2018年2月28日水曜日
雑記20180228
今日も仕事した。
家に帰ってiMacにソフトを少しインストールした。
少しずつ改善していくしかない。
今日もそれなりである。
あんまり急ぐ事ないかと思う。
出来るだけOSをバージョンアップしない戦略をとりたい。
新しい機能なんていらない。
それが今回でこりた。
iMacも結構古いのでもうここら辺で手を打ちたい。
全てはParallelの新機能のためにお金を使って失敗した。
あんまり業務で使っているわけではないので
物事を安易に考え過ぎた。
Amazonでソフト探してたら
なんかWindowsのパソコン欲しくなった。
もうそろそろいい時期かもしれない。
なんかハードディスクが結構いっぱいいっぱいである。
計画立てて作戦練りたい。
明日もiMacでやる事ある。
なんかここんとこ慌ただしくて余裕がない。
それが書き込みにあらわれている気もする。
それでも手続きのオンパレードしかない。
なのであんまり期待していない。
失敗してもその手続きをするみたいな感じである。
だからあんまり気苦労はしても仕方ない気がする。
それでもテレビの録画はそれなりに消化している。
あんまり読書していない裏返しではある。
今週は仕方ないかもしれない。
読んでもHaskellとかシナリオライターの話とかぐらいである。
あんまり宿題はない。
あるとすれば外国語とUMLの問題ぐらいである。
あんまり時間は残されていないと思う。
仕事時間も20年ぐらい老後も20年ぐらいだろうと思う。
そんな風になるかわからんけど上下したとしても
正味40年ぐらいだろうと思う。
そこまで行けばいい方である。
あんまりそれ以上は考えていない。
残された時間は私の人生の半分しかない。
大学に出て18年目である。それが2回ぐらいしか残っていない。
その割に良くやっていると思う。
時間を有効に使う時期に来ている気もする。
あんまり油を売っている暇はないと思う。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180228end
2018年2月27日火曜日
雑記20180227
今日も仕事した。
iMacは復旧したけど
電話で問い合わせたらアプリは保証対象外と言われた。
Windows考えたらそんなものかもしれない。
ちょっとパソコンの使い方変えた方がいいかもしれない。
ウェブアプリの方がいいように思う。
また今日からやり直し気分である。
プログラム自体がなかなか難しい相談である。
もうちょっと冷静に考えたい気がする。
なんか脱力感丸出しである。
そもそもparallelが悪い。
バージョンアップを誘う料金体系が極悪人である。
それでwindows10も吹っ飛んだ。
もうこれ以上parallel使う気しない。
そんなこんなでもっと冷静になって
これからiMacをどうするか考えたい。
世の中の矛盾を経営者があらわしている。
なのでまともに受け取れない。
綺麗事言ってごまかしている。
私としてはそうですかぐらいしかない。
それをいちいち言ってたら日が暮れる。
それを労働者は身をもって知っている。
そういう意味ではサバサバしている。
私としては
住み込みの労働の方がラクである。
風呂とベットと机とパソコン環境があれば仕事してみたい。
それが机とパソコン環境のみなんて私には耐えられない。
夢のような仕事とは生活と密着した仕事である。
なのになんでこんな困難な環境で仕事するのか理解不能である。
それも矛盾した世の中の要因である。
もっと経営者は努力すべきである。
それが労働者には権力がないから実現しない。
要するに経営者の自分勝手である。
私に出来ることは提言するぐらいである。
それを実現する力はない。
経営者にはその力があるはずなのに無責任である。
なんか力学も間違っているけど
考え方も間違っているようである。
そんな手前何を言われても、はいそうですかぐらいしか言えない。
結局綺麗事で済ませて矛盾しているのである。
こっちはどこまでもサバサバするしかない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180227end
2018年2月26日月曜日
雑記20180226
今日も仕事した。
家に帰ってiMacは復旧した。
それでもバックアップ頼りに
データを移し替えている。
また明日から一歩一歩である。
なんか気持ちは振り出しである。
最悪parallelだけは生き残ればいいかなあと思っている。
そのためにまた電話するつもりである。
今の所あんまり心配いらなそうであるが
そうなっても一歩一歩しかない。
そんな展開で今日は読書出来なそうである。
なんか色々気苦労多く疲れた。
明日の仕事が少し心配である。
それでも寝れば同じ気もするが
本当に先が思いやられる。
なんかくだらない女のために生きるのは御免である。
他人の話が通じないのにカワイイなんていらない。
そんなのお化けである。
ひたすらに話が通じるのを求めて
なおかつ気分が落ち着くのを求めている。
それがグラグラ話だから先行き暗い。
どこにそれで安心せいというのかわからない。
人口減るのも問題である。
偉くもないのに偉そうなのが問題である。
誰も安心して暮らせない。
そんなんで人口は増えるのか私には信じられない。
もうちょっと正論を言う奴が必要である。
それが皆無である。
それじゃあ日本は沈没である。そんな認識が足らない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180226end
2018年2月25日日曜日
近況20180225
今日は無駄な時間をいっぱい過ごした。
ハードディスクのフォーマットだけで
三、四時間過ごした。
