<<追記20170223
大学浪人を一年した。その時の幻聴で
積み上げた精神構造が崩れた。
多分それぐらい複雑だったんだと思う。
それから二十年近く今まで比較的短絡的に生きている。
小学生の時は良く遊んだ。
小六にもなっても勉強のしない五百住小学校であって
総合学習の課題に耐えれなく塾もやめてしまった。
それでやる事といえば遊びだった。
あんまり国語が良くなかったので本は読んでたぐらいである。
中学時代は体がだるく
体力が弱ってた。受験勉強で頭がさえた。
頭使うって健康だなと思った。
高校時代は中学時代を繰り返したくなかったので
父親の本棚から読書を良くしていた。
健康ではあったが受験はおもわしくなかった。
それを乗り越える知識が私の努力だった。
理想と現実に悩んだ。
努力とはなんぞやという漠然とした疑問があった。
周りは理想を掲げるが努力が足りない気がした。
理想に囲まれて桃源郷には程遠いものだった。
大学や大学院に入っても競争である。
税金使っているから仕方ない。
それにしても中三の担任の先生も税金には覚悟がなかった。
バブルの時だったからかもしれない。
高校たくさん作っても税金がかかる。
そういう厳しい現実の中勝ち取っていかなければいけない。
そんな感じで学生を終え十七年間の今
色々工夫して今がある。
それはその時々に工夫を覚えて経験になっているのが大きい。
いろんな壁を乗り越えた気はする。
いわゆるブレークスルーってやつである。
そんな工夫とともに今がある。
私なりに大事だと思うのは
その時々で周りを観察しとりあえずやってみるという事だろうと思う。
そしてその時無理でも将来やってみようと思えるように
頭で作戦する事である。
結構考えたら少ない努力でものに出来る場合がある。
それがたくさんの経験になったら
あとは自然に結果に結びついていく。
それが私の素直な感想であり
その時に出来なくても出来るようにしたいと思えることが大事である。
それがわかってくれないから
ズルズル時間が過ぎる。
結果が出たらまた次の結果を考えたらいい。
そのために過去がある。
考える事は山のようにある。
なのにそれを避けるから失敗が連続するのである。
どうしたら次ぎにつなげれるかちゃんと考える事である。
そういう努力をすればランダムな結果にはならない。
それが正直な私の気持ちである。
今日はカエルと対話して帰宅した。
カエルは何を言いたかったんだろう?
今日は少し自分の作戦の工夫と精神構造の話をしたくなった。
素直によって耐久性があるという事と
ポテンシャルエネルギーを下げて少ない努力でできるように考えるについて
少し語りたくなった。
水泳もそうである。少ない力で泳げれば速くなる。
少ない力を大きな力に置き換えればいいからである。
それが私の感覚である。
<<追記20170223end
今日も書き込んでしまった。
返信削除また思いついたらにしようと思う。
段々フェードアウト目指して頑張る。
なんか同じ事の繰り返しのように思う。
あんまり文句ばかり言ってると
運も逃げてく気がするが
やむにやまれぬと言った感じである。
あんまりそんな事無いようにしたい。
それが切実な気持ちである。
来月は外国語の掲示板どうしようか
計画が立っていない。
外国語の詩も考えたけど
今の所気乗りしない。
また本から書き込むのが
有力である。
ボチボチやりたい。