2017年8月26日土曜日

近況20170826

<<追記20170826
今日は昼間一時間歩いて
湯の国会館に行ってきた。
何となくストレスを感じているのか
スッキリした感じがある。
今日も良く寝れそうである。

午前中はテレビの録画見ていた。
湯の国会館で俳句を作った。
家に帰って短歌を作った。
ちょっとだけ秋の季語を少し探した。

次元に至る経緯も
「みちしる沼津」の社長にザゴールの本を紹介されたのが
起因している。
続編も読み進めると原子の分類の話が出てくる。
それで五つの力を分類してみたら
次元になるのを思いついた。
ここ三年間の話である。
最近の仕事でもザゴールが出てくる。
どのように各作業時間を配分すれば早くなるのかという話に直結する。
そんな簡単ではないし
慣れれば早くなるというのもある。
何に慣れるのかが大事である。
どういう結果に慣れるのか考えれば慣れる。
ザゴールの話をうのみにするのもコワイ。
なぜなら物事はそんなに簡単でない気がするからである。
使えそうなら使うでいいと思う。
使えそうでなければ使わなければいい。
何かしらのキッカケにすればいいと思う。
いろんなものが単純化すると総合的に複雑になる。
なので一個人が単純化すればするほど世界は複雑になる。
なので仕事が単純化するからと言って
すべてが単純化しない。総合的に複雑化する。
世の中そんなものでまだまだ単純化する事もたくさんある気はするけど
単純化する場面が増えるほど複雑化する場面も増える気がする。
なのでこのザゴールの結論は私には見えない。
人類の未来に直結する。神にしかわからない領域である。
自然科学の未来図も私には見えない。
どれだけ私達が知らない自然法則があるのかわからない。
それなので
私に言える事は一つだけである。
使えそうなら使う。対偶だと、使えそうでなければ使わない。
そうやって物事の危険性をみずから回避するしかない。
結局真実は神しかわからない。
人間のやる事はただ今わかっている科学でしかない。
そうやって石橋を叩いて渡るしかない。
なのであんまり私もたいそうな事は言えない。
言えるのは私が何か思いついてそれがどういう風に影響するかぐらいである。
それが人間の営みってやつじゃあないのかと思う。
なのに
それが許せないなんて
私に聞かれても私は知らない。
そんな事より人間の営みの方が大切である。
なぜなら私も人間だからである。
どうして人間が神になろうとするのか私には信じられない。
そっちの方が私には理解不可能である。
特定の人が判断しないと納得がいかないなんて
なんでそんな人がいるのかの方が不思議である。
結局そんな人とは話が通じない。
モヤモヤというよりアキラメの方が強い。
そんな感じで自然科学はなっていない。
何度も同じ実験して同じ結果になってはじめて科学になっている。
それが新たな理論が生まれるのは
局所的に違う世界を生み出すからである。
つまり未来の科学が出て来ても今までの科学はある領域で正解なのである。
なので今の科学がダメになる事はない。
偉いやつがいくらダメだといっても今の科学はダメにならない。
それが自然科学なのである。
なので人間が神になる事もない。
なのに今の時代神になろうとするやつがいるとしか思えない。
そんな判断いらないというのが私の意見である。
ここまで来たらモヤモヤどころじゃあない。
アキラメである。
明日は明日
とりあえずボチボチである。
<<追記20170826end

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