。
それこそが教育の劣化である。
形ばかりが残って大事な事を忘れている。
本末転倒である。
神に裏切られている理由である。
大事な事は目の前にあるのに誰も考えない。
既得権益だけが残っている。
それもいつまで残るかわからない。
最後まで残っているのは自由だけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180621end

2018年6月20日水曜日

雑記20180620

<<追記20180620
今日も仕事した。
昨晩も読書した。今夜もその予定である。
今朝サッカーの結果を知った。
なんか真面目に見る気がしなくなっている。
なんかウソみたいである。
どこに真実があるのかわからなくなる。
なんか作られた真実みたいである。
真面目にプレーしているのか私には判断つかない。
それが私をサバサバさせる。
そんな事実が私自身マヒしているのかもしれない。
色んな事が奇跡だからである。
だから何が起こってもウソみたいである。
それはスポーツでもなくてもそうである。
なのでなんかさめている。

スポーツの観戦について
他人を応援する余裕がない。
そんな暇があったら自分を助けたい。
ただの時間の無駄である。
人間を大切にしないのは戦中も戦後も同じである。
そして今も人材を粗末に使っている。
なのでサバサバしている。
先生ももっと先生らしくやって欲しい。
教えることは山ほどある。
あんまり応援するような状況じゃあない。
一体これのどこが楽しいのかわからない。
そんなくだらない時間はない。
そんな手前私にはスポーツ観戦する集中力がない。
応援するなら読書の方がマシ。
スポーツは全部丸投げである。
それが私のスポーツ観戦感である。
大切なことは他にもたくさんある。
その優先順位が私には理解しがたい。
そうやって時間ばかりがたっていく。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180620end

2018年6月19日火曜日

雑記20180619

<<追記20180619
今日も仕事した。
昨晩は読書した。今夜もその予定である。
あんまり変化はない。
少しずつ疑問によって問題が解決する。
そんな事が繰り返していて
ほとんど時間の問題である。
疑問がなんとなく変化のような気はする。
少しずつ人間を取り戻しているのかもしれない。
なんか色々環境が変わっているかもしれない。

あんまり他に思いつくことないので
それでも今日は雀バージョンである。

人知れず
雀の興味が気になる。
何が興味があって私の目の前にとんでくるんだろう。
ただのエサかなあと思ったりする。
それでもなんか
雀と私はすれ違っている気がする。
むこうと私で事情が違う気がする。
何でこんなヘンテコな自然なんだろう。
動物によって世界が異なっている。
それで地球のなかで共生している。
それは人間にとって何を意味しているのか不思議である。
結局人間も人それぞれということかなあと思ったりする。
それでも雀は楽しそうである。
私は私で戸惑うばかりである。
なんか面白い事が雀にわかるわけなく。
雀の一方的な感じしか伝わらない。
雀は雀で自己主張しているだけなのかもしれない。
ハトもハトで自己主張している。
私も私で自己主張すべきなのかもしれない。
そうやって自然が成立している。
ただあるのは別世界があるというだけである。
あんまりハトの場合と変わらないけど
今日は雀バージョンでした。
正直あんまり表現したい事はない。
おおむねやり過ぎである。
工夫に工夫を重ねた。
それがこれまでこれた理由である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180619end

2018年6月18日月曜日

雑記20180618

<<追記20180618
今日も仕事した。昨日はなんかやっているうちに寝てしまった。
それなりに疲れてたのかなあと思ったりする。
今夜は読書する予定でいる。
今日は短歌二首と俳句二句作った。
明日また短歌二首作る。

あんまり持ち合わせの話もここで終わっている。
あとはひたすら読書感想文ぐらいである。
どうしたものかゆっくり考えたい。

残すはハトの幸福理論しか持ち合わせていない。
ハトの幸せそうな姿を見て
食事出来れば幸せか
そんな単純じゃあない人生かしら。
それでも単純なことに感謝かしら。
複雑な心境である。
そんなにハトも単純じゃあないのかもしれない。
色んな事がある。
それを私は見落としている。
それでもこの自然は人間に何かを提示している気はする。
幸せは別なところにある気がする。
それが私に手が届かない。
そんなもどかしさをハトに対していだいてしまう。
ハトにも幸せがある。
なんか知らんけどそう思ってしまう。
それが私なりの解釈である。
そんな感じて自然を形成している。
私なりの幸せがあっても良さそうである。
それを否定することが必要なのかわからない。
ほとんど他人の問題で私には無関係である。
それが私なりの解釈である。
ハトだって幸せなのに不幸になることはない。
私にだって権利はある。
ほとんど他人の問題である。
ハトのように私の考えることじゃあない。
他人の問題は他人が考えることである。
ひたすらに無関係である。
私にとってお荷物なだけである。
せめてハトのように見守りたい。
それが自然だろうと思う。
それなのに問題ばかり起こす。
いい加減にしてもらいたい。
幸せが逃げていく。
ハトの方が立派である。
それぐらいしか認識が持てない。
これ以上どうしろというのかわからない。
あきれ果ててる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180618end

2018年6月17日日曜日

近況20180617

<<追記20180617
今日は比較的ゆっくりモードである。
昨日と今日は読書を繰り返した。
ドイツ語とフランス語とUMLもやった。
個体物理学入門とPythonも少しずつ読んでいる。
昨晩は先週の録画を消化した。
それだけで
良くやっている気になっている。

