<<追記20170930
今日は駿豆線の修善寺駅から田京駅まで歩いた。
休憩もあんまりとらなかったせいか最後の方は疲れたので
健脚コースはパスした。
それでも三時間ぐらいは歩いたようである。
コスモスが咲いていた。
ちょっと、くもってて歩くには最適だった気がする。
歩いてて知らない知識や場所もあって
それなりに歩きがいがあった。
今週も元気と健康でいれるかなあと思う。
私の場合競争より中身の方が大事だったという事だろうと思う。
それはある意味競争に勝っているが
別領域で勝っているという事だろうと思う。
そんなケースは山のようにある気がする。
同じレールで競争してもほとんど無意味である。
それなのに競争するのはそれしか差別化出来ないからだろうと思う。
それなのでそこまで競争する必要があるのか疑問であり
ある程度出来ればそれでいいぐらいしか私の価値観は持てない。
そんな暇があったらもっと中身のある事で勝負したいのが私の価値観である。
だから私の頭には適当に済ませるという事もインプットされている。
それでも
それなりに競争してきたのは事実であり
私にはそれを否定するような気もない。
私にはどっちもどっちというのが私の価値観である。
意地になって競争する気もないし
競争しない手段もとらない。
それが私の今までのスタンスである。
そんな競争より大事な事があると思っているし
それは競争の上で成り立っているとも思っている。
それが私の競争に対する価値観である。
そしてそんな競争でみんな同じようになるわけがない。
中身が大事でも最低基礎知識ぐらいは大事である。
なのでみんな同じようには成功しない。
それが私が直面する事実である。
それを私にもどうしようもない。
神がそういうそれぞれのレベルに示しているぐらいしかない。
だから私に出来るのは私がやる事を述べるぐらいしか出来ない。
あとは神まかせである。
他人が出来るか出来ないかは神が決める。
ただ言えるのは私には出来たというだけである。
そして早稲田が腹が立つと言って東大がマシなんて
私には理解不能である。
みんな権力や権威に負けているぐらいにしか思えない。
そんなんより中身を考えるに何が必要なのかの方が大事である。
結局学歴も職歴もお金で成立している。
それなのに東大がマシなんて東大も同罪である。
早稲田に対する価値観は東大に対する価値観と同じだからである。
ただ違いを申し上げれば
英語と数学と理科一科目の早稲田か
国語と社会一科目と英語と数学と理科二科目の東大かという事だろうと思う。
私は専門考えればそんなに違わないと思う。
違いを述べればそれだけ訓練して勉強して頭使ったという事だろうと思う。
だけど
それだけで差別するのも如何なものかというのが私の実感である。
世の中の専門はそんなんで差別化出来ない。
もっと専門の方が奥が深い。
なので大学入って以降の方が問題である。
それは数学だって物理だって同じである。
高校ぐらいの知識でなんてことない。
だから頭の体操ぐらいしかない。
なんで私がこんなこと言わなければいけないのか理解不能である。
明日は日曜日
ゆっくり休んで気分を変えたい。
ボチボチである。
<<追記20170930end
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