2018年11月28日水曜日

雑記

<<追記20181128
私自身もう他人を説得する気が無い。
賢い側の話というより馬鹿側の賢い論である。
そんなの永遠に話が合わない。
だってどうやったら賢くなるのかというより
馬鹿が生きていけるかという話だからである。
そして本人は馬鹿じゃあ無いと言っている。ただ言っているだけであって馬鹿である。
どうしてそんな現実逃避をしようとしているとしか思えない。
それに付き合う私は馬鹿馬鹿しいだけである。
馬鹿をアホにしても同じである。
都合の良いように考えたって現実逃避にしかならない。
そんなんよりどうやって賢くなるかの方が普通の人である。
つまり普通の人じゃあ無いつまり馬鹿とアホである。
そんな現実感覚で社会が通用したら税金の無駄である。
そんなこんなで平気で税金の無駄を続けるつもりなのか私には理解不能である。
とどのつまりつける薬がない。
どうしてそんな他人を説得せなああかんのか私は投了である。
もうここまでくると好きにして下さいぐらいしかない。
私も勝手にしますぐらいしかない。
それが私の中卒と高卒である。誰も見守られていない。そう地上の星である。
その間私に勉強方法を聞いた人はただ一人だった。
それも私には自信が無かったからこたえなかった。
長文から単語を覚える以外の英語の勉強方法だけが抜け落ちていた。
それが大学出てから十八年悩み続けた。
外国人の話しかけられたのもキッカケだった。
結局私にあるのは高校受験の英語の感覚だけだった。
それを大学受験にもだった。
そうやって当時の感覚をよみがえるにはどうしたらいいかを考え続けた。
そうやって今がある。今は他の外国語にも適用しようとしている。
そうやって賢くなろうせず都合の良い賢い論は無駄に無駄である。
そして賢い意見も聞きたくないなんて本当にご都合主義である。
そんなの普通の人じゃあない。単なる馬鹿とアホである。
それを私が説得する気になれない。
勝手にやってろこっちも勝手にしますぐらいしかない。
それが私の中卒高卒時代なのである。そして地上の星だった。
その再現はもうこりごりである。せめて大卒や修士修了にとどめたい。
無理解な話は中卒と高卒で終わりである。
専門性もあるけど普遍性の理解は大卒や修士修了である。
さらに気が進まないのはいつまで地上の星をする必要があるかである。
馬鹿とアホが地上の星をすればいいのだけどそんな気も無いはずである。
そんな気があったら普通の人になっている。

そんないい加減な状態をこの世は許している。
なので馬鹿とアホだけが無責任とは言い切れない。
それが問題の根本だろうと思う。
権力争いしか出来ない世の中が浮かび上がってくる。
それを馬鹿とアホにクローズアップしても仕方ない。
それが私の実感である。日本人全員が無責任なのである。
それを隠しても隠しきれないところが問題である。
それが私の本音である。

今日も書き込みをしてしまった。
一応これでもフェードアウトしたい。
なんかあんまり書くこと無く書いて文句ばかり出てくる状態である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181128end

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