2021年1月6日水曜日

「社会責任論」の到達

 私に感謝するぐらいなら日本国民の何割かが統合失調症なら東大生京大生政治家もその割合にすべきである。

環境問題も物理の問題で解決するかもしれない。

それが現実なら二十一世紀も物理の世紀である。資本論とかコモンとか言う前に人間の問題である。

それが責任を果たすということである。

それは上司も会社も同じである。責任の果たせない上司や会社は退場すべきである。

何らかの責任を果たしているから仕事しているのである。果たせないものは別の仕事しかない。

それなのに学校の先生も医者の先生も政治の先生も無責任である。

責任を果たさない以上退場しかない。責任を果たすから仕事しているのである。

今の現状が今の世を反映していないなら反映させなければいけない。それが東大生京大生政治家である。

全てが特権階級になっている。それは不正義である。今の世に反映させるべきである。それが責任を果たすということである。

つまり学歴と職歴が現状として責任を果たすものとして反映されていない。

明らかにこの世は間違っている。責任を果たすものから学歴と職歴に反映されるべきである。

無責任な競争が学歴と職歴を助長している。そこに正義が無い。もっと責任を果たす社会にすべきである。

それぐらい上の層はだらしがない。責任を果たしていない。それが間違った社会のもとである。

現状はひたすらに責任を果たそうとしない学歴と職歴である。

それぐらい責任を果たしてこそ仕事があると私は思う。それは上司も会社も同じである。

労働者に希望と未来を提示出来ない会社や上司は明らかに責任を果たしていない。

そんな無責任地帯が日本社会なのである。それから脱却しなければいけない。

お互い責任を果たしてこそ仕事が成立する。それが日本国民万民に言えることである。


それが私の感じる社会の矛盾である。


私に責任をはたすことに追い込まれているのに上司や会社は責任を果たさないで逃げている。

それが私のまわりの社会でも同じである。教育問題労働問題医療問題全てに渡り先生方は逃げている。

責任を果たしているとは言えない。それなのに私ばかりが責任を果たすことを要求される。

どう考えてもおかしい。

私に感謝するぐらいなら社会環境を変えた方が良い。それが東大生京大生政治家の方々も同じである。

出来るだけ私を含めて世の中の現状に反映させるべきである。

それが私に感謝するぐらいなら感じるべき社会環境問題である。

なのに上司や会社は責任を果たさないで私を使って仕事を成立させる。

もっと職責を感じるべきでありそれが出来なければ別の仕事した方が良いと私は思う。

なのでどこの仕事も責任を果たしてこそ仕事が成立すると私は思う。

それぐらい私のやる事は責任を果たしたぐらいしかない。物理も教育も環境も責任を果たし医療は未だに実験道具にされて人権問題である。

そんな無責任地帯でどんな奴であっても仕事は成立しない。

それが私の感じる社会責任論である。


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