外付けのハードディクスで起動したので
あとは手続きを済めば何とかなる気もしている。
それでも夜9時までらしい。
もしかしたら明日まで時間がかかるかもしれない。
それでも外付けのハードディスクのコストはかかった。
なんかに再利用出来るけど
USB3.0がUSB2.0使用になるのが悲しい。
テレビにつけるにも
もうついているし2台目も付けれるのか確認していない。
とりあえず
今日はiMacが使えるようになるのが目標である。
なんか今日は山あり谷ありである。
なんとか軌道には乗っているけど
心境は複雑である。ハードディスクの仕様見たりして悪戦苦闘した。
明日からまた仕事である。
気分はそれどころじゃあない。
そんなこんなで今日は録画どころじゃあない。
昨日は落語を一本消化した。
土日の録画で合計4本ぐらいたまっているはずである。
それとミュージックフェアとその他諸々が他にある。
それでも今日の午前中にドイツ語とフランス語とUMLを少しやった。
やっぱりどの言語も語彙が必要だよなあと思った。
UMLはペースがゆっくり過ぎる。
それはそれで何事も順番である。
それでもここまで良くやっていると思う。
我ながらほめてやりたいぐらいである。
それでも弟子はいないしほめてくれる人もいない。
人口が減っているのに先生が悪いんじゃあないかと思う。
何が先生なのか私にはチンプンカンプンである。
もうちょっとこの世は人をよく選んだ方がいいと思う。
人口が増えるとは希望があるという事だと思う。
それがストレスで人口が減っている。
どうやったら希望が持てるのか真剣に考えていない証拠である。
ここまできたら学歴も職歴もやめた方がいい。
もっと夢のような世の中にする人を作り出す系列が必要である。
それが既存の世界に皆無であるという事だろうと思う。
本当にみんなはそれでいいのだろうかと思う。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180225end
2018年2月24日土曜日
吉原駅からJRさわやかウォーキング
今日はスタートとゴールが
吉原駅だった。
富士塚と松と富士山と駿河湾とダルマ
だった。ダルマのところで
羊かん買った。
途中で河津桜が咲いていた。
ほとんど歩くのが目的だった。
沼津駅で寄り道して
大場駅で散髪して帰る。
短歌と俳句は作り終えた。
明日はゆっくりするつもりである。
iMacの調子が元に戻るのか
明日の課題である。
とりあえずやるだけやってみるつもり。
昨日は録画のドラマを消化した。
あと落語が2本残っている。
なんとなく落ち着いた土日に
なりそうである。
気になるのはiMacだけど
なるようになるしかない。
ほとんどあきらめモードである。
他人に対しても同じであるから
そんなたいした話ではない。
どこもどいつもパソコンも同じである。
ひたすらに手続きするだけである。
それでも一歩一歩である。
ボチボチやりたい。
(追記)20180224end
2018年2月23日金曜日
雑記20180223
(追記)20180223
今日も仕事した。
夕食の買い物をして帰った。
昨日はHaskellの関数を調べてた。
forldr,forldl,map,flip,flitterだったと思う。
Common Lispの時も
結構関数をインターネットで調べてた。
備えあれば憂いなし。
最近はAI全然やっていない。
それが気になるところだが
何事も順番である。
Swiftも拍子抜けしてて
もっと違う本が必要なところであるが
概略としては
そんなものなのかもしれない。
ともあれ土日は休日である。
気分を変えて違う事するつもりである。
ドイツ語とフランス語とUMLやって
録画を消化するつもりである。
落語とドラマが三本たまっている。
今日はドラマを消化する。
相棒の録画は昨日消化した。
それでもあんまりいい人生ではない。
そう思わせるのは他人であって
私の事ばかり考えてたら幸せである。
仕事も同じである。
あんまり他人のペースに合わせてたら
割りに合わない。
そんな話が多すぎる。
無茶苦茶な話である。
そんなんより自分の話の方が落ち着く。
それが私の実感であり
他人がそう言うところがないのは
愛の欠如のようにしか感じない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
(追記)20180223end
2018年2月22日木曜日
雑記20180222
(追記)20180222
今日も仕事した。
昨日は相棒見てて途中で寝てしまった。
録画があるので
気が向いたら見ようと思う。
今週は良く読書が出来た。
今日明日はゆっくりして録画を消化して
インターネットでもしようかと
思っている。一日一日前進している。
不可能が可能になる。
そのうちなんか良いことあればいい。
あんまりあせっても良いこと無い。
神様も苦労している。
あんまり神様に文句言っても仕方なし。
むしろ神様に感謝している。
神様も色んな事情があるだろうけど
私は私でなんか可能性にかけたい。
それが今出来ている事に満足している。
今週もあと一日である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
(追記)20180222end
2018年2月21日水曜日
雑記20180221
(追記)20180221
今日も仕事した。
帰宅後父親の書類をパソコンで作った。
そのため
時間がかかった。
今週もあと二日である。
少し疲れが残るが前進あるのみである。
ヒントはいたるところにある。
それを見ずして通り過ぎるのが
普通である。
それを自覚するのもしないのも
人それぞれである。
それなのに私の話も聞く気ないのに
迷惑ばかりかけるのは無責任である。
それを私に何の関係があるのか
