2018年11月7日水曜日

雑記

<<追記20181107
昨日話しの途中でジョージ・ガモウの話になった。
一応ロシアからアメリカに帰化した人である。
私が大学院生の研究がこの人の縁である。
アメリカ人では研究がニッチであるとの評もあるらしい。

子供向けに小説を書いている。
物理と遺伝子とかの小説である。
遺族が最新の科学に改訂している。
ちょっと本としては高いけど沼津図書館には存在している。

物理ではビッグバン元素合成で宇宙の大部分を占める
元素の水素とヘリウムの存在率を証明してノーベル賞をとっている。
今の宇宙全体が三度Kであることを予言していた。
私が大学の頃は宇宙背景放射が話題で観測の人がノーベル賞も出ていた。
その後遺伝子の研究をしたようだが失敗したらしい。

昨日の話だとパスカルのパンセの話もした。
学校の無い時代で父親の教育で育てられた時代で
ノーベル賞も存在していなかった。
パスカルの死後遺族が書き残したものを集めて出版した。
クレオパトラの鼻が高かったらとか
人間は考えるアシであるとか名言が残ってる。
なんかデカルトは科学がシステマチックな世界論だったのに対して
ちょっとパンセは科学に冷静だったようで対極にあるらしい。

私がこんな事を書くのは
月曜日の影響があると思う。私の文章が他人に評価されていないと他人に言われた。
そうかもしれないけど私のために言っている気がしなかった。
ほとんど見えない他人に向かって言っている気がした。
私のことなんて眼中にないそう言っているように聞こえた。
そんな手前この人に何を言っても無駄だなと思った。

私は私で物理に対して成果をあげた気でいる。
ここまで書いてきたのもそれがあるからだと思っている。
私が書く意味がある。それだから書いているのである。
それがジョージ・ガモウとパスカルに私自身かぶっている気がして
今の科学としても十分成立している文章のように思うが
誰も考えないから私が考えるになっている。
それぐらい文章を書くというのはそれぐらいのバックボーンがあるからだと思う。
それを評価されていないとか評価するとか私には別次元である。
私には無関係な事言って私より他人に言っている気がした。

私にはもっと私のこと考えてくれる人が必要である。
他人の話なんてどうでもいい。
それが私の本音である。
それで三島市からお金をとっている。私のことについて無責任である。
それも無駄なお金だなあと思う。
もっと福祉とは何か哲学が欠けている。
それが私の前で起こっている。それが私の実感である。

今日も書いてしまった。
明日もなんかでっかいテーマがあるけど
気が重い。気分次第である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181107end

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