2017年3月5日日曜日

稲取駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20170305
今日は稲取まで車で行って
稲取駅でウォーキングをした。
途中に金目の味噌汁とゼリーとお茶を頂いた。
帰りは
店屋でアジ寿司と金目の煮付けを購入し頂いた。
色々話は尽きなかった。
それがせめてもの救いである。
海岸線は気分が良かった。
春は近づいている気はした。
今日も一歩一歩確かめるように
考えていきたい。
それぐらいしかやれる事はない。

何となく他人の無理解が身にこたえる。
ここまでやってもまだ存在するから
あきれてものも言えない。
人生とはそういうものの連続らしい。
レベルが違うと言っても
そんな事はないと言われれば
私の立つ瀬がない。
本当に私に権力がない証拠である。
それが肉親でもわからない。

この現象はいくらやっても無駄だと言わんばかりである。

そういう弱者が私なのである。
いくら立派にやってもただの弱者である。
そんなん不公平である。

だから私は立派なはずがないと肉親も思っているのである。

私自身誰よりも立派だと思っても通じない。
それが弱者なのである。
立派にやっても弱者なのである。

それが如実に社会を投影している。

そして誰一人立派な奴がいない。
本当に誰がこの社会を救うのか私には理解出来ない。
正義は誰もいないということが
私一人考えても成立するのである。

そんな世の中でいいんでしょうか?
私はそういう風に社会から言われているように思う。
みんながそういう風な社会にしてしまっていいんでしょうか?
そう問われているように私は思う。
それは現実を直視出来無い一点にあると私は思う。
<<追記20170305end



1 件のコメント:

  1. 本当にとっちが本物かわからなくなる。
    そんな社会を許していいのかと思う。
    もうちょっと現実を真剣に直視した方がいい。

    私の方も頭を冷やして冷静でいたい。
    それなりに時間が必要なのかもしれない。
    周りがそうでも私は違うのである。
    それがわかってくれない。
    そのために私はストレスもかかっているのである。
    何のためにストレスを感じる必要があるのだろう。
    そのこと自体が許せない。
    正義が無いのである。
    私にしか正義がない気もしてくるほどである。
    それで何で苦労のわかる話なのか正反対である。
    疲れる話にしか思えない。

    一つ一つ事実を積み上げて
    冷静に処理したい。
    しばらく時間が必要な気がする。
    それでもたくさん時間を使っているのに時間が足りない。
    それが私の実態の気がする。
    ボチボチやりたい。

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