わからない。
色んなところにヒントがあるのに
それも受けつけず
会話も成立しない。
それで生きていけるのが人間社会なので
むなしいばかりである。
私には無抵抗である。
それが許せないのが普通だけど
それも通らない。
私の出来ることは無視ぐらいである。
ひたすらに人間が生きてくのに
むなしい思いをする。
そんな事さえわかってくれない。
それ自体教育の失敗である。
大体私の話なんか聞いてくれない。
それなのに他人が生きてくだけに
私がしばられる。
そんな不合理がまかり通っている。
この世は地獄である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
(追記)20180221end
2018年2月20日火曜日
雑記20180220
今日も仕事した。
昨日はメールチェック出来た。
なんかおもしろくないので読書した。
今日もするつもりでいる。
可能性を広げるしか手段がない。
小説書くにしても何が実現したいのか
私には思いつかない。
私のやりたいことが先決である。
プログラムも似たところがある。
プログラムがやりたいんじゃあなく
何かが実現したいんだと思う。
それが仕事で埋没するのはストレスである。
ここ数年で色んな本を読んだ。
未だに読みたい本がある。
参考になるけどそれだけで解決しない気もする。
新しい領域に入る必要がある。
それがまた私のやりたい事かまた判断が出来ない。
そういう袋小路のなかでやっててよかったは難しい。
ある程度伝統とか歴史のあるもののほうが入りやすい。
でもここまで来ると
あんまりそんなものも気がつかない。
そんなジレンマのなかで読書している。
必要なのは世界観のように思う。
それが何かを形作るように思う。
それがどんな世界観なのか、あんまりピンと来ない。
色んな世界観を知って未だに世界観を求めている。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
(追記)20180220end
2018年2月19日月曜日
雑記20180219
今日も仕事した。
帰宅後余計な出費があって参った。
それまでiMacは対応不能である。
あんまりいい人生じゃあない。
そのため昨日はメールチェックできなかった。
今日する予定である。
何かストレスが多い感じはする。
それでもやるだけやるしかない。
オリンピックの影響で録画の消化もあんまりないし
ゆっくりするのが一番である。
なんか普通に過ごせないのが悲しい。
金メダル私も欲しい。
なんかここまで神がかり的であるが
それでもここまで浮かばれないと金メダルぐらいないのかと文句タラタラである。
それでも仕方なしでここまで来ている。
利害関係に対立してここまで避けて来ても
結果は結果である。それで物理の一丁目一番地のようなところもあって
避けて通れない。
責任のある偉い人が大変である。
私に出来るのは待っているだけである。
いつまでこの無責任状態を続けるのか私には信じられない。
本当の真実を避けて今の状態がある。
それでも私に出来るのはもう待つだけである。
それでもこんなに他人を幸せにしている奴いないなあと思う。
それで最後に出来るのは待つだけである。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180219end
2018年2月18日日曜日
草薙駅からJRさわやかウォーキング
今日は草薙駅から東静岡駅までだった。
途中梅があったり茶畑があったり
神社にクスノキがあったりした。
静鉄で新静岡駅に行って買い物して帰った。
昨日は
ドイツ語とフランス語とUMLを少しやって
録画の音楽を消化した。
今夜はメールを消化する予定でいる。
それまで家の中でゆっくりしようと思っている。
電車と大場駅で短歌と俳句は済ませた。
今日もなんとなく着実に春はやってくる気はした。
今日もiMacは固まったままである。
明日の朝までどうにもならなければあきらめるつもりでいる。
あんまりいい傾向に無い気がする。
それかもうちょっとインターネットで調べてみようと思っています。
OSのアップデートは危ないなあというのが実感である。
あんまりやるものでは無い気がする。
今まで嫌というほど知っているけど
今回も同じだった。
これからどうなるものやら先が思いやられる。
そんなこんなであんまりゆっくり出来ない気もする。
それでも一歩一歩である。
気が遠くなるけどそうなればそうなるほど
そんな気がする。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180218end
2018年2月17日土曜日
新蒲原駅からJRさわやかウォーキング
2018年2月16日金曜日
雑記20180216
2018年2月15日木曜日
雑記20180215
今日も仕事した。
駿豆線が朝方止まってて困ったけど
父親の車で送ってもらって
なんとか仕事には間に合った。
昨日は相棒見ててストレス感じて途中でやめてしまった。
土日にゆっくり見るつもりでいる。
物理現象も説明出来ないで
ありえないは無いよなあと思う。
そんなこんなで細胞とか生物とか化学ばっかりやっていると
間違った方向に行く気はする。
あまりにも人間を軽視し過ぎである。
それで不具合ばかり目にする。
完璧じゃあ無いのに完璧をよそおう。
そんなんよりありふれた人間になりたい。
人間らしい人間になりたい。
そんな視線が侘び寂びである。
何にも偉くなんかなる必要はない。
私に出来るのはありふれた生活である。
そんな日々を重ねるうちに山になっている。
あんまり世界のわからん話が多過ぎる。
それが混迷を極めている原因である。
なんかわかったつもりでも全然わかっていない。
