2021年2月23日火曜日

雑記_take2

 <<追記20210223

何となく現代の障害者である私の身体を経験することを読者に求めたい。

それぐらい仕事にも時間が限られるし生活にも時間が限られる。

その上収入もギリギリである。それが薬を飲んで寝て睡眠十時間の現実である。

何かマルクスの原書もより現代の現状の方が大事のように思う。

私自身ニュートンの原書なんて読んだことが無い。色んな層があって良いと思う。

それなのにアメリカに期待する人が反戦なのもなんか本末転倒のように思う。

アメリカの思うように時代が進んでいるからか知らんけどそれなりに日本は日本で自衛しないと大変である。

それぐらい局面を打開出来る日本人が大切だろうと思う。ちゃんと現実が合っている理論が大事である。

それぐらいたくさんの現実に合った理論が大事である。なのにそんなに現代に生きててマルクスの原書とアメリカが大切のように思えない。

二酸化炭素がそんなに温暖化に悪いならどうするべきか科学的な問題でもあって資本主義とは関係が無い気がする。

もっと問題の根本は何なのか現実と理論が合っていない気がする。そんなの理論じゃあ無い。


私の個人的な意見だけど真面目に努力して生きていたら尊敬される人になると思う。

私は差別とか言う前にそういう人になるべきだと思う。

コツコツと努力して生きたらそういう尊敬される人になれるのである。それが不可能なのは努力が足らないと思う。

結果的に運もあるけどそういう生活態度は努力にまさると思う。生活態度そのものが尊敬の対象だと思う。

なのに人間はラクをしてしまう。それが何となく人間の区別になってしまう気がする。

私にはそんなに尊敬される人が難しい領域にいる気はしない。

なのでそんな秀吉タイプがいっぱい出てくるのを期待している。そんな秀吉タイプが社会を変えると思っている。

西洋のブルジョワジーみたいな層にならないかと思っている。


今週は予定が変更され今日は祝日だった。代わりに土曜が出勤日なので書き込みを今日の火曜と金曜に変更する事にした。


それぐらいアメリカもどうなるかわからないで時間が過ぎている。

もっと日本は日本で悩まないといけない。

それでこそ良好な日米関係だろうと思う。

私には何となくそういう勤勉な人を普通に出来る日本人が日本を切り開くと思っている。

幸いあんまりエリートには期待できないようである。エリートは自分の学歴職歴で精一杯である。

それが世の中の無責任をくり返す原因である。そんなんより真っ向から責任を果たす人が必要である。

その責任とは何かじっくり考えるのが私の秀吉タイプの理想像である。

それぐらい損得問題なんてくだらないのである。それより何の責任を果たせるかの方が大事である。

私の中で損得問題が究極の学歴職歴につながっている。それぐらい自分勝手に生きてもしょうがないのがエリートに出ている。

それより秀吉タイプが責任を果たすチャンスをうかがうのが日本を明るくすると思っている。

それぐらいバカは仕事の責任も果たせない。要するに問題外である。

だから待っても時間の無駄である。いつまで待てば気が済むのか犯罪レベルである。

それぐらい勤勉って大事なのである。その勤勉を普通に出来れば尊敬される。私はそう思っている。

今週は金曜日に短歌と俳句を書き込みたい。土曜は出勤日でパス。よろしく。

<<追記20210223end


<<追伸20210223の小言

今日は少し読書できた。それでも朝方何度か目が覚めて困った。ちょっと自分のホームページを調べたりしてた。

何か時代が変わりそうに思う。物理自体が変わる気がする。それで興奮していたのかもしれない。

私は私で時代に取り残されている気はする。そんな意味で浦島太郎気分である。

そんな感じが早朝に出ていた気がする。それでおかげで今朝はゆっくり出来た。

あまりにゆっくり出来たので明日の仕事が少し心配である。

それぐらい生活リズムが難しく感じた休日だった。それぐらい私は私で悪戦苦闘している。

今週もボチボチやりたい。

<<追伸20210223の小言end


<<追記20210224

「おのれの分際をわきまえろ」とか「身の程をわきまえろ」とか国が貧しくなったからじゃあなくて元々からそうである。

私がそれを言われたら全部私の取り分のように思ってしまう。

私にはそういう人が一番エライようにしか聞こえない。それが逆で私の方がエライのである。

そうやって損得問題になってしまう。だけど世の中そんな風にまわっていない。

それなのに言われた私にすれば現実と理想は違うのよと言いたい気分である。

ようするにそういう事で言った本人がエライのだと主張しているだけにしか聞こえない。

だから相手にならないのである。いくら私の方がエラクても世の中はそんな風にまわっていない。

エライのがどっちでも構わないのである。それなのに損得問題に直面するのである。

そういった事が国が貧しくなったからじゃあなくて元々小中学校の時から存在するのである。

どうしてそんな事を言った本人がエライのか私には信じられない。まさに権力闘争である。

こちらは自然主義派なので権力なんてどうでも良いのである。そんな権力をふるう人がいたら人災である。

なんでそんなに権力闘争するのか私にはチンプンカンプンである。

国が貧しいからではなくておのれの権力闘争のために「おのれの分際をわきまえろ」とか「身の程をわきまえろ」とか言っている。

こちらとしては付き合いきれぬ権力闘争である。そんな事する暇あったら努力している方がマシである。

そういった自分の生活態度の改善の方が私の理想である。それが差別を無くすキッカケだと思う。

そんな事よりもうちょっと人間が生きるにはどうしたら良いのかとかの視点が全く抜け落ちている。

それが権力闘争のむなしさである。どっちがエライよりどうしたら生きられるのかの方が大事である。

そんな観点もなくエライのが大事になっている。エライ迷惑でエライ面倒である。

つまりそんな生き方も出来なくてエラクなろうとしている。それが国が貧しいとかの原因じゃあないと思う。

元々そんなにエラそうな人だった。私はひたすらそんな奴には無関係でいたかった。私はそういう人間だった。

それで整合性が取れない人だった。ここまで来るとバカ丸出しである。私には理解不能な人である。

そんな事より真面目に生きる方が大事である。それを神様も見ていると思う。それを私自身信じている。

ここまで神様が前面に出るのは私が多神教であり仏教徒だからだとも思う。そういう世界に接しているからだと思う。

これがキリスト教のような一神教が世界と接しているのとはわけが違うように私は思う。

私の状況が世界と接しこういう文章を書かせていると思う。そういう文化と世界が違った視点をもたらしているかもしれない。

なので私自身は神様よりエライとは思っていない。神様に認められるように努力しているだけである。

しかしなんで他人はそんなにエラクないといられないのかがわからない。

いつも不思議に感じる事である。もうちょっと普通にしてられないのかと不思議でしょうがない。

そのため私は迷惑で面倒にしか思えなかった。それが今も続くとは想定外である。

<<追記20210224end

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