<<追記20170304
他人と私が違うから
他人を認めるという事もある。
他人と私が違うから
話をするという事もある。
基本的に狭い領域の専門でさえ
チンプンカンプンなんだから
話ぐらいしっかりやらないといけない気はしていて
それが私が話をする原因である。
それぐらい他人と私が違うケースはあるんだという自覚はある。
だから私の場合と他人の場合は違う事もありえる。
それを認識するのも会話である。
そんな手前しっかりとした会話がしたい方である。
それが無くなったら人間として
それでいいのかというのが私の実感である。
責任感と信頼感はついてまわる。
それが会話一つでもあらわれる気がする。
それでもずうっと一つの事にとらわれず会話するのが
脇田流である。明日になったら忘れてる。
次から次へである。
そうやって毎日書き込みがストックされる。
話のネタはたくさん増えている。
それが私の幸福感である。
ボチボチやりたい。
<<追記20170304end
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