それが人間を軽視している原因である。
どんな人間が世界にいるのかもわかっていない。
それが話が簡単な原因である。
今週で録画を消化するつもりだったけど
どうもギリギリである。
なんか余裕がなくて疲れている。
そのためプログラム中心に今週は読書が進んでいない。
気になるところが中心である。
来週からまた本腰を入れたい。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180215end
2018年2月14日水曜日
雑記20180214
今日も仕事した。
昨日は録画のみでテレビはあんまり見なかった。
私にとってカワイイ人はなんなのか私には理解不能である。
女の人のカワイイとは違うように思う。
私にとって愛らしければそれでいいのであって
普通の人も愛らしいものである。
それに私が波風を立てる必要も感じない。
私は要件が済めばそれでいいのであって
それ以上に愛らしくある必要もない。
賢い会話がしたい。ただそれだけである。
なんか別の価値観のある人が私の価値観を理解しない気もする。
私はそれを否定する気もないけど
私は私の価値観があるってだけである。
会話も成立しないのに愛らしいなんて私にはそんな必要を感じない。
それをどうして私がそんな事を言わねばならないのか文句タラタラである。
今日もBluetoothが切れる話題になった。
そうやって医者が考えられないのに
なんで患者の私が説明せなああかんのか今日も怒り心頭だった。
現実に私の身に起こっているのを医者は考えられないのである。
それにはガッカリである。
そんな事が多過ぎる。
専門家でさえ会話が成立しない。
カワイイと電磁波も同じ次元である。
まともに会話も成立しないのに
ありえないなんてありえない。
カワイイも電磁波もいらない。
ただひたすらに会話が成立する事をのぞんでいる。
要するに説明不足である。
おかしな事が多過ぎる。人権問題である。
ありえないからありえないなんて私の状況はそんなんで説明がつかない。
そんなカワイイとか電磁波とか言っているのは
私の環境を知らない人が言っているだけである。
無責任極まりない。
そんな事より私は会話が成立する事をのぞんでいる。
私にとってカワイイとか電磁波とかゴマカシに過ぎない。
それがわかってくれないのは残念でならない。
ありえないからありえない。そんなの考えを止める人しか考えられない。
それが私の実感である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180214end
2018年2月13日火曜日
雑記20180213
今日も仕事した。
少しHaskellの調べ物を朝方と夕方した。
昨日労使交渉のテレビやってて
経営者と労働者で権力が違うみたいな事言ってた。
何が労働条件がいいのか文句タラタラである。
私なんかは住み込みの仕事の方がラクである。
風呂とベットとパソコンと机があったらその方がラクである。
そしたら有給休暇を買い取ってもらう方が得である。
何が労使交渉なのか私にはチンプンカンプンである。
結局労働条件を悪くしているのはどっちなのか私には判別不能である。
寝れない所で夜遅くデスクで仕事するなんて私には不可能である。
もうちょっとどういう労働条件がいいのか考えた方がいい。
それで経営者と労働者で権力が違うとは
どういう権力構造で今の労働条件になっているのか私にはチンプンカンプンである。
仕事人間でもいくらなんでも環境のいい労働条件にならんものかと文句タラタラである。
どうしてこんな厳しい労働環境で仕事せなああかんのか私には理解不能である。
どうせなら天国の中で仕事したい。
それがそれなりの桃源郷である。
それが経営者と労働者の労使交渉にはそれがない。
なんか別次元で労使交渉になっている。
なんかここまでくると考え方を変えた方がいい。
私としては夢の中で天国みたいな仕事がしたい。
それが労使交渉には欠如している。
北朝鮮も韓国も勝手にしてくれみたいな感じである。
あんまり日本が関わらなくて済むならその方がいい。
迷惑きわまりなし。
そんな暇があったら他の事考えている方がマシである。
それがロケットや原爆や水爆のおかげで
日本列島も不安定である。
これじゃあ北朝鮮も韓国も同罪である。
それに話がついてこれない。
勝手にしやがれみたいな感じである。
本当はちゃんと約束を守ればこんな感じにはならない。
どうしたら約束を守るのか私にはチンプンカンプンである。
裏で色々糸を引いている。
ここまできてどういう生活をすれば
未来が明るくなるのか
誰も認識していない。
それが問題の本質だと思う。
北朝鮮も韓国も認識していないし
労使交渉の当事者も認識していない。
みんな真っ暗である。
それでも人間は生活せなああかん。
それが現実に直面している。
それで私だけでも自己努力するしかない状況である。
そんな悲しみを感じて生きている。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180213end
2018年2月12日月曜日
雑記20180212
今日は祝日だけど出勤した。
夕食の買い物して帰った。
帰り際時間があったので短歌とHaskellとSwiftをやった。
今日も録画一時間読書一時間する予定である。
なんと無く続きのSwiftが気になったので
暇があったらSwiftを読書するつもりでいる。
この出勤のため今週の土曜日は代休となった。
明日からいつも通りである。
それにしてもそんなに大学院がいいのか私にはわからない。
いろんなヒントがある気はしても
その後の生活が大事である。
勉強するのは大事だけど大学院でしか可能なのか私には自信が持てない。
今の勉強も大学院でするようなものではない。
そんな勉強が山のようにある。
