<<追記20181014
今日は伊豆長岡駅から田京駅まで歩いた。
伊豆箱根の企画でスタンプ二つになりリストバンドを入手した。
また抽選で何か当たるみたいである。
道端にコスモスが咲いていた。
それ以外はただ話をしながら歩いた。
もうここまで来ると誠実に生きて誠実に会話するぐらいしかない。
あんまり障害者の役目を終えている。
もっと健康的に生きるべきである。
仕事もあんまりコロコロ変われない。
性根をすえてもう一回ぐらいが限界だろうと思う。
それぐらい私の人生の節目に来ていると思う。
それが台無しになるか有効になるか瀬戸際である。
もう十数年しか残っていない。それぐらいのことを出来るか出来ないか問われている。
それで今の所私の人生をかける仕事は見つからない。
それなのに他人のいい加減な仕事ばかりが私の文句になっている。
それがなんで正義になるのかわからない。
仕事で出来ない人間が当たり前として正義になっている。
普通は仕事完了して正義である。
そんな繰り返しで私の人生は台無しである。
正直な話女も男も付き合いかねる。もっと一人で工夫してた方がマシである。
そんなんでどうして共同作業になるのか私には意味不明である。
どうやったら仕事出来るのかわからないで文句を言っている。
そんな文句に付き合うほど暇時じゃあない。
それが私の実感である。もっと他に方法を見つけた方がラクである。
そうして私の話は取り残される。ほとんど他人が意味不明なだけである。
そんなのと関係のない仕事がしたい。
私の人生返して欲しいぐらいである。それよりもっと真剣に生きたい。
とりかえしのきかない仕事よりはまだましみたいで続いている。
私としては未だに幻聴があって何の情報の価値もない。
それは私にとってストレスでしかない。
それは男だろうが女だろうが同じである。
つまり役立たずだというだけである。
それで人間関係は成立しない。もっと人間自立せなああかん。
それを毎日くり返している。そういう無駄をくり返しているだけである。
私にとってストレスで無意味でしかない。
もっと他にやる事はたくさんある。ただ単にそれがないだけである。
それがわからない以上役立たずなだけである。
そうやって無駄に無駄を感じている。
もっと色んな情報を聞いていたいのが私の第一感である。
茶道や華道もそうである。
他にも色んな道がある。それが役に立つという事だろうと思う。
それなのに幻聴はつまらない話しか聞こえない。
そんなストレスをかかえている以上人間に対しても同じである。
ミカンと柿がなっている。ともかく秋である。
今週の一週間の日課は終えた。
また外国語のほんの一部の考え方を変えて来週は日課をこなしたい。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181014end
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