2022年8月13日土曜日

雑記

 <<追記20220813

今回のブログのテーマは歴史の本である。私が世界初とか人類初とか世界史初とか書き込みしている時に

「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編」読んでいると世界には色んな奴がいることを認識した。

それでこの日本にも色んな奴がいるに違いないと日本史に注目している。2022年間色んな奴がいる。

色々時代は進んでも人間の想いは変わらない。こんなに時代が変わっているのだから国家も変わらないといけない。

税制もそうだし法律もそうである。そんなに昔のようにくり返しても進歩しない。

それが歴史を見れば今のようにはいかない現実を見る。それぐらい時代が変わり出来る事が増えていると私は感じる。

道具も変えた方が良いと私は思う。それぐらい新しく出来る事を追求した方が良いように歴史のおもひが伝わってくる。

それぐらい人間のおもひが歴史を変える。それが歴史の中から人間のおもひが浮かび上がってくる。

もっと人間に出来る事はたくさんあるように時代の進歩とともに感じる。それぐらい今のままで良くない気がする。

それが人間のおもひとして浮かび上がるとそれがヒントになりうる。

それぐらい無関心が凡人のはじまりのように思う。何が気になるのかそれが人間の大事な部分のように思う。

そしてそのおもひを実行出来てはじめて実現する。


私が学生時代に苦しんだのは周りに空論が多い事だった。それぐらい失敗事例が多かった。

それが私を哲学に走らせた理由だろうと思う。それぐらい色々なことが大学にあってもそれも解決しなかった。

それが私を自問自答させた原因である。それぐらい中身を問わない大学だった気はする。

要するに唯物論だったのだろうと思う。唯心論ではなかった。それが今になれば救いでもあった気はする。

何だかパソコンがあって今の生活を満足している事を考えればやっぱり私も唯物論なのかもしれない。

そんな唯心論と唯物論の狭間で戦っている気はする。


そんな感じなので歴史上の人物も何か大切なものがあって歴史が成立している気はする。

そこには実践と理論があるんだろうと思う。それぐらい相手にしてもらえる何かがあったんだと思う。

要するに空論で終わらせなかったんだろうと思う。


それが2022年間色んな人物が歴史になっている。もっとこの時代に出来る事は山ほどあると思う。

それぐらい時代の進歩は急速に進んでいる。私はこれをなめたらあかん気がする。

なのに従来の政治で良い気がしない。もっと色んな事を実現しないと時代に合っていない。

それぐらい昔と今は格段に違う。それが歴史が物語っている気はする。

なのにあんまり良い政治をしているように見えない。世界がフラストレーションでたまっている気はする。

政治は力学で考えるし政治は普遍性を軽視するし政治は昔のままである。

普遍性はある意味共通項である。人間の共通項であり生物の共通項であり自然の共通項である。

それがバカも秀才も見誤っている。それが不協和音を醸し出している。

そんなのと関係無く人生が送れるだけである。どこまでもスルーである。


私はバカに文句を言われたくないのはその文句が苦しまぎれだからである。そして全く無関係だからである。

要するにストレスなだけだからである。そんな文句が私に何の関係があるのかが理解不能である。

要するに黙っているのもストレス言い返すのもストレスなのである。

それぐらい生き様は歴史の本にも難解である。


来週のブログは思い切って物理と数学の話にしようと思う。多分一回で終わらないつもりでいる。

小学校からはじめようと思っている。なので私のやってきたことをブログにぶつけてみようと思う。

いかに私なりに階段を上がってきたかを説明出来ると良いなあと思う。それが同じになるとは何か見つけられるのか

私にもわからない。現状バカとは差がついているのを認識するだけである。それが私の動機である。


来週もボチボチやりたい。

<<追記20220813end


<<追伸20220813の小言

ともかく土日は洗濯、テレビの録画、炊飯、短歌と俳句、メールチェックだけはしようと思う。

後は掃除と整理整頓と家の周りの雑草が気になるけど台風もあってノンビリやりたい。

土曜から盆休みである。何となく頭に変化球が気になってスライダーとか投げてみたい。

アンダースローでスライダー投げたらどうなるのだろうとか気になってしょうがない。

大谷投手のスライダーみたらどうも投げられそうである。それが気になる事だけど

ともかくボールと壁が必要である。それはそれで面倒である。


来週はよろしく。

<<追伸20220813の小言end

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