必要なものが人それぞれという事だろうと思う。
それでも仕事して勉強するというのはほとんど皆無のような気もして
それなりに大学院の意味あるかもしれない。
それでもそれで終わりはない。
その後の生活も続く。
その時考える事が大事のように思う。
その一つ一つに意味がある。
なのでそんなに急いで勉強してどうすると思う。
若いから出来るかもしれないけど
それが素通りだったら意味がない。
疑問やら難問やら真摯に向き合わなくて発想はない。
それが出来るのはありふれた生活を肯定する事である。
それがやがて山のようになる。
そういう生活をすべきである。
なので私は学歴や職歴に懐疑的である。
私はそうやって生きてきたからである。
それでもやる事なかったら挑戦は大事である。
そういう妙なバランスで生きている。
そんなこんなで今の状態が妙である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180212end
2018年2月11日日曜日
修善寺駅からJRさわやかウォーキング
今日は私自身梅がメインだった。
折角なので修善寺駅でアジ寿司買った。
ちょっと梅園に着くのが早かったけど
そこで食べて帰った。
あとは大場駅付近でコンビニの買い物した。
梅はツボミもあって咲き始めみたいだった。
でも咲いている梅を見ると春に近づいている気にはなった。
昨日より風があって少し寒かった。
それでもなんか春に期待する感じはある。
なんでなのか私にもわからない。
それなりに日々積み重ねがあるからなのか
ただ単に寒いのが嫌なのか
生物的真理なのか
判然としない。
昨日はドイツ語とフランス語とUMLやった。
録画は音楽番組ぐらいだった。
最近はHaskellとSwiftが中心である。
今夜はメールチェックしたい。
帰りの電車で短歌と俳句は作った。
昨日の夕食にキンキを食べた。
一昨日の夕食にえぼ鯛を食べた。
アブラがのってうまかった。
まだカマスが残っている。
なんか食べる事が楽しみみたいな気もする。
そのため自分の体を維持するのが大変な気もして
複雑な気分である。
それだけ元気なのかもしれないけど
元気は元気で大変である。
あんまり健康優良児のような春には程遠いけど
私なりの春が来ようとしているのかもしれない。
若い時の春とは違う。うずうずするような春じゃあない。
そういう認識でいる。
それでも梅は咲いていた。
明日は休日だけど出勤日である。
ボチボチやりたい。
<<追記20180211end
2018年2月10日土曜日
沼津駅からJRさわやかウォーキング
今日は沼津駅からマルサン付近までぐるっとまわった。
駿河湾やら狩野川やら富士山やら見えた。
港湾付近が折り返し地点だった。
ゴールしてからちょっと沼津付近を歩いた。
電車とバスの中で短歌と俳句を作った。
結構日当たりが良くて日中は暖かった。
なんだかんだと春に期待する。
寒いとなんか思考が止まっている気がしてしまう。
ようやく落ち着いた気候になればいいのだけど
三寒四温なんて言うから用心である。
今日もまだまだ時間がある。
何をしようかまだ考えていない。
録画も来週ぐらいで終わりそうである。
今日はゆっくり気の向くまま寝る予定である。
そのため横になる時間が長くなりそうである。
歩いては疲れ仕事しては疲れ
なんかその繰り返しである。
それが横になって楽しければ申し分ない。
それが可能な時代になっている。
おもむくままにこのまま春になって元気になりたい。
それが今のところ春に対する私の希望である。
それが感じられる天候であり
何事も一歩一歩かなあと思う。
改善による改善である。
それが出来るのも時代に感謝である。
なんでもバージョンアップする時代だからである。
次から次へ好転する。
そしたらなんか私にもチャンスあるんじゃあないのかと思う。
あんまり悲観している暇はない。
歳を取ってもチャンスはある気がする。
それが不可能なのは努力がないだけである。
努力してたらチャンスはある。
それが私の実感である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180210end
2018年2月9日金曜日
雑記20180209
今日も仕事した。
ありふれた毎日を繰り返すしか賢い道はない気がする。
特別なんてない。それを許して山のようになる。
そして何かが出来る。私はそう思う。
一人だけ賢いなんてありえない。
ありふれた普通の生活から何かが出てくる。
それが人間らしい生活のように思う。
なので先走ってもいい事はない。
偉くなってもいい事はない。
ただ出来るのはありふれた毎日を繰り返すのみである。
それが学歴にも職歴にも欠陥である。
特別な経歴なんかいらない。
それが私が感じる真実である。
それをどれだけ徹底できるかで何かが可能になる。
それが特別になろうとするのは間違っている。
ひたすら普通にありふれた毎日を肯定的に過ごすだけである。
それが私の最短経路である。
それで私は私になりに夢のように実現してきている。
なんか神様がいるようである。
私自身ウソみたいである。
それだけ物理の歴史もあるだろうけれど
神様だけが知っている世界でもある。
私だけでどうにかなる話じゃあないのに私は導かれている。
そこに神様の存在を感じる。
そして私はいたって普通にありふれた生活をしている。
そこにも神様がいるような気がする。
もう一つ加えると愛が生まれると発想も生まれる。
要するに愛で前向きになると何かが生まれる。
何かを乗り越える時愛が必要になる。
だから人間は愛の持てる状況にないと思いつかない。
ありふれた生活と愛と神様があってはじめて物事は回転する。
そのために人間が特別になる事はない。
