<<追記20200303
21世紀に入って人生の指針としてはひたすら勉強のように思う。
その合間に文章を書く。それが私の大切な作業である。
他人は色々言ってくるそれに耐えられるのは勉強である。
紳士の対応より菩薩行より知るべき事が多過ぎる。
色々言われて勉強する方が賢いと思う。それが最後に菩薩行のように思う。
それぐらい長い旅が要求されている気がする。
なので色々言われて勉強している方が色んな事を考えるキッカケになる。
そんな一日を送れているかがキーポイントである。
それが浄土で救われるのか法華経で救われるのか禅で救われるのか
これも悩ましい問題ではある。
私の頭では仏教の問題は上人さんにまかせる。
私は私で考える事は他にもたくさんある。それぐらい人生は知るべき事が多い。
なので基本的に他人に何かを言われてナンボである。
まさにマゾみたいだけどそれが私の何かを言われて対応するのが私の仕事である。
それが私なりの最低ラインである。言われて応えるそれが私の勉強方法である。
なのでひたすらに他人の話を聞いてばかりいる。
そして勉強はウソをつかないと思う。それが私の実感である。
そんな勉強を毎日出来るかが生命線である。
それも紳士のやせ我慢みたいだけど少し違う。何か我慢プラス期待値がある。
色々言われても仕方無い事もある。それを不平不満言ってたら情報はストップする。
なので基本的に私は言われたい放題ではある。
そんな自覚はしているけど解決しない事は報告するしかない。
現状を説明するしかない。それもある種の勉強である。
要するに勉強だけは自分で出来るという事である。他人にしてもらうものじゃあない。
そんな勉強が出来無い人が問題を起こしている。
それなのに私はいつもひたすらに勉強している。
勉強が出来るか出来無いかぐらいしか差は無い。
勉強にあんまり仏教は関係が無い。私にとって勉強はチャンスである。
そんなチャンスをものにするのが勉強である。
21世紀に入ってそれが出来るか出来無いか大きな問題のように思う。
紳士の態度より腰を低くして勉強するというのが私の態度である。
今日も書き込みしてしまった。出来るだけ少なくしたい。
明日も仕事である。
<<追記20200303end
<<追伸20200303の小言
色々最近は仏教の本を読んでいる。能とか歌舞伎とか文楽とか落語とかも読んでいる。
それで何かを信じる気にはならない。何となく別世界がある気がしている。
私には無い違う世界がいっぱいある。それが私の感じる世界である。
何か小説を読んでいるような気がする。それより勉強の方が自分に近い気がする。
それにしても他人が勉強しないのは私には無抵抗である。
それを私と比較して解決する問題に思えない。
そうやっていくうちに何かが解決する気がしない。
そんな比較がチャンスだと思っても私は色々勉強しているわけである。
あんまりスポーツとかテレビの見過ぎである。
そんなんで問題は解決しない。そんな幻想を追っている。
栄光の巨人軍もここまで来ると迷惑である。
もっとやる事はたくさんある。それが勉強一つそうである。
一方的な話ばかり聞いてても解決しない。多方面に聞かないと勉強にならない。
それが私の世界観である。
<<追伸20200303の小言end
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