2021年6月12日土曜日

雑記

 <<追記20210612

何となくルソーのように理想の国家像を作り出したいけど現実問題難しくなっている。

他人の無理解が私の我慢の限界である。そんな現状に現実認識が難しくなっている。

誰もが理解出来るのをあきらめて理想の国家像を作らなければいけない。

それは一人ひとり責任を果たしその結果国家が成立するぐらいしか思いつかない。

要するに誰もアテにならなくても責任が果たせるからである。そういう自己努力でしか理想の国家像を想像できない。

私は波状効果のようなチームワークが私のイメージなのであるがどうもこのまま不可能のようである。

ただあるのは毎日の自己努力しか活路が残されていない。他人は無理解だと認識した方が良いようである。

それでも自分に自己投資するとしたら自己努力しか残されていない。

周りは評価の出来ない奴だと思った方が良い。評価だけでなく努力もしようとしない。

それで自分に期待するのは自己努力しか残されていない。

周りは自己努力さえ期待していない。あるというのは自分に対する自己投資つまり自己努力しか期待値がない。

それが責任を果たすという意味で最後の理想の国家像である。

それぐらい善処というのが欠如している。それぐらい責任問題でもあるのだと思う。


私は何をしたいだろうと思うけど今の現状を維持するしか思いつかない。

人間何のために仕事をするのだろうかと思う。もちろん生活費のためだけどその他にも使命感とかあるように思う。

私としたらどういう風に仕事をしたら良いのかわからない。

あんまり期待されていない気がする。どんな仕事が最善なのかあんまりわかっていない。

それでそれなりに生活も大事である。そんなこんなでどういう道があるのか私はわかっていない。

気持ちはラクに生きたい。もっと可能性のある仕事がしたい。

それぐらい閉ざされた世界にいる気がする。ここまで来て犯罪大国日本が先鋭化している。

もう少しプラスにはたらく日本であるべきである。それでも現状維持しか思いつかない。


今日は正午まで寝ていた。そのおかげで元気を取り戻した。今週は菅原甘受手習鑑が50%を超えた。大体半分である。

あと残されているのは芸能を楽しむぐらいかなと思う。課題は今の所の課題は怪談の演目と狂言の演目である。

落語が少し春から夏にうつって全然春の演目が消化出来無かった。

漫画の方もあんまり進んでいないが今の所週1ぐらいで進んでいる。世界史とプリニウスとテルマエロマエである。

何となく何事も正解は存在しない。なので人生楽しまなければ損である。

それが出来るのが家の中のような気がする。親父に負けず生きている意義はあるように思う。


歴史と宗教と生物学に未練があるかと言えば無い。細胞の存在意義は知りたいように思う。

人とは別の所に細胞の存在意義があるように思う。自律神経としての存在意義があるような気はする。

それがわかれば細胞に対する愛着がわく気はする。

どうも日本人は外国から全てを享受せず良い所だけを受け取った民族らしい。

なので色んな文化がここ日本で定着しているようである。

要するにそれをつなぎ合わせる哲学が必要なのだと思う。こんなに情報があるのだからそれが出来るはずである。

もっと良い方法を考えれば哲学は出来る。現状を超える方法を考えれば良い。

来週も書き込みは金曜と土曜にしたい。よろしく。

<<追記20210612end


<<追伸20210612の小言

私としては未来に向かって良い事が起こるように努力するしか方法が無い。それをあきらめたら生きている意義が無い。

それが私の未来を明るくする方法である。どんな風に未来がなるかわからなくてもそれなりに備えは出来る。

あんな事こんな事があるならあんな事こんな事を知る事である。

知らないよりはマシである。そうやって未来に備えるわけである。そうやって私は中年になってしまった。

今の日本を良くするのは現状打破だと思う。今よりもっと良い方法を考える事である。

それが出来無いといつまでも政治家の言う通りになるように思う。

それが有無を言わせない態度に出ていると思う。それぐらい現状を知らない日本人が多すぎる。

それが日本国民の悲劇になっていると思う。それぐらい現状打破出来る日本人が少なすぎるということだろうと思う。

それが日本人が現状に甘んじている理由だと思う。ともかく来週もボチボチやりたい。

<<追伸20210612の小言end

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