今日の昼間ちょっとディープラーニング二冊をナナメ読み
英語のテキストも少し読んだ。
色々気になることがあって考えさせられた。
昼食は焼きそば作った。
昼食のせいか音楽聞いて今はなんかあんまりやる気なしである。
思いつくことは録画を消化するぐらいである。
そのため読書しかない気もする。
少しPowerShellとUnityの本を読んだ。
それでも半日時間があるので英語でもやろうかと決意した。
土日ぐらい変わった事したい。

それでヒアリング以来の久しぶりの英語である。
↑↑↑
なんか午前中のテクスト忘れてた。
結構英語の本もたまってて別の本を読んだ。
一応楽しくやったつもりでいる。

なんか読書するしか報告することなくなってきつつある。
それが意味あることなのか判然としない。
目的は完遂した気はする。
あとはダラダラしている。
夕方録画を消化した。

昨日の熱海は動きと静寂のコンストラクトがあって
先週の日曜美術館見てたら
熱海を思い出してた。
そんなこんなで動きも大事かなと思った。
止まっているものばかり求めてた気がする。

パソコンも一段落である。
それでも気になる事はある。
それはそれで楽しみである。
色々やってみる余地があるということである。

仕事ばかりが気になる点ではある。
健康のためだと言い聞かせてる。
それでもほとんどボランティアである。
それでも生活費のためである。
何が良いのか悪いのかわからない。
それが私の実感である。
ただ健康には良さそうな気はしている。
それが私の続ける理由である。

読書はまだまだ続く。
それでも先は見えてきている気はする。
未来に向けてどうするべきか
悩ましい問題である。
それでも問題の先送りもあって神経質なところもある。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180617end

2018年6月16日土曜日

熱海駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180616
今日はスタートとゴールが熱海駅だった。
伊豆山神社と走り湯と海岸線沿いの花が印象的だった。
昼食は成城石井で買い物して済ませた。
みやげははんぺん買って帰った。
暑くもなく涼しくて歩きやすかったと思う。
歩いたおかげで元気になったと思う。

三島駅で短歌と俳句を済ませた。
気になるのはドイツ語と録画である。
ドイツ語は全然読んでいない本があるためであり
録画は先週の日曜美術館を消化できていないためである。
何事も順番だと思いつつ気になっている。

それ以外あんまり気になる事はない。
なるようになれぐらいしかない。
これでもやり過ぎである。
そんな自覚だけが私を支えている。
他人にアドバイスするならやり過ぎになるまでやれぐらいしかない。
それと私の哲学が成立しているだけである。
そのため他人の哲学が成立するかが大問題である。
そうでもなければやり過ぎになるまでやるしかない。
そんな事はまあ往々にして不可能に近いけど
私の哲学か他人の哲学か選択して可能にするしかない。
そういう哲学の問題を乗り越えてやり過ぎになるまでやるしかない。
それぐらいしか私の問題は解決しない。
そんな事自体がバカバカしいと思う。
なので狭き門だなあと思う。
あとはくだらない人がくだらない事言っているだけで何の問題解決にもならない。
私には全く無関係である。
あんまりこの世の現実を知らない人が文句言っているだけである。
私の経験なんてわからないってだけである。
なので話がかみ合わない。無駄に無駄である。
それで本当に民主主義が成立しない。共産主義とか社会主義とは無縁に思える。
ただの無責任である。教育の失敗である。
まともに教育するとは何なのか真剣に考えたほうが良い。
変な理想ばかりが先行するからこうなるのである。
もうちょっと左も右も現実を知ったほうが良い。それが私の実感である。
私は仕事したいから平和が良いみたいな仕事をしろっと言うのが私の実感である。
変な仕事に変な理想全く現実を知らない人が多すぎる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180616end





2018年6月15日金曜日

雑記20180615

<<追記20180615
今日は診察日だった。有給休暇とった。
色々寄り道して昼食して買い物して帰った。
血液検査は異常値無かった。なんかひとまず安心している。
肝機能と尿酸値がもとに戻った。
尿酸値は中高生の時から高かった。
それがもとに戻ったからなんか変な話である。
よっぽど環境が悪かったのかと私自身思う。
肝機能は肥満が原因じゃあないかと父は言うのだけど
それももとに戻った。ここ数年高かった。
私の生活に問題があるようには思えない。そんなに変わらないからである。
血液検査前にビールを二週間ほど飲まなかっただけである。
それ以外は3時の間食も変わらない。
なんかツッコミどころ満載である。

------------------------
私の声脇田隆之:
パソコン:
父:
------------------------
私の日常における波乱
------------------------

パソコン:
これこれでエラーです。

私の声脇田隆之:
参ったなあエラーの原因がわからない。
ネットで調べよう。
エラー項目検索。

パソコン:
あるツールをダウングレードしてコンパイルすべし。
コンパイルのあとはもとに戻してもいい。

私の声脇田隆之:
こわいなあでもやってみたい。
やってみる。
そのあとツールのアップグレードが走る。

パソコン:
自動再起道後固まる。

私の声脇田隆之:
参ったなあすべてが台無しかなあ。
昔教えてもらった。
起動を試す。
なんかフォーマットかけてるのかなあ。

父:
大丈夫か?なんか変な音たてて
起動したぞ。
なんか自分も不安になってくる。

私の声脇田隆之:
困ったなあどうしよう。
USBのハードディスクから立ち上げてみよう。
ようやくiMacが立ち上がる。
どうもUSBから立ち上がらなかったようである。
まあこれで結果オーライである。
どうやら心配は気苦労だったようである。
無事に回復した。

