2017年3月7日火曜日

雑記20170307

<<追記20170307
現実は重い。私の感じはそうである。
私が中年だからかそう思う。
人と比べてどうとかの問題ではない。
私がどうのこうのより私の外部の世界が重い。
自然だったり科学だったり
技術だったり文学や芸術だっだりそれは私の問題を離れて重い。
私が何であろうと現実は重い。

それなのに私と比べようとするのは間違いだと思う。
そんなんで解決しない。
世界は複雑で重くて普遍的だからである。
私があらわれているというより世界があらわれている。
そして私は世界をあらわした。
それは決定的に重い。
もうすでに私の問題を離れている。
世界の問題になっている。

世界相手にたたかった私がいる。
私自身複雑で重くて普遍的である。
もうどうしようもないレベルである。
それが私を現実は重いと思ってしまう。
中年とはそういうものらしい。

それなのにいつまで、つまらない女の相手をする義務があるのか理解出来ない。
中身のある女しか相手する気はない。
それが私の本音である。
つまらない気がする女となんて私は嫌だ。
それが幻聴で気分は台無しである。
いつまで日本語にもならん女の相手なんてする必要があるのか理解不能である。
要は中身である。
それがなかったら一人で過ごす。
最悪私はクローンで十分である。
バカでアホな女なんて願い下げである。

私は賢く生活したい。
当然の欲求である。
極めて自然である。
<<追記20170307end


1 件のコメント:

  1. 人と比べる時間があったら
    努力した方がマシである。
    努力とは何か知らないから
    人と比べようとしているとしか
    思えない。努力するほどに
    深淵で精密で複雑であり普遍的である。
    人と比べる余裕無い。
    そんな暇あったら努力すべきである。
    人と比べる暇があり過ぎである。
    人以上に努力する事いっぱいある。
    その事実は
    人だけで解決しない。
    人より努力がまさる
    私はそう思う。

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