<<追記20200714
現実は現実として受け入れるしかない気がする。
受け入れたその現実を変えたかったら自問自答するしかない。
それ以上どうして他人が関係あるのかがわからない。神様と私と自然しかない。
ここまで来ると競争社会のなれの果てだなと思う。
もっと真面目に生きた方が良い。あまりに不真面目である。
もっと真剣に生きている人を知らないのではないかと思う。
どうしてそれがみんな同じになるのか私にはチンプンカンプンである。
軟弱な精神で他人と比べたがる。迷惑極まりない。
もっと平和に暮らしたい。他人の分まで疲れる。
そんなのと関係無く真面目に生きた方がマシである。
そんないかれた発想より健康的な明るい元気な生き方がしたい。
それが出来無い人が問題を起こしている。
そんな現実感覚がマヒしている。
ここまでくると何を言っても無駄である。
日本語が通じない。男も女もである。現実は現実である。
現実問題どうしようもない。
それでも抵抗するのなら私を除いて抵抗して欲しい。迷惑である。
私は私で現実にある程度満足しているからである。
私が私で努力するのは満足するためである。
他人の不満がどうして私に関係あるのかがわからない。
他人の問題であって私の問題では無い。
それなのに私に迷惑を与えて平気なのは何でなのかがわからない。
どこにもそんな正義は見当たらない。
もっと自己努力が足らない。それが私の結論である。
自己努力が足らないのだから責任問題である。
政治家の責任問題も私には良くわからない。
責任問題は政治家が率先して実行すべきである。
それが出来無くて無責任としか思えない。
今週も書き込みが続いている。テーマが見つかるまで書き込みを減らしたい。よろしく。
<<追記20200714end
<<追伸20200714の小言
そもそも理想と現実の区別がつかない小中学校だった。
そのためもっと現実を知った方が良かったと思う。
世の中にはこんなに勉強をしている奴がいることを知らなさ過ぎた。
自分たちが理想を掲げる前にこの日本でどういう奴がいるのか無頓着だった。
それが他人の無謀を招いている。みんな同じなんて発想が浮かぶ理想の中で現実はもっと違ってた。
今になって現実はより厳しいかもしれないけど現実は現実である。
必要なのは現実を知る事である。それが小中学校の時から不完全である。
理想と現実はセットである。それなのに理想ばかり求めようとしている。
そんなのいつまでたっても現実は変わらない。理想と現実がセットになっていないからである。
受け入れたがらない現実をもっと知るべきである。
そこからスタートが始まる。だけど中年にしてはもう手遅れのように思う。
そんなに他人は現実感覚がマヒしている。もう私はそれから相手にしたくない。
それが私の認識である。
<<追伸20200714の小言end
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