これはホンマにあった話である。
エラー原因がわからないのが
一番不安になる。
色々やってさらにおかしくなると疑うのがツラい。
それで父も不安になる。
エラーをそのまま検索するのも常套手段である。
iMacの場合ネットにすら情報が無い場合がある。
それでアップルに電話するしかないことも一回あった。
それでもなんだかんだとやっている。

私の声脇田隆之:
疲れるけどやめられない。
パソコンはエラーに正直である。
だから私も正直にやるしかない。
それでなんとかなってるからまあいいかである。
人生山あり谷あり
そんなパソコン人生である。

----------------------

結局昨日の夕食前にシナリオの計画立てて昨晩シナリオを作った。
なんかスリルというよりストレスみたいである。
それでもなんとかなっているのは
システムは安定しているからだと思う。
そんなことで多少のスリルは経験してる。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180615end

2018年6月14日木曜日

雑記20180614

<<追記20180614
今日も仕事した。
今夜は録画を消化しようかと計画している。
正直あんまりこれ以上申し上げる事がない気はする。

あんまり明日の計画はたてられずにいる。
昨日と今日はシナリオも考えたがつまらなくてやめた。
なるようになれみたいなその場限りの状況になりそうである。
そんな事がいつも続いているのであんまり心配していない。
いつもの私に戻りつつあるかなあと思う。

以下の文章は昨日夕食前のiMacで考えた。

私は幻聴で女の叫び声を聞いてストレスを感じる。
救いは音楽である。
それで気分転換している。

最近は夏なので夏ソング聞いたり安全地帯とかミスチルとかサザンとかもあるけど
Jazzが最近は気に入って家の部屋で良く聞いている。
カフェで流れるJazzとかクラッシックのJazzとか休日に良く聞く。
斉藤和義とかも結構聞きたくなる。
今週はももいろクローバーZ借りた。

なんとかそれでストレスを発散させている。
なんか障害者が問題を起こしたと聞いても障害者自体が色々で私が申し上げることはない。
それでも音楽があったから私がいるという事は言える。
それだからストレスは発散すべきである。
その手段がなんなのか私にはわからないけど
いくらでも手段と方法はある気はする。

そんな手前他人の力より音楽の方が強力だと私は思っている。
私に力があるのは音楽があったからである。
そういう意味で万人平等の力を与えられている。
何も私だけが得しているという事はない。
ある意味巨人軍みたいな人生は送っていない。
ほとんどアウトローだと思って生きている。
だから私に出来る事は他人だって可能である。
それが音楽だけでここまできたと思う。

それで私が得しているというのはただの私の努力である。
他人が色々言っても私にはそうとしか思えない。
私が色々工夫しているだけである。
それは他人だって可能である。
なんも特別なことはない。
そういう哲学のもとここまで来ている。
それでも私の哲学が成立しているだけである。
それは東大にも京大にも存在しない。
私が言いたいのはプライドがあるなら東大の逆襲と京大の逆襲を見たい。
いい加減もほどがある。
哲学不在である。これほど私が困ったてきたことを払拭するぐらい逆襲を見たい。
多分それは不可能である。そんな哲学を作る脳力がない。
それで損得勘定している。それだからあんまり他人に期待していない。
そこまでの事をする奴がいない。
それでも私に出来たのは音楽があったからである。
誰でも出来る事なのに不可能なのである。

私に出来る事は
私の道をたどることが出来るのか私は静かに見守りたい。
一日一日じっと力をためて明日を思えば次第にひらけてくる。
それが人間の活動である。
そのために何をすれば可能なのか私は知っている。

それなのに世間は損得勘定ばかりしている。
それが問題の根本である。
やることをやらない方が重罪である。
ただ無いものねだりしているとしか思えない。

本当にこの世を立て直す気があるなら東大の逆襲と京大の逆襲が必要である。
残念ながらそれは私には期待持てない。
それより音楽の方が勝利している。
それが実態である。
それぐらい東大と京大はすたれている。
私の精神は音楽で出来ているその事実の方が重い。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180614end

2018年6月13日水曜日

雑記20180613

<<追記20180613
今日も仕事した。
明日は音楽の話をしようと思っている。
なのでシナリオは中断である。
昨晩は読書した。今夜もそれを予定している。
それと新たに画面の問題も発生した。
やり過ぎな気はしている。
それでもそういう現状があるためだろうと思う。
あとは神が判断することだろうと思う。

-------------------------
国語:
英語:
短歌と俳句:
シナリオ:
--------------------------
文章は気持ちと世の中の現状で作られる。
--------------------------
国語:
小中学校で理想と現実に悩む。
それを書く機会を得る。
全世界に訴えたい気持ちで書いた。

