<<追記20170111
私は幻聴で誰かわからんけど
一人の女の叫び声がする。
2003年ごろは同窓生の女二人の声だったが
途中で全く判断出来無い一人の女の声になった。
毎日反論してストレスをかかえている。
日本語にもならない叫び声で誰が理解するのか私にはストレスなだけである。
なのでしんどいおもいを毎日している。
かえって自分で何かを考えている方がラクである。
それが幻聴の時はそれがなかなか難しい。
よほど考えたいことがないと引きずってしまう。
なのでリラックスしていると最悪である。
そんな私が
特別な事が出来るのだから
テストなんてやっても
どこもどいつも似たり寄ったりなんじゃあないのかと思う。
テストやって高得点だから能力あるのか私には自信が無い。
私もそれなりにテストやったから
どうすればいいかぐらいは書いてきた。
でも似たり寄ったりだからテストしている気がする。
それで納得する気が全く無い。
ただの言い逃れである。
だって誰がやってもそれなりに出来るからである。
あとはやる気だけである。
やる気が無いかあるかぐらいしかない。
だけど本当は何が正解かわからないで物事が進んでいる。
それでも正解を見つけるのはなぜかそれが大事である。
それがテストで見いだせるから本番も見いだせるとは私は思えない。
結局才能はそこで決定的に違ってくる。
誰もたどり着けない正解こそ才能である。
知識のように誰かが結論を決めつけても正解とは限らないものをどうやって
正解にたどり着けるかが究極の問いである。
私はそれこそが本当の学問だと思う。
知識即正解では無い。
それがわかってもらえないから
私が困っている原因だと思う。
正解がわからない中
わかっている知識を運用しなければいつまでも正解にならないのである。
いくらやっても他人が正解にならないまま
私を苦しめている。
他人の分はほっといて私だけでも正直ラクになりたい。
以上私の苦しみでした。
<<追記20170111end
自分の苦しみについて語る仕事場があって
返信削除他にも色々しゃべったけど
少し記録する事にした。
人間語りだすとキリがない。そういった感じになってしまう。
あしたもボチボチやりたい。