それが私の実感である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180209end
2018年2月8日木曜日
雑記20180208
今日も仕事した。
干物買って帰った。
どんな味がするか楽しみである。
日頃仕事してて疑問に思ってたのでいい機会である。
昨日は相棒見たあと横になってたら寝てしまった。
あまりに寒くフトンの中にいると自然に寝ている。
そのためあんまり読書していても実感がない。
それでも一歩一歩かなあと思う。
そんな毎日が過ぎる。
そのため毎日がありふれている。
いつも通りに過ぎてゆく。
気がついたら山みたいである。
これからもこうして過ぎるんだろうと思う。
先を急がずともありふれた日常を受け入れは自分の思考に慣れてくる。
何をしたいんだろうとか何ができるのだろうとか
そう言うありふれた疑問にも慣れてくる。
それを受け入れてはじめて毎日がありふれてくる。
そこまでいって人間的活動である。
それがある意味の悟りである。
それが無くて達観はしない。
だからそんなにあくせくする必要がない気がする。
なのでそんな他人が不思議である。
そんな他人が何かを見つけるだろうかと思う。
もう腹をくくってありふれた日常を取り戻すべきだと思う。
それが可能じゃあ無くて何が悟りなのか私には理解不能である。
それが私の考える毎日である。
それなのに上から下まで特別になろうとするのは方向間違いのように思う。
それが嫌で私は生きている。
みんな同じじゃあないから特別なのか
みんな同じだから特別なのか私にはチンプンカンプンである。
そういった権力闘争に疲れた。
それが私の本音である。
そんな事考えなくても生きていられる。
それが私なりの結論である。
ありきたりの人生でなんとかなるのが正常である。
それが不可能な人が問題を起こしているだけである。
ここまでくると人間最低限度の生活しかない。
ありきたりにならない人だからである。
それが私になんの問題があるのか理解不能である。
もういい加減にして欲しい。
普通の会話が成立しない。
それが私の実感である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180208end
2018年2月7日水曜日
雑記20180207
今日も仕事した。
昨日の晩はいつの間にか寝てしまった。
読書と録画は済ませた。
いつ寝たのか記憶がない。
気がついたら朝だった。
大学の時に悩んでた話をカウンセラーにした記憶があって
それを思い出したら私も良くやったなあと思った。
一人で悩んで一人で解決したような気がする。
それも物理の難問をである。
悩みのタネもノーベル賞級だし
解決もノーベル賞級である。
悩みのタネは高校卒業の浪人決定の春である。
それから山口大学で図書館の物理辞書にのってた言葉で問題は確定してしまった。
それから大学院の間その話をカウンセラーにして修了後
一人で悩み続けた。
それが晴れたのは「みちしる沼津」に在籍してここ三、四年の間である。
その解決もノーベル賞級だと思う。
もう大学を出て18年目である。
長い年月かけてここまで来ている。
ここまで来れたのも私にやる事があったからだと思う。
時代が進化して消化するのも時間がかかる時代になった。
そのあらわれだと思う。
なのであんまり大学入試がどうのこうの言っている時代じゃあない気もする。
それぐらい大学でやった事を消化するの方が比重が重い。
それで18年かかっている。
それだけに大学でやる事はやる事で大切だと思う。
私は私で大切だったからである。
私は私なりに悩み続けた。他人も同じだと思う。
悩んでないのも悩んでいても結果は結果である。
とにかく私は18年悩み続けて
まだまだやる事がある。明るさは山のようである。
それでも私が悪くなるのは私の問題ではない。
他人の問題であって他人の無責任が問題である。
私には全く関係がない。
そもそも普通にいれなくて特別扱いしなあ生きていけないのは問題である。
その問題は他人の問題であって私の問題ではない。
侘び寂びの対極である。
私にはそんな挑戦はしない。
それでもここまで悩んで来たのは色々私なりに色んな事をやったからだと思う。
電磁石も実験でやったし試験だけではない生身の実感があったからだと思う。
そんな早足で勉強しても得られない実感が私を考えさせた原因のように思う。
じっくりやるという事が何よりも得難いあらわれのように思う。
それがどうして特別扱いの不平を私が背負わなああかんのか理解不能である。
そんなこと言っている暇あったら色々やるべきである。
それもなく不平を言うなんて競争原理としては末期的である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180207end
2018年2月6日火曜日
雑記20180206
今日も仕事した。
なんか寒くてちっとも春らしくない。
これから一ヶ月がしんどい気がする。
あんまりやりたい事はない。
そう思って一ヶ月が過ぎる気がする。
それぐらい寒い。
それでも面白くないから読書するような気がする。
それでも前進するのは何なのか私にもわからない。
生きるとは深い気がする。
無意識になんかが進む。
省略の文章を書く裏になんか無意識があるような気もして
どっちがどっちなのか判別不能におちいる。
そうするとなんかが出てくる。
短歌や俳句もそうであり文章もそうである。
なんかあらわせない裏に無意識がある気がする。
そうすると疑問の中にむくむくとなんかが出てくる。
そんなこんなで一ヶ月が過ぎる気がして
なんかやっている間に過ぎるんだろうなあと漠然とそう思ってしまう。
その間楽しんでいるというのもあるような気もする。
それでも寒くてそんな余裕が無い。
とにかく日が過ぎるのを待っている気もする。