英語:
中学時代は
英語について自信がなかった。
英語の経験は塾の影響だった。
それでもついてこれたのは
日頃の読書にあった気がする。
ともかくそこで受験英語を知った。

国語:
高校時代全然自信が無かった。
振り返ればアウトプットが足らなかった。
それでも少しの作文が私の情熱だった。

英語:
単語量に工夫を重ねたが
大学受験に対応出来なかった。
全体的に高校受験の方が暗記量が多かった。
むざんにも破れ去った。
そんな英語だった。

国語:
大学と大学院時代は
論理的な説明を求められた。
そんな意味でいい体操になった。

英語:
あんまり現状は回復しなかった。
苦手なままどうにかして
高校の状態を大学の状態にしたかった。
そんな意識のまま修士を修了した。

短歌と俳句:
何か短いので私にも出来るかなと思ったのがきっかけである。
それから色んな工夫を重ねた。
色んな発想が生まれた原因かもしれない。

国語:
掲示板に書きまくった。なんかいい事あるかもと思った。
母国語でもそれなりに効果ある気はする。

英語:
日本語にも効果あるなら英語もあるだろうとしばらく書いた。
表現したい文法から文章作ったりした。
そんなこと出来るんだと新鮮だった。
なんか頭の体操にはなって
気分転換にはなった。
そこでようやく大学の負い目は無くなった。
ドイツ語とフランス語が気になるところである。
英語と同じ道を通れるかが関心事である。

シナリオ:
シナリオの本を読む機会を得て
表現を見出だしている。
表現方法としては面白い気はする。
そんな話をした同僚に感謝したい。

何事も文章は気持ちが大事である。
世界に訴えたい気持ちで書くべきだと思う。
そんなこんなで世界に通じると思う。
そんな風に書けたのが幸いしてる。

----------------------------

ここ二日シナリオには逸脱してるかなと思う。
それでも何か表現できる感じがして試してる。
多角的に分析出来るような気もする。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180613end

2018年6月12日火曜日

雑記20180612

<<追記20180612
今日も仕事した。
昨晩は読書した。今夜も読書の予定である。
小説も280ページほど進んだ。
また画面の問題が一つ浮上している。
iMacで読もうかなあと思っている。
それ以外は順調である。

一応明日のシナリオを昨晩作った。
今日はどうしようかあんまり計画立ててない。
なんかもう十分だろうと思ったりしてこれ以上何を表現するのみたいな気持ちでいる。
まだ時間あるのでゆっくり考えたい。

-----------------------------
波状攻撃:
問題:
-----------------------------
vimの乗り越えかたのものがたり。

問題:
全然カーソルの動かしかたがわからない。
キーボードのhjklの意味がわからない。

波状攻撃:
とりあえず押してみて慣れる。

問題:
文章の操作のコツがつかめない。

波状攻撃:
どうやったら文章を整形出来るか考えてコマンドを覚える。
例えば行連結とかコピーアンドペーストとか
行頭とか行末とか検索とかスクロールとかアンドゥとかリドゥとか
どうやって組み合わせるか考える。

問題:
ウインドウ分割とコマンド入力が面倒

波状攻撃:
英単語で慣れる。

そんな感じで今日にいたる。
vimは手強いけど間違いが無い気がする。
安全なエディタのように思っている。
そんな感じで勉強も英語にも国語にも言える気がする。
こっちの方がもっと複雑だと思う。
色々試してここまで来たんだろうと思う。

----------------------------------

あんまりサッカーは見ないけど
私なりに波状攻撃はしている。
第一第二第三
そうやっていつかは乗り越えてきた。
あんまり一回でどうなりもしない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180612end

2018年6月11日月曜日

雑記20180611

<<追記20180611
今日も仕事した。
昨日はiMacのターミナルがタブになるのを知った。
メールをiMacで受信するようにメールソフトを採用した。
色々コマンドを学習した。
そんなこんで一日が過ぎた。
録画もそれなりに消化した。
UMLもこなした。
今夜は読書を予定している。

それでも
なんとなく音楽無くて生きてこれなかった気もする。
それなりに音楽の勝利だろう思う。
他人の声援より音楽で十分である。
他人なんて面倒なだけである。

---------------------------
私脇田隆之:
叫ぶ女:
---------------------------
私の頭の中を再現する。
やたらめったら叫んでる。

私脇田隆之:
そんなの日本語じゃあない。
何語なの?
私には理解不能である。

叫ぶ女:
そんなわけない。
そんなことありえない。
絶対ありえない。
絶対許せない。
絶対はっきりしてる。

双方
そんなことのコメントの繰り返しである。
つまらない。くだらない。通じない。
ストレスのなにものでもない。
私には意味不明である。
私には当たり前ほど恐ろしいものないと感じる。

私脇田隆之:
自分で説明出来ない以上何を言ってもこの状態は続く。
パッパラパーだなあと
いつも抵抗する女に吹き出してしまう。

これはこれで犯罪である。
頑として女がゆずらない。
本当に無神経だし女の能力を越えている。
それを毎日感じて過ごしている。
そんな手前女の言い分を聞いてる余裕はない。
いくら女性のシンガー・ソングライターが女の代表だってこちらの事情なんて聞く気ないからである。
ただの押し付けである。それは男にも言える。
ただのひとりよがりで愛は語れない。
それが私の実感である。
--------------------------
大体私の頭の中の雰囲気は
こんな感じである。
こんなことが出来たのはシナリオのおかげかもしれない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180611end

