2019年11月16日土曜日

三島駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20191116
今日はスタートとゴールが三島駅だった。日大の食堂で昼食して帰った。
大場駅で時間があったので買物した。
午後は短歌二首と俳句三句作る予定である。
昨晩からAmazonの調子が悪くて困った。色々試したけど
結局アンインストールしてインストールしたら認証されたが
今までの書籍データは消えてしまった。
また書籍データの整理せなああかん。また一日一日である。

それでも三島を歩きまわって元気になった気はする。
銀杏並木もあってウソみたいだけどそれも一歩一歩である。
私は何がやりたいのだろうかと思うけどあんまり思いつかない。
人生そんなものかなと思う。惰性で生きている。正解は無い気がする。
それでも生きているのが仕事のように思う。
あんまり深い意味があるように思えない。それなのにみんな必死になっている。
本当にむなしいなと思う。それが私の学歴職歴論である。
なのであんまり結果のある人いない気がする。それで仕事している。
それが私の現実認識である。だってもっと大事なこといっぱいあるからである。
なのに仕事や学業でもめている。あきれを通り越してさめている。

私が会社をおこして何がやりたいかも思いつかない。
人間が幸せになる事をしたい。仕事もそうである。学業もそうである。
そのためには能力が大事だと思う。そんな毎日が送れるのが大事である。
人間が幸せになったら何をするのか私にはわからない。
でもそれが他人に伝染する気がする。そうやって輪を広げたい気はする。
パソコン一つで絵画も音楽も書画もドキュメントもプログラムも人工知能も出来る。
要するにお金があれば何でも出来る。そんな時代に突入している。
あとあるのは自分が何をやりたいかぐらいしかない。
なのに学歴職歴にこだわって生活しても生活しているだけである。
何の中身も無い。私が思うに大切なのは中身である。
結局必要なのはコンテンツだと思う。それは本人が考える事である。
それなのに競争ばかりして落ち着いて考える事をしない。
大事な部分が抜け落ちている。それだからみんな置いてけぼりである。
必要なのはじっと本筋とは何か考える事である。
じっとしてもやりたい事が本筋である。あまりにジタバタし過ぎである。
もっと腹をすえて考えないと思いつかない。それが本筋である。
なので基本的に他人がどうとか関係が無い。それなのに生活に埋没している。
競争ありきである。もういい加減やめた方が良い。
そこからは何の発想も浮かばない。心の底から思っている事を考えた方が良い。
それなのに競争に埋没している。自分の心から遠ざかっている。
それが私が困っている他人像である。自分の都合の良いように考えているだけで
自分の本心とは裏腹だと思う。それがみんな同じだと思っている。
それ自体がバカである。そんなバカをこの日本社会は作ってしまった。
それで私はどうしたら良いのかわからない。無視しか方法が無い。
なぜなら何の接点も無いからである。ひたすらどうしようもないねえぐらいしかない。
本当に人災である。どうしてそれが許されるのか私には理解不能である。
許されるべき度を超している。次元は犯罪レベルである。

明日もよろしく。
<<追記20191116end

<<追伸20191116の小言
明日は父親の四十九日である。録画も消化したい。何となくゆっくりしたい。
何もしないのも何となく仕事である。短歌二首と俳句三句もある。
基本的にやり過ぎである。もうちょっとラクにした方が良い。
それでもやる事があるのは時代の要請のように思う。
明日は法事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20191116の小言end





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