こんな寒いと仕事どころではない。
気分はやる事やってさっさと帰るである。
それでも課題はあるのでそうも言ってられないけど
気持ちはたまらんである。
そんな中結局一歩一歩である。
一日一日でもある。
先が見えないとはこういう感じな気がする。
それが他人にはわかってもらえない気がする。
それが仕事にあらわれているように思う。
それを私がどうしろというのかわからない。
それでも一歩一歩であり一日一日になっている。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180206end
2018年2月5日月曜日
雑記20180205
今日も仕事した。
昨日から関数型言語の克服にHaskellの本を読もうと計画している。
すごいHaskellたのしく学ぼう! Kindle版
他にも数学の本とか経済学とかシナリオと小説とか簿記とか
やりたい事はいっぱいある。
なんか簡単に終わらない。
それで今の状態を許している。
結局ドイツ語とフランス語とUMLは土日出来なかった。
昨日は録画の消化とメールの消化でいっぱいだった。
今週も一時間録画を見て一時間読書しようと思っている。
あんまりにも私に期待して負荷がかかっているように思う。
普通やる気もないのに出来る出来ないなんてナンセンスである。
出来るようにするから出来るのであって
やる気もなくて出来る気がしない。
疲れたからやりたくないとか
腰が痛いからやりたくないとか
私はそんなの知らない。
それでも出来たいから工夫するだけであって
出来ないために出来るんじゃあない。
なんとかしたいから仕事しているだけである。
それが仕事したくないために聞かれても私には何もアドバイスが出ない。
だから私が人間最低限度の生活は保障されていると言うのは
私にもどうしようもないからである。
それに他人が抵抗したいのなら
他人自身の可能性にかけるしかないと思う。
そこから他人が考える事であって私の考える事じゃあない。
そして私の出来る事はアドバイスするぐらいである。
あとは他人の責任であって私の問題ではない。
私はそうやって自分の問題をかかえていて
私は私なりに努力しているだけである。
それがなんで私が悪くなるのか理解不能である。
一切私の事で努力しているだけで他人に悪さなんてしていない。
全部他人が私を悪く言うのは他人の責任のがれというだけである。
他人が悪いのになんで私が悪くなるのか理解不能である。
私はひたすらに自己努力しているだけである。
それで私は私でアドバイスしているのになんで私が悪くなるのか理解不能である。
私としてはやる気ないしか思えない。
仮に仕事の出来る人がいたら勉強はいくらでも出来る。
勉強する気ないならあきらめた方がいい。
それが人間のやる気のように思う。
そんなんでは出来ないと思ったら永遠に不可能である。
目の前に出来る人がいるのにそれを避けたら永遠に出来ない。
それが勉強だと思う。それが面白いと思うのが仕事だと思う。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180205end
2018年2月4日日曜日
清水駅からJRさわやかウォーキング
今日は清水駅から興津駅までだった。
メインは寒桜である。
二時間半コースだったと思う。
なんか昼飯兼ねて花より団子だったような気もする。
なんか春に願いを込めた気はした。
それがなんなのか私にもはかりかねる所ではあった。
興津駅構内と電車の中で俳句と短歌を作った。
多分梅も咲いているだろうなあと思ったりもしたが
予定は来週である。
大場駅でバスの時間があったからSPOTで買い物した。
家に帰ってもろもろの雑務がある。
なんか寒桜が咲いてたのが夢のようである。
桃源郷のような所に行ってきた気もしたりして
花にはそう言った力があるように思う。
そう言えば椿も咲いていた。
力をこめてまた一日一日である。
GO言語とCommon LISPは先週で読み終えた。
昨日はFortran90とgdbを少し調べた。
どうもコンパイルオプションのデバッグモードのバイナリでgdb使えるみたいだった。
そこまで気にしてなかったのでなんとなく調べる気になった。
それでも読む本はまだまだたくさんあって終わりが見えない。
それが寒桜の春をあらわしている気がする。
私自身何に向かっているのかわからない。
漠然とある種の可能性に向かっているぐらいである。
そして私には人間の最低限度の生活なんて私には想像できない。
そして想像したくない。
だけど私の待遇はそれより悪い。
つまり最低限度の生活より給料は少ない。
あるのは貯金出来るぐらいである。
他にはパソコンやスマホ持てるぐらいである。
なのであんまり他人の事考える余裕はない。
私が出来るのは私の可能性である。
それだけで私は情報を発信している。
そんな状態でも私に出来る事がある。
なので出来ない事考えても仕方ない感じでいる。
私は私の可能性にかけている。
ただそれだけで未来の春がぼんやりしている。
今日は立春だけどあんまり春ぽくない。
まあこれからもボチボチやるかと思っている。
それでも明日はやってくる。
一歩一歩である。
<<追記20180204end
2018年2月3日土曜日
大場駅からJRさわやかウォーキング
今日は大場駅から柿田川経由して三島田町駅がゴールだった。
くもってて富士山は見えなかった。
ほとんど歩くのが目的だった。
三島駅でラーメン食べて大阪の話をした。
昔話でありもう私には過ぎた話である。
あんまり関わりたくないというのが本音である。
ここ伊豆の三島にいて私は救われている。
あんまり変な神経使いたくない。
まっすぐ生きたい。ここにいて疲れるような神経を使わずして生きれている。
それを昔話みたいにわざわざ掘り返す気はしない。
