2017年3月14日火曜日

雑記20170314

<<追記20170314
本人は正しいか正しく無いかで悩んでいるのに
困った人はどうにかなるかどうにかならないかで悩んでいる。
どうしてそれがみんな同じになるのか理解不能である。
全く私には関係の無い話である。
それで私に関わろうとする。ストレスでしかない。

何も全て私の一存で物事が進んでいるわけでない。
私のやった事は水泳大会も同じように
他人もそれでいいと思ったからである。
そうで無ければ先生が許さない。

逐一私のやった全ては他人の一存も関係している。
私がきっかけであってもそれなりの承認を得ているからである。
それが私の悪の権化になっている。
見当違いもはなはだしい。
困った人の人生なんて私はそんなこと考える余裕はない。

もう全てが全て全然レベルの違う話である。
なのに困った人が私に何の関係があるのか理解不能である。
今の私にそんな余裕は無い。
ラクになりたい欲求しかない。

困った人が困ったこと言って困らしているだけである。
そんなん私の話なんて聞く耳無いのに処理しようがない。
勝手に困ってろぐらいしかない。

いつまでこんな不毛な議論するのか私には信じられない。

私がやさしいで済んでたらこんな風にはならなかった。
そういう意味で勇者であり勇者のやさしさである。
現実は勇者が残ったというのが現実のように思う。
<<追記20170314end


2 件のコメント:

  1. 賢者という線もあるが
    なんか、そんなクレバーな
    温室育ちには程遠い。
    電磁波の悪環境の中で
    それでも愛をとなえるのは
    まさしく勇者のように思う。
    体の苦痛に耐えてる。
    勇気無くして生きていない。

    それなのに
    どうにかなろうとする話で
    話はまとまらない。
    勇者の風上にも置けない。
    色んな苦痛に耐えきれてない。

    私はそれより耐えてる。
    そうして、のりこえてきた。
    やっぱり勇者にとってやさしさは
    太陽が身にしみる。
    太陽のような人になれ
    そう言ってる気がする。
    あしたも書き込みしないのが
    目標である。
    出来るだけフェードアウトしたい。
    ボチボチである。

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  2. 勇者の やさしさとは
    おのれの苦労や苦痛を耐え抜いたやさしさではないかと思う。
    耐え抜いているからこそやさしいのだと思う。
    他人を批判するのがやさしいのではない。
    他人を擁護するのがやさしいのではない。
    自分の苦労や苦痛に耐え抜いているからやさしいのである。
    そこまで出来る自信があって
    勇者のやさしさだと思う。
    自分がサンドバックになっても他人にやさしいのである。
    それが本当の他人に対するやさしさである。
    私はそう思う。
    なのに他人に批判するやさしさなんて存在しない。
    それがわかってくれなくて私は苦労している。
    そうして今日も書き込みしてしまった。
    あしたも頑張りたい。目指せフェードアウトである。

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