2018年10月18日木曜日

近況

<<追記20181018
他人の言う通りならんことに納得いかないのが
私に何の関係があるのか私にはわからない。

そんな事はたくさんあるってだけである。
大体なんでエラそうな他人の言う通りになるだろうかと思う。
大体採点つける先生にもならないのになんで採点つけられなああかんのかわからない。
その絶対そう思う根拠がわからない。
理解出来ないのが信じられないのである。
それでどうやって採点されなああかんのか私にはチンプンカンプンである。
もっと先生にでもなって採点すべきである。
自分の思うようにやりたいなら勉強すべきである。
ただそんな俗世を渡ってるだけで自分の思うようにはいかない。
自分の思うようにいかないのはひとえに勉強不足である。
それが理解出来ないってだけである。
もっと他人を説得する勉強が必要である。それもなく万人にきく普遍性は語れない。
そうなのに何でそんなにエラそうなのか私にはただ恥ずかしい奴ぐらいしかない。
それで正義は通る気はしない。
もっと他のことを考えるべきである。
それなのに出来ないことへの弱者の目は弱者を利用しているだけである。
そんな事よりどうしたら出来るかを考えた方がいい。
出来ない事考えても時間の無駄である。

大体そんな事考える奴が間違っている。
それが物事を変質させている。
そんな他人は弱者にとって面倒なだけである。
もっと全体を見渡せる人が採点をつけるべきである。
そんな勉強も出来ない奴が採点をつけるべきじゃあない。
それなのに絶対とか許せないとか面倒に面倒である。
もっと論理的じゃあないとそれは正解にならない。
ほとんど感情論である。
そんなんで民主主義も成立しない。会話も成立しない。ほとんど妄想である。
なんでそれで私はそれに付き合う義理があるのかチンプンカンプンである。
それで他人は自分の言う通りならんと我慢ならんのである。
それで時間を使っている。ここまで来ると犯罪である。
何でゼロ点で自分の言う通りになるのかわからない。
普通は百点で自分の言う通りになるはずである。
そんな点数感覚も存在しない。
私にはある感情は基本的人権の侵害であり常識も通じない犯罪である。
どうして私の正当防衛が成立しないのか文句たらたらである。
もっと私の要求に応えて欲しい。
どうしてそんな低能で私は採点を受ける必要があるのか私にはチンプンカンプンである。
点数じゃあなく百歩ゆずっても
なんで妥当性もなく他人の言う通りにはなるはずがない。
ありえない人がありえないこと言っているだけである。

たまらん他人のせいで今日も書き込みをすることになった。
明日も短歌と俳句だけにするように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181018end

0 件のコメント:

コメントを投稿