今日は母方の祖父の四十九日の法要があった。
色々仏の話を聞いて昼間は会食して解散した。
生きとし生けるものまっとうせねばなるまいかとおもいはした。
祖父のように幸せだと思えるかあんまり自信が無い。
ともかく帰宅後短歌二首作った。
正直努力はしつくした気はする。
残るはもう努力の延長線上にしかない。
従って時間の問題だと思う。
それを努力というのかあんまりわからない。
新しい事したら努力な気がするためである。
英語とフランス語の作業は昨日消化できた。
だけどドイツ語はまだ残っている。
三月中にやればいいやと思っている。
奥の細道の文章書き写しも
今日は短歌二首作って一日分やってのこりあと一日分三月中にやる予定である。
でも四月に入って作業量が増える。
芭蕉のボルテージがあがるみたいである。
私のボルテージもあがればいいけどどうなる事やら。
明日からまた書き込みの断筆を努力してみようと思う。
ここんとこそう言って何か言いたくなるパターンが続いている。
正直あんまり思いつく事無い。
あるとすると今日は何をやったかぐらいである。
そう言って何かを言いたくなるのは幻聴のせいである。
いろんな角度で文句言いたくなるのである。
それもどんどん限界に近づいていると思っている。
再度頑張って黙ってられる自分になりたい。
哲学嫌いの私にしては、それでも良くやったと思う。
あんまり文句の言わない自分になりたい。
それはそれで私の美学である。その割に続いているのがくやしい。
ボチボチやりたい。
<<追記20170312end
これ以上何をすべきなんかわからんぐらい書き込んだ。
返信削除ほとんど重複覚悟でやっている。
だからあんまり本人は何度も繰り返している気になっている。
段々文章が長くなっているのは
あれもこれも思い出すからだと思う。
それだけにあれもこれもたくさんある状態である。
これは本当に努力だと思う。
今日はもう努力はいい気がした。
人間考えてた事をたくさん書き込む人生があるんだなあと思う。
それぐらいたくさん考えてきて仕方無しに書き込んできた。
やり過ぎと言えばやり過ぎである。
人間考え方次第である。
それを感じてもらえれば幸いである。
それを自分の中で実現してきた結果である。
他人の力もあるけど私の力もある。
そういう人間関係を構築してやってきた。
それが私の結果になっていると思う。
ただ言えるのは私無くして私の結果はなかったという事実だけである。
それは私の存在がそれを可能にさせた。
それだけが現実である。
それが民主主義の成果だと思う。
そして未だに自由を求めている。
あしたはとりあえず書き込まない。それが目標である。