2018年6月10日日曜日

近況20180610

<<追記20180610
昨日はemacs とかvimrとかlvとかインストールしてみた。
vimrを色々使って操作を思い出してた。
マルチウィンドウもやってみた。
それ以外にもドイツ語とフランス語やった。
昨晩はスマホでDroidVimとかイトーヨーカドーアプリインストールした。

今日の午前中明日のためにシナリオ作った。
段々他に表現するものない気はする。頭にあるのは表現である。
今日もそれなりに雑務がある。
それでも強烈なのは夏である。
楽しくやりたい。
------------------------------
私脇田隆之:
小鳥:
------------------------------
輝かしい空に包まれて
一人の男が歩いてくる。

私脇田隆之:
なんかすっきりした天気だなあ。
私も負けてられないなあ。
元気出していこう。
あっ向こうから小鳥がやって来る。

小鳥:
何か面白そうな人だなあ。
なんかエサでもくれそうだなあ。
でもやっぱり人間はこわい。
そこいらに人間にビックリした虫でもいないかなあ。
それでもなんか興味の引く人に見える。
それでもこわいしなんか心は微妙だなあ。

私脇田隆之:
なんだこの小鳥は何を考えてるのかわからない。
一定の距離でウロウロしてる。
虫でも探しているのか
エサでも欲しいのか
私に興味があるのかよくわからない。
観察するも真意が見えない。

そうこうすると小鳥と人間はなんべんもすれ違い繰り返す。
この問いは一つの自然を提示している。
神はなんでこのような自然を作ったのか自然には不思議な事いっぱいである。
------------------------
とりあえず初めてナレーションをつけた。
ナレーションつけなければ成立してない気もして
それが発想につながった。
それはそうと他に言いたい事は山ほどあるような気もする。
一応なりいきまかせである。

今日は他にもなんか言いたいことあるかなあと考えて
父親との口論を思い出してた。
父曰く死んだらみんな同じという事である。
それはそれで私の努力はどこに行くのか腹が立つ。
これだからサラリーマンは苦手なのである。
散々働いてきて脳力がありませんみたいな働き方するからである。
そうやって特権階級は存在しないかもしれないが一体人生それで良いのか疑問である。
なんのために生きて来たかわからないサラリーマンでいいのか私には理解不能である。
それだからみんな自信が無いのである。
こんな世の中で勉強すればキリがないというのに
脳力のつかないそんな仕事をしてて良いのか理解不能である。
もっと自信の持てる仕事はないのかと文句タラタラである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180610end

2018年6月9日土曜日

近況20180609

<<追記20180609
今土曜日午後二時半頃である。ようやくパソコンの前にいる。
明日は雨の予定なのでたくさんゆっくり出来る。
本当は明日のためにシナリオを午前中にほとんど作ってしまい。
少し修正して終えてしまった。
なんかそれはれで私が言いたい事がたくさんあるかのように思ってしまう。
正直に言って私も驚いているぐらいである。
無駄が無駄じゃあなくなっていくそんな気さえする。
それでもなんか無駄は必要なのかもしれない。
多分色んな事がつながっていくからだと思う。


「キッテル個体物理学入門上下第6版」

アマゾンで新しい版が出ているか検索するも
ヒットしなかった。
やはり専門書は丸善とか紀伊国屋書店とか本屋に
行かないと厳しいのかなと思ったりした。
プログラムの本はアマゾンで済むようになったけど
専門書の壁は高いなあと感じた。
とりあえず第6版も結構古いみたいだし
このまま読もうかなあと思っている。
丸善で検索したら第8版が出てた。

英語の専門書は丸善で扱っていると聞いたことがある。
丸善が本代を決めているらしい。
それから時代が変わってどうなっているか知らない。
結構部数が少ないから高価な値段になるだろうと推測は出来る。
とりあえず本屋のために静岡市内とか東京に行くのは気が引ける。
それでも最近物理の専門書コーナーにも行っていないから
それはそれで少し気になる点である。

それでもここで物理が出てくるのは成長の証かなと思う。
とりあえず沼津のマルサンでもそんなに置いていないけど
状況判断ぐらい出来る気はする。
そんなこんなで数ページは進んでいる。

実際液体物理学もあるけど
個体より実験が難しいと聞いている。
実験サンプル作るのに技術が必要なそうである。
当時と比べてこんな人生歩んでいるとは思わなかった。

罪なのは哲学が不在な事だと思う。
あんまりテストがどうとかより大事である。
それぐらい考えが足らない。
それが正義の所在があやしい原因である。
考えをやめる学歴と職歴の功罪である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい
<<追記20180609end

2018年6月8日金曜日

雑記20180608

<<追記20180608
今日は用事があって有給休暇とった。
午後三時頃ちょうど用事が済んだ。
昨晩は録画を一本消化した。
今夜も録画の予定でいる。土日はゆっくりするつもりである。
何事も一歩一歩かなあと思う。それでも今週も頑張り過ぎのように思う。
それでも色々手段を持ちたい感じがあって続いている。
一人でどうにかなっているのは読書とインターネットによるほとんど自己努力である。
他人はストレス以外の何者でもない。仕事も同じである。
仕事ほどつまらないものはない。何の脳力の足しにならない。
ただの脳力の消化である。ほとんど生活のためであって脳力のためじゃあない。
脳力のためなら読書とインターネットで十分である。

