<<追記20180321
今日も仕事した。
雨だった。雪の予報だったが雪は降らなかった。
今夜はどうなるかわからない。
昨日は読書した。
今日は春分の日で桜もチラホラ咲いていた。
なんか今日は目が疲れた。
目がチカチカする。なんか目が回る。
昨日はモナドについてインターネットで調べた。
Haskellで有名らしいの知った。
まだHaskellの本ではそこまで読んでいない。
なんか過去に関数型言語でそれが頭にあったので調べてみる気になった。
関数型言語のデバッグが難しいと掲示板にあったが
モナドを使えば少し理解しやすいように思った。
それで具体例が出ないけど
概念上はそういう事らしい。
今週もあと二日である。
ひたすらにこなしていくだけである。
そうやって日が過ぎる。
あんまり過去にこだわらないようにしている。
どうせ過去に戻れるわけがないからである。
あるとすれば過去の経験ぐらいである。
ひたすら今をどうするのかに集中している。
今日も読書すると思う。
そんな時間が格別である。
何故なのか知らない事を知るとはそういう気分にさせる。
あんまり急がず一歩一歩やりたい。
先に行っている人はたくさんいるだろうと思う。
それでも過去に私にしか気づかない事があったという事は
今も同じなんだろうと思う。
だからこそ急いでも遅くてもあんまり変わらない気がする。
そこで立ち止まって考える余裕が大切である。
考えるという事はそういう事だと思う。
得てして考えていない状態が多い。
それが人間の罪なんだろうと思う。
愛があれば色んな事に気づく。愛が欠如しているのが問題であって
私には何の問題も無い。
それが他人がどうにかしたい他人の問題だと思う。
結局自分の事しかわからないのが愛の欠如だと思う。
他人の事がわからないまたは無視するのはやっぱり愛が無い。
それを私には無抵抗である。
ただ単に私の愛の方がまさっているだけであってそれが認識出来ないのは
自分の事しかわからないからである。
損得勘定がどうとかの問題じゃあない。
他人が理解不能な愛が存在するってだけである。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180321end
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