今日は函南駅から丹那まで往復歩いた。
オラッチェで大根とソフトクリームを注文した。
富士山は見えなかったけど
菜の花が咲いていた。
科学の世界にも色んなタイプが必要なように
ここ日本でも同じである。
善とか悪とかで判断出来ない。
人が目指す先に必ず真実が待っている。
それが自然の神秘であると思う。
すべては神次第である。
私はそう思って今までやってきた。
私のやる事は神に許されているからだと思う。
それ以外は私には良くわからない。
今も神に寄り添って生きている。
全てを決めるのは神だと思っている。
人ではない。
だから私がえらくなる事は無い。
ましてや他人がえらくなる事も無い。
私にあるのは挑戦だけである。
その道は神様の言う通りである。
神が決めてくれるそう思っている。
そのためだけに私がいると思っている。
そのための色んなタイプが必要なのである。
全世界のただ一人ではない。
それがたまたま一人になっているだけである。
神様のせいかわからんけど
全部神様に聞いて欲しいぐらいである。
それが私の本心である。
<<追記20170109end
物理の理論が統一される。
返信削除究極の理論が完成される。
そして化学や生物に派生する。
そこまで行けば
関心は生命の謎かなあと思う。
何年かけて
そこまでたどりつけるか
わからんけど
面白い未来になればいいなあと思う。
期待出来る気がした。