自分としてはこれ以上表現したいものは無い。
あるとすれば読書の考察ぐらいである。
それでも同じことを繰り返している気もする。
それにしても続き過ぎである。
それはそれでほめてやりたい気分である。
自分に工夫があったからで
他人がどうのこうのでは続かないと思う。
とりあえず次の興味は何か考えるに今の延長しかない。
それでもやり過ぎ感はいなめない。
ここまで出来たのは哲学があったからだろうと思う。
他人より哲学である。
ほとんど他人はストレスしかもたらさなかった。
それに対抗したのが哲学だった。
他人はどうでもいい理想押し付けて迷惑だった。
その割には行動が無かった。
理想と現実はもっと厳しかった。
それを打破したのが哲学だった。
あんまりこういう人いないだろうなあと思う。
世間はテストに明け暮れて
肝心の哲学はおろそかである。
そこには損得しかない。
なんか真面目に生きるのがバカらしいほどである。
それでも自分を支えるのは哲学だろうと思う。
世の中がバカらしくも生活せなああかん。
私にはどこにも正義は無いように思える。
他人の正義は他人の勝手で私の正義ではない。
そんな世の中にしか感じない。
それでも生活せなああかん。
罪悪感丸出しである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180608end

2018年6月7日木曜日

雑記20180607

<<追記20180607
今日も仕事した。
昨晩は読書できた。本棚から物性の本引っ張ってきた。
大学時には磁性体に興味があるみたいな事言ったけど
本音である。なんで宇宙物理を選択したのかやっぱりエネルギー保存則が焦点だった。
相対論しか解決策が無かった。大学院では宇宙の難問について英語のテキストを読んだ。
そのいくつかが解決するかもしれない。
それは大学にまかせてまた基本に戻って物性かなと思う。
なんかその方が私には魅力的である。
今夜は録画でも消化してゆっくりするつもりである。
------------------------------
地上の星
ツバメ
街角のビーナス
崖の上のジュピター
------------------------------

地上の星:
ツバメよ私は地上の星かしら
数々の奇跡を起こした。
誰も見守られていない。

崖の上のジュピター:
そんなのウソだ。ありえない。
お前は他人の力を使ったのだ。
私に力がないのは他人のせいだ。

地上の星:
最後までこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
私の神通力はジュピターには理解不能とみえる。
己を信じる道が険しいのは考え続ける事である。
決して他人の力のみで実現しない。

街角のビーナス:
....

ツバメ:
地上の星は神によってかがやいてみえる。
誰一人その存在を知らない。
この奇跡は決して他人のせいではない。
ただの自己努力である。

崖の上のジュピター:
そんなのありえない。
私に力がないのは他人のせいだ。
私は地上の星を許せない。

地上の星:
本当に参るよなあ。
私はただ考え続けただけである。
それなのに私が罪なのは
問題を提示する人間が罪なだけである。
私には無抵抗である。
いつまでこんなくだらないやりとりを繰り返すんだろう。
ひたすらに仕事続けて考え続けているだけである。
いくらジュピターが不可能であろうと私には可能なのである。

街角のビーナス:
%#@*&

ツバメ:
これが人間のやる事か
地上の星がかわいそうである。
どうしたら街角のビーナスが正気に戻るやら
-------------------
今日も背景描写に欠ける。
コメントばかり書くからかもしれない。
出だしとしてはまずまずであるが
ナレーションみたいなのが必要かもしれない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180607end

2018年6月6日水曜日

雑記20180606

<<追記20180606
今日も仕事した。
昨晩も読書した。今夜も読書するつもりでいる。
幾分ゆとりがあるような気もする。
iMacでファイマン物理を少し読んでいる。
それでもまだ読めるかなという気がする。
小説も半分くらいにさしかかるところである。
政治学も途中ではしょったので読み直す必要がある。
シナリオライターの本も私にはよくわからん傾向がある。
単に面白ければいいんじゃあない気もする。
このホームページもシナリオライターの文章をのせた方がいいかもしれない。

それより自分がそうだからと言って
何で他人がそうなのか私にはわからない。
自分がバカだからと言って他人がバカなのかがわからない。
みんなそうだと断定する要素がわからない。

私が泳いでいく相手がわからない。
それより私はやる事がある。
今日は物理の本を本棚から取りだそうと思っている。
---------------------------
私脇田隆之
泳いでいく相手
---------------------------
相手:なに考えてるの?
私:自然の向こう側です。
     なんか君がいると考えれそうな気がしていく。
相手:なんでかしら
私:多分愛のまなざしと希望だと思う。
     私にはそれを実現したい。
     それで前向きになるんだろうと思う。
相手:疲れてない?
私:そうかなあ。結構考えるの好きやからなあ。
     それでも泳いでいく相手見つけるのは至難の技だよ。
相手:私の事好きなんでしょ?
私:それでも相手のいる話やからなあ。
     相手がいないと話は続かない。
     相手の不在歴二十年問題は深刻である。
     もうここまで来るとどうでもよくなる。
     果たしてそれでどこまで泳げばいいんだろう。
     あるのはささやかな愛しか残っていない。それが自然のとびらである。
----------------------------
なんか少し背景シーンが感じられないのがマイナスかなあと思う。
今日は鱗という歌を聞いていてそれをヒントに作ってみた。
色々仮定話を作れそうだなあという気もして
またなんかのヒントがあれば作りたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180606end