出来るだけまともな神経を使いたい。
それがウォーキングでも同じである。
また仕事も同じである。
淡々と仕事をこなすとか淡々と歩くとか
あんまり特別とか卑下とかなく黙々とやる。
それが普通にしてられる要因である。
それが出来るのは毎日課題を少しずつこなしているからのように思う。
過ぎていれば山のようになっている。
最近の録画や読書でなんとなく感じる。
1日で無理な事も年月を経るとウソのようである。
それがウォーキングや仕事に出ている気がする。
何にも特別や卑下なんか無くても普通にしてられる。
それが私の幸福感である。
そんな状態で複雑で変になりそうな神経を使いたくない。
もう勝手にしてくれというような気分である。
それがあんまり大阪の話するのもやめたいぐらいだが
静岡駅内の蕎麦屋に大阪人が通った話つながりで大阪の話になってしまった。
なんか色々思い出ではあるが
疲れると言えば疲れた。
どうしてまともな話もできないのを教育というのか私には理解ができない。
ほとんど教育者の責任だろうと思う。
変な理想のせいで私は被害を受けている。
それを本当に理想というのか私には理解ができない。
ほとんどひとりよがりだろうと思う。
私にとって良い事はない。
そんな暇あったら自己努力している方がマシである。
そうやって他人の努力もわからないのになんで理想が出てくるのか理解不能である。
そうして私は大阪が出てくると疲れる。
今日も疲れた。もうちょっとまっすぐ生きれる環境にいたい。
それが都会の大阪にはない。
ウォーキングをやってまっすぐになる。
それが伊豆の三島で実現している。都会の大阪には理解不能だと思う。
これが教育者に届いているのか私には疑問難問である。
普通でいれないそれが大問題である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180203end
2018年2月2日金曜日
雑記20180202
今日も仕事した。
夕食の買い物して帰った。
昨日も録画と読書した。
BOOKOFFの本も汚い本は買ってくれない。
綺麗な本しか売れない。
それでも古い本が多い気はするけど
新しい本もそれなりにある気はする。
市場に出回っている本ならありかもしれない。
そんな事を考えながら仕事してた。
少し仕事でヘマした。
それはそれで課題である。
やって見て違った。人生は山あり谷ありである。
それでも3時の最後まで仕事した。
明日から二連休である。
先週は一日だけだったので気分転換したい。
日常に物理は存在しないのに
物理の話が出てくるのは私が物理が好きなのかもしれない。
なんか向いている気はする。
多分文系では評価が難しい事も物理には明確なところがいい気がする。
難しい割に評価されるところが物理にはある気がする。
簡単な割に評価が難しいよりはいい気がする。
それでも無駄な人生を送らないように警戒している。
それが物理の難しいところである。
それは大学でやる事なんだろうと思う。
私は大学にいないから出来る事がある気がする。
そういう住み分けでいいと思う。
それにしても中年になって教えを受け継ぐ奴がいないかと思ったりもする。
弟子はあらわれないけど
教えを受け継ぐ弟子が活躍するところを見たいみたいな気がしたりして
私に子供がいないからそう思うのかわからんけど
なんかこの世の停滞した状況を打破したい気はする。
それが利害関係で対立して
私の今の状況を生み出している。
あんまり私の事であたりさわりのないようにここまで来ている。
もうあんまりこんな状況を繰り返してもしょうがない。
それが私の正直な気持ちである。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180202end
2018年2月1日木曜日
雑記20180201
今日も仕事した。
結局Common LISPをナナメ読み
Go言語ももうそろそろ終わりそうである。
まだ読みたいものはあっても
なんかさみしい気はする。
波動関数のエルミート空間が無次元に規格直交化(次元が90度)出来るのは
なんかこの世界では理解出来そうにない。
空間の三次元とか最悪時間を足した四次元ぐらいである。
エルミート行列の計算で期待値が出てくる。
位置ベクトルとか運動量とかエネルギー量とかである。
そんな手前11次元より多くの次元があったら
量子論は元気になる気がする。
それまでは相対論が元気のように思う。
今のところ
現状の物理に突破口があったのは相対論の方だったんじゃあないのかと思う。
それがまた量子論になるのか超弦論のなのか私にも予測不可能である。
私自身はこの40年この高い壁を乗り越えて
現状を打破した意識はある。
こんなに他人を幸せにしている奴いるかと思う。
こんなこう着状態の世相でこんなに壁を乗り越えた奴いるかと思う。
それも幻聴付きである。
色んな苦痛を乗り越えここまでやってきた。
歴史上人類史上こんな奴がいない気はする。
その発想の原点は高卒で浪人確定の春である。
いくら東大京大が偉くてもこれだけは越えられない。
何を勉強しているのか文句たらたらである。
そうやって私にしか出来ない事をやった。
もっとテストより大事な事がある気がする。
そうやって利益はテストともっと関係のない努力によって出ている。
なので仕事も学業もさめている。
利権ありきの世界にしか見えない。
そうやって自己防衛するしか手段がない。
それで上に立つ奴が偉い気がしない。
それが私の偽らざる心境であり
利権で活動が阻害されてて閉鎖的であり、やりにくく自由がなく
オープンソースみたいに
それよりもっとやる事があるというのが実感である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180201end