<<追記20170531
私に聞かれても男や女の事なんか知らない。
知っているのは私の事だけである。
知らない人の事なんか考える気しない。
そういう自分なのに他人から迷惑を受ける。
迷惑な人が迷惑にいきているというだけである。
私はそんな人になりたくない。
せめて私だけはしっかりしたいというだけである。
私が支えているものはただそれだけである。
そうして私は何が出来るか常に考えている。
私なりの戦略でここまでやってきた。
そういう意味では私の願望そのものが戦略のように思う。
それが正解なら神に導かれているかもしれない。
私の願望が形になっている。
いろんな知識が私を支えている。
あんまりそんな人いないだろうなあと思う。
私の願望は自由を向いている。
ただ一人というより私の解放である。
そういう意味では考え方次第というところである。
考え方を共有出来れば私が解放される。
それを普遍性というのかもしれない。
普遍性の権化になっている。
科学の名を借りたなんかそれは神の力だと思う。
そんなわけで私自身無抵抗である。
正義が何であろうと私は無抵抗である。
ただひたすらに神を信じる。
全てのことは神が決めてくれる。
神が決めたことは私も認める。
それが私に出来る唯一の事である。
それが私の運命論である。
私が決めることじゃあないと思っている。
神が決めることだと思っている。
なのに正義の名のもとに他人が偉くなろうとするのは
間違っている。
そういう意味で私は実験値そのものが神が決めたことだと思っている。
厳正な実験値そのものは神が決めてくれる。
なのであんまり正義を語る偉い人間は私は信じられない。
あまりに自然の実験値こそ神聖である。
それが私の世界観である。
何にも人間は偉く無い。
神こそ偉大である。
なので理論は神があってこそである。
そうやって理論は神に導かれる。
ぜひそういう人間になってもらいたい。
それが私なりの気持ちである。
ボチボチやりたい。
<<追記20170531end
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