2018年6月5日火曜日

雑記20180605

<<追記20180605
今日も仕事した。
昨晩は読書出来た。今夜も読書したいなあと思っている。
大場駅で散髪して帰った。

去年の目標は資格をとることだった。
それで色々読書しているが
まだ全然資格がとれそうなところまでいっていない。
資格の勉強しているとどうでもよくなるのも実感である。
勉強のきっかけにはなるが目標が別のところにある気がしてくる。
それでも当分時間が必要である。
今年の目標はさだかでない。
仕事もやりたい仕事するのは難儀である。
そういう日本の現状を感じる。
結局私は何がやりたいのかという永遠のテーマにおちいる。
それはそれで正常な状態だと思う。
目的が無くて仕事するよりはマシである。
そんな手前なんかビジョンが必要な気はする。
ここまで自分がどうなるかみたいな人生だった。
これからは若い他人がどうなるかみたいな人生にしたい気はする。
若い者が幸せになるような希望も持てなくてどうするのかと思う。
私に出来るのはヒントを与える事である。
色々つついてうながす程度である。
そこには若い者が行動に積極的である必要がある。
そこには愛なんだろうと思う。
色々ストレスもあるだろうけど楽しい事もある。
そんな勇者がいなくて人口減少は止まらない。
必要なのは知性を求める勇者である。
それを後押ししたい。
だけど今のところそんな機会はない。
だけどそれを目指して努力したい。それ以外はやっぱり物理かなと思う。
素粒子とか原子核とかより物性かなと思う。
幸い大学の時の教科書でも読もうかなと思ったりする。
それでも私は重い腰である。今夜の読書量考えると
まだまだたくさんの時間が必要である。

それでも明日はやってくる。
ぼちぼちやりたい。
<<追記20180605

2018年6月4日月曜日

雑記20180604

<<追記20180604
今日も仕事した。
行き帰り短歌を作った。なんとなくパソコン作業で疲れが残っている。
念の為ゆったり気分で読書する予定でいる。
昨日と一昨日はなんとか録画を消化した。
メールのチェックはしたがドイツ語とフランス語とUMLは忘れてしまった。
また気が向いたらやろうと思っている。
おおむねなんとかなるさでやっている。
出来るだけ楽しくやりたいと思っている。
今の所iMacの読書は今日はやり終えた。
読書でchainerで文章書かせるところが今日の満足点である。
それでも気長にやりたい。
先を急ぐ事も無いかと思っている。
色んな文章を読み込んで読み込んだ文章の時系列に文章を書かせられるみたいである。
ソースコードもダウンロードしたから
事実上可能みたいである。それでも会話はまだまだである。
会話のデータ作るのも難儀だよなあと思っている。
シナリオライターの本を読んでいるので
台本と同じ扱いかなあと想像している。
なんかこれでも先走っていると思う。
もっと時間かけてやりたいと思っている。もしかしたら間違いもあるかもしれない。

関数型言語で遅延や再帰がプログラムのリストにあると言ったが
リストで表現できると言った方が適切だったと思う。
値型で表現できるけどリストでも表現できる。
でもリストで表現するのが一般的だろうと思う。
値型だとCとかJavaとかの手続き型言語と変わらないからである。
なんで関数型言語なのかというとプログラムがリストだからだと思う。
よくここまでこぎつけたと思っている。
それがここ四年間の成果でもある。
他は外国語ぐらいである。
ここから先は私はどうしたいのか考えさせられる。
ある程度の目標が大事かなあと思う。去年は去年で考えたけど
今年は今年で大事のように思う。それでもまだ目標が簡単に終わらない気はする。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180604end

2018年6月3日日曜日

蒲原駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180603
今日は蒲原駅から新蒲原駅までだった。
途中助長なコースだった。少しだけショートカットした。
昼食は沼津でした。

あんまり生活に直結しない勉強を私に聞かれてもどうしようもない。
それだけの脳力がないだけである。
いくら私が教えても理解できない現実しか残されていない。
それでも機械は便利だし
写真や文章を残してデータベースとしても
容量が大きくても処理が早くてもパソコンがなんでこんなに言うことを聞いてくれるか
私が言っても本人にわからなければ何を言っても通じない。
特に物理はその最たるものである。
私が思いついた18歳の春から26年経っている。
それでも現実はその頃に追いついていない。
劇的に生活が変わるはずである。アフリカだって変わるかもしれない。
それを私が言っても生活に直結しないというならほとんど私には無抵抗である。
ただ単にそんな脳力がないだけである。
それで最近は文章を作る人工知能に期待している。
今週はmecabという日本語解析のアプリをインストールした。
PythonにcabochaをRubyにnattoをインストールした。
昨日はcudaやcuDDNをインストールしたが
私のiMacにはGPUが無いらしくて無駄足だった。
そんな事が何になるのか自分で考えなくては先は進まない。
他人は誰も考えてはくれない。自分で考えられないのは自分の責任である。
それで勉強は何のためになるのかなんて私は教えられない。
色んな事が複合的に重なっている。
そんなに簡単にぽんと新しい技術は生まれない。
いろんな要因が重なって新たなものが生まれる。
その一つ一つを勉強しなければ新しいものは生み出せない。
そんな手前勉強は何のためになるのかわかった時は一つの成功ぐらいしかない。
そうやってもんもんと勉強するしかない。
そうやって勉強をあきらめたら私は何も教えられない。
それが現実だと思う。色んな可能性を感じながら勉強できる奴しか教育は無理である。
そんな手前ほとんど男と女の問題はあきれはててる。
そんな暇があったら何かやっている方がマシである。
暇な奴の権化にしか聞こえない。
正直つまらないしどうでもいいし通じない。
もうなんか脳力のない発言しか聞こえない。
それが私に何の関係があるのか理解不能である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180603end





