<<追記20211127
しかし他人は私との整合性がとれないのに気づいていない。いつまでやってもバカであるのにバカじゃあ無いバカである。
本当に気持ちが悪い。それが大阪のやったことである。それも理想が悪い。全然整合性がとれない。
話の出来る相手じゃあ無い。宇宙人そのものである。本当にチンプンカンプンである。
それも周りが許している。だから私は大阪がキライである。本当に避けて通りたい。それが本音である。
もっとまともに話出来る人と話がしたい。それが正真正銘の本音である。
もう全然話がかみ合わない。それが私の整合性がとれない原因である。なので私はひたすらに避けて通りたい。
男も女も同じである。全然話にならない。無駄に無駄である。それなのに女は話をせず叫び続けている。
本当に意味不明で日本語にならない。ズルイ女である。もう私にはどうすることも出来無い。
私にあるのは勝手にしやがれしかない。なので私の方としては会話が成立するかが大事である。
それも建設的な会話と実行があるかにかかっている。本当に男と女はツマラナイ。もっと楽しく生きられない。
それが整合性のとれない現実を感じる。お荷物にお荷物である。
もう来週は十二月である。少し読書は小説ぐらいにして整理整頓と掃除と庭の手入れをしようかと思う。
どうも年末年始も一人のようである。本当に現状はさびしい世の中である。
誰も戦力にならない。この国には組織力が欠如している。それが私一人にあらわれていると思う。
年末年始はその代わり読書とDVDと録画でも消化しようかと考えている。その分好き勝手出来るわけでそれまでの我慢である。
それとプログラムの本を読破するという計画もありかなと思う。すごくモナドが気になるのとUnityとAWSも気になる。
そんな事やっているうちに年末年始が終わってしまいそうである。それぐらい簡単に解決しない。
それぐらい私の苦労がわからないのにどうして私と同じになるかが全く理解不能である。
なのでジタバタしても解決しない。それが私の感覚である。それぐらい若い時と中年は違うと思う。
同じようにはならないのに体力や気力ではどうにもならない。それが苦労って奴だと思う。
何か冬休みも優先順位が大事のように思う。気分転換も必要である。買物にウォーキングも必要に思う。
それとまた年賀状作る時期に来ている。十二月分の沼津百選の俳句もある。
私の中であんまり一年がわけわからん感じになっている気はする。あんまり希望が無い。
それでも楽しく生きたいと思っている。それが両親に負けない根拠のように思う。
生きている以上は楽しく生きたい。それが私が存在する根拠である。ツマラナイ他人のためにツマラナイのはナンセンスである。
それが私の両親の方針だった気はする。私は私でそれに負けていられない。
こんなに楽しく生きているんだぞと両親を思っている。それが私の使命である。
それにしても何で私が他人のためにお膳立てする必要がある根拠がわからない。そんなの私にとって無関係である。
それも他人の目標のためにである。根性が曲がっている。私はそんな他人にどうにかしてもらう人生は送っていない。
自分でどうにかするために悩んできた。当然他人もそうすべきであるのに私にどうにかしてもらうのは私にとって奴隷である。
そんな間違った感覚がおかしい。どうしてそんなにバカじゃあ無いバカがエライのかが理解不能である。
そんな手前理想とか正義とか厄介である。それぐらいそれが他人を奴隷にする根拠になっている。
それぐらいバカじゃあ無いバカは最悪最低である。あんまり理想とか正義とかバカじゃ無いバカに与えるものじゃあない。
来週もボチボチやりたい。ともかく元気が一番であるが一歩一歩である。
<<追記20211127end
<<追伸20211127の小言
しかしまあ私にバカじゃあ無いバカに関わる予定は全くなかった。避けて通れると思ってた。私の領域には無関係だと思ってた。
それぐらいバカじゃ無いバカは困った人である。扱うのは難しいと思う。時間の計算が合わないから整合性がとれない。
それで高卒だから大阪もどこかおかしい。それぐらい甘い大阪だと思う。
それで勉強が出来る根拠が私にはわからない。要するに軟弱である。私は付き合いきれない人だと思っている。
話をすればするほど私は困ってしまう。それぐらい会話が成立しない。それぐらい整合性がとれない。
そのため避けて通るしかないと思っている。それが私の小中学校だった。合理性に欠ける。
正しいが正しいにならない。先生も変である。まともに正しいが正しいにならないからである。
だからそんな先生の事を鵜呑みすると最悪の人生だと思った。それぐらい先生もアテにならなかった。
それがそのままバカじゃあ無いバカが勘違いする原因だったと思う。それぐらい理想と正義が蔓延していた。
そんな事より正しい事が正しいにならない理想と正義だった。先生の責任はそこにある。
社会的責任は先生にある。私にはそんなの無抵抗であり権力は無い。
それぐらい理想と現実の格闘がわかっていなかった。今のベストもわかっていない。それぐらい理想と正義は厄介だった。
ともかく年末に向かってボチボチやりたい。よろしく。
<<追伸20211127の小言end
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