<<追記20230715
先生の言ってる事が正しいなんて私は小四の秋の小学校の頃から疑ってた。それぐらい先生が良くなかった。
先生失格である。小学生の時の先生は中学校の先生を批判し中学校の時の先生は小学生の先生を批判した。
それ自体がまったく先生を信じられなかった。それが私の小学生時代であり中学生時代だった。
そんなんよりは小学生時代の塾の数学の先生の方がマシだった。小学生時代の塾の国語の試験で頭が痛くなった。
それが私を江戸川乱歩とかシャーロック・ホームズとか伝記とか読書に向かわせた。それが英語にも出ていたのかもしれない。
つまり小中学校の先生なんか何の魅力も無かった。それぐらいあんまり学校の時間は犯罪大国日本である。ほとんど無駄である。
自分で数学と英語やっている方がマシである。私は何か基礎学力が必要としたら数学と英語と読書のように思う。
それさえしてたら大学入試には間に合うように思う。それでもあんまりみんなが同じ路線を歩む必要は無いと思う。
だから私は私で違う時間の使い方をした人間だったのだと思う。なので先生の思うような人間じゃあ無かった。
私の方も先生を信じていなかった。もっと必要な事が学校以外にあった。先生失格である。
先生の言うことで幸福になる気がしなかった。先生のせいでみんなが不幸に見えた。だから先生は危険に見えた。
それぐらい本音と建て前は違った。先生のつき合いは形式的なものだった。それぐらい先生に見えなかった。
それなのに小中学校の先生の言っている事が正しいなんて私にはそうでは無かった。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私は世の中愛が大事だと思う。そんな愛を大事にする人がいると思う。それが日本に大事な部分だと思う。
そんな愛がふくらむように生きないと日本は良くならない。要するにつまらない人が多すぎるのである。
愛のために頑張る人がいないと大黒柱にならない。それなのに権力争いなんて支離滅裂である。
それぐらい愛がふくらまないのである。物理もそうである。物理も大事だけどもっとプログラムや機械に強くならないといけない。
それが物理の授業も不完全だと思う。まあ物理が主眼だから仕方無いかもしれないけどそういう遠回りも物理にも必要だと思う。
それぐらい外堀から埋めていかないと旧来通りの教育にしかなっていない。それぐらい全体の物理の愛が足らないのである。
結局自分の研究しか興味が無い。物理全体の研究の質を上げる視点が欠如している。
それが女性で問題が解決するのか私にはわからない。ただ言えるのは物理全体に対する愛が欠如している。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
バカのバカが散々こき使っておきながら私の意見は聞かないなんて人間として許せない。扱いがゴミと同じである。
なので私の方もバカのバカはゴミ扱いで適切である。それぐらい極悪非道で人間として最悪最低である。
世の中のもくずとなって消え去った方が人間のためである。みんなのために消えた方がみんなのためである。
それぐらい扱いがゴミ対応である。向こうがゴミ対応ならこっちもゴミ対応である。歯には歯である。
なのでこっちとしては何にも聞く気無し。極悪非道の最悪最低扱いである。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
世の中何でも物理現象スゴイ発想だなと思う。でもそれぐらいの勢いでやらんと世の中は解決しない気はする。
何だか大学だけが全てでないと言っているような気もする。それぐらい大きな世界に物理の人が散らばっている気はする。
大学だけしか見てない人の発想には思えない。それぐらい物理の人も大きな世界でチャレンジしていると言っている気はする。
それに比べてあなたはどうなの?と言っている気はする。それぐらいの号令の気迫を感じる。
だけどハイデカーの時間と存在よりは私は私で哲学になっている気はする。それでもまだ私も未完かもしれないけど
文学賞と生理学賞どうでしょう?だけど化学賞が一番遠い気はする。それよりも物理学賞どうでしょう?
そんな事よりは私が出来る事は何かの方が大事な気はする。それが私の今の所のアンテナである。
プラグマティズム的であり短歌と俳句もある。松尾芭蕉に匹敵するだろうと思う。短歌にも花鳥風月足らないかな?
それでも私にやり残したものを求めている。哲学で量子論の解釈を攻略出来無いかそれはそれで気がかりである。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
人間間違えないように生きるのが社会生活。間違っても可能なら修正する。人間が王道を進めるのが普通の社会生活。
それが出来無いのはこの世は何かが足らない。それも考えるのが人間である。まっすぐ生きられないのは何かが間違っている。
それを修正してまっすぐ生きられて普通の社会生活。それを不可能にするのはバカのまたバカのシワザである。
そんな事は私にもどうしようもない。不断の努力をしていくしかない。それが出来無いのがバカのまたバカである。
私にはそれはまったく関係の無い話である。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
不確定性原理は現象を説明出来るかにかかっている気はする。光しか現象を追えないなら今まで通りだし
どうやってか現象を追えたら変わってくるように思う。常に現象を追うしかない。そのための量子力学の解釈だと思っている。
だからある意味方便のような気もする。今は仕方無くそんな方便みたいな気はする。
それはどうにかして現象を追うことで問題は少しずつ変異していく気はする。その方法が結構未来を変える気はする。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
プログラムの助言があるとしたらコンパイラーとの対話とデバッガーとの対話を重視した方が良い。
あんまり頭の中で済まさない方が良い。端末と対話する感じでプログラムを作った方が良い。
テストも必要だと思う。そこら辺のテスト方法を大学でやっているのか知らんけど私の時代には無かった。
単体テスト、結合テスト、総合テスト、ブラックボックステスト、ホワイトボックステスト、
境界値テスト、条件全網羅テスト、そういう事を端末と対話しながら解決する事が大事である。一人で考えるから苦痛である。
端末と一緒に考えたら英語も強くなるし英語の反射神経も強くなる。それぐらいプログラムは端末との対話である。
それぐらい端末が何を言っているのか入力と出力のくり返しである。入力ばかりとか出力ばかりでは苦痛である。
そういう端末の入力と出力の会話がプログラムの良さである。データベースも大学でやっているのだろうか私の時代には無かった。
私はFortran90でデータベース接続を知らない。それぐらい浦島太郎状態である。
元素合成でたくさんの元素を扱うときどうしてたんだろうと疑問に思うけどもしかしたらデータベース接続だったかもしれない。
それはあくまで私の憶測である。それと機械とプログラムの関係もある。機械が正常に動くようにプログラムしなければいけない。
なのでプログラムの知識も多分物理でも役に立つと思う。私はプログラムよりは物理の方が奥が深いと思う。
それでも人間に出来無い事をプログラムはする気はする。それぐらい対話の出来る道具としては画期的だと思う。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今週も書きためてたら長くなってしまった。何でこんなに私を追い詰めるのか理解不能である。
そんな権限がどこにあるのかバカのバカは無神経である。もっと他人の意見を聞くべきである。
来週もボチボチやりたい。
<<追記20230715end
<<追伸20230715の小言
土日は最低、洗濯、テレビの録画、炊飯、短歌と俳句、土日の日課、メールチェック、月曜の弁当はやりたい。
最近は何か疲れがたまって夜起きたり朝が眠かったりする。なかなかスッキリしない。
なので良く仕事しているなとは思う。なので土日はゆっくりしたい気分である。
しかし何でこんなに私をいいように使うのか理解不能である。ほとんど他人の勝手の他人の都合が通っている。
そんな他人を大事にするはずがない。ほとんど他人の信用問題である。
来週もよろしく。
<<追伸20230715の小言end
0 件のコメント:
コメントを投稿