2018年6月2日土曜日

韮山駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180602
今日は韮山駅から伊豆長岡駅までだった。
途中蛭ヶ小島と農協を通って韮山城と江川邸と反射炉をまわって帰ってきた。
大場駅で俳句と短歌を作った。
帰宅後今週悩んでたパソコンのライブラリが整った。
人生そんなものみたいである。
とりあえず結果オーライである。

私に時間が無制限にあったら沢山の人を救えるとは思うが
残念ながら私には時間が限られている。
なので本当に取捨選択がせまられている。
最大幸福を目指すにしても方法と手段が必要である。
そのためになんでもかんでも私が許せる範囲は限られている。
あてにならない他人を救えるほど暇な時間はない。
どうにかして多数を救えるように方法と手段が必要である。
それが私が時間を有効活用する身でいる。
知識以外にもそう私に出来る事は限られている。
一人に限定すれば教える事は山のようにある。
それをするかしないかは私に動機があるかないかである。
他人を救うほど時間は厳しいものはないというのが実感である。
なので基本的に私自身時間との戦いである。
それだけ話す事はたくさんあるからあんまり単純な問題じゃあないと思っている。
だからその時の話だけで解決しないと思って話をしている。
そのためあんまり奥深い話にならない。それが私の現状である。
ハイハイそうですねみたいな話にならない。
すべてトータルで考えないと解決しない。
そこまで至るにはなかなか時間がかかる。
そこまでして時間をかける必要があるのか私は私で考えるのである。
十代でやる事と二十代でやる事も別にあるように思っている。
十代はインプット多目で二十代はアウトプット多目の方が良いと思っている。
そこら辺がバランスのいい感じのように思う。
それでもそれなりにインプットとアウトプット経験した方がいい。
私にはかたよりがあったと思う。それが私の反省部分である。
もっといいのは障害者が働けるようになることである。
障害者が働ければ健常者だって働けるはずである。
悲しいのはそういう思考回路で働いている人がいない事である。
勝ち組負け組みたいな仕事で仕事が良くなる気がしない。
誰がやっても働けるから仕事の環境が良くなるという認識がない。
そういう他人との情報共有がないのである。
それでもそんな事をする環境がないというのが私の実感である。
結局勝ち組負け組の現状を感じる。
それをこわすだけの既得権益だけが横たわっているのである。
あぐらをかいてねそべっている。仕事環境が劣悪なのを良いことにしている。
それでは仕事環境は良くならない。それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180602end



2018年6月1日金曜日

雑記20180601

<<追記20180601
今日も仕事した。
帰り際夕食の買い物して銀行寄って帰った。
とりあえず休日である。
今日から六月に入った。
一応衣替えである。
また夏がやってくる。あんまり期待するものはない。
ひたすらに読書かなあと思っている。
私自身よくやっていると思う。
一日一日一歩一歩だが前進している感はある。
色んなストレスはあるけどバカバカしいというのが本音である。
一人で考えた方が面白いしラクだからである。
つまらない女が叫んだ所でつまらないだけである。
そんなんより自分が考えたほうが面白い。
女がくだらないのは私の責任じゃあない。
それよりかはまだ私の方がマシっていうだけである。
もっと真剣に考えた方がいい。
考えが足らないだけである。
そんなこんなで女がいつまでもつまらないのがストレスではある。
あんまり深く考える気にもならない。
困ったもんだなあぐらいしか無い。
なんか中身のある女がいないのかよと文句たらたらである。
どうしてそんなふざけた女が重要なのか私には理解不能である。
全くどうでもいいだけである。
そんな時間あったらまともに勉強した方がマシである。
そればっかり私の頭の中で繰り返す。
結局結論は私の方がマシぐらいしか思いつかない。
良い悪いよりただひたすらにマシなだけである。
それだけのために時間を使っている。
本当に人間って罪悪なのねぐらいしかない。
他にやる事はいっぱいあるのにそんな事で止まってたら地球が止まる。
そんな事はありえないのだから女もありえないのである。
なのに女はサイレンをやめない。
そんな暇がどこにあるのか私には理解できない。
お高く止まってその場を離れない。
迷惑としか思えない。そんな時間が罪悪である。他にやる事たくさんあるのにである。
ほとんどゴミ箱行きである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180601end