<<追記20170216
理想には色々ある。
ボンキュボンもそうだし
すらっとしているのもそうである。
そんなこと考えてたら日が暮れる。
高校受験の英語も
何でここまでやってこれたか
大学院修了しても気づいていなかった。
大学受験の英語は未完成だった。
それなりに消化不良気味だった。
それでも結論を導いたのは勉強の経験だったように思う。
どういうのが勉強が出来るというのか経験があったからだと思う。
だから
他人が大学受験の英語が出来たって経験にはなっていても
どういう勉強が能力になっているかわかっていないかもしれない。
それが私にとって高校受験の英語だった。
そこから大学受験の英語による出発だった。
なぜそういう勉強の仕方が大事かというと
他の外国語にも応用が効くからである。
例えばフランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語みたいな
ヨーロッパ言語に使える。
他の勉強も他に使える。それは経験となって絶対役に立つ。
どうしたら勉強できるか過去の勉強が役に立つ。
これが地方国立大学出身の私でもわかるのである。
大体偏差値50ぐらいである。
日本の50%はここまで可能である。
偏差値70,80じゃあなくても私にはわかるのである。
そんなに競争しなくてもここまで出来るのである。
競争なんて詐欺である。
単なるゴマカシである。
こつこつ努力すれば確実に違ってくる。
競争なんていらない。ただの努力で十分である。
だから理想なんて色々なのである。
私の理想も一つでしかない。
だからチャンスはたくさんあるはずである。
勉強一つこんなにたくさんあるのだから
見てくれ一つとってもたくさんあるはずである。
それが理想が一つしかないなんて私には信じられない。
それが私の世界観である。
そう理想も色々なはずだと思っている。
何も理想を一つにすることは無いと思っている。
そんな私でも好き嫌いはある。
好きな分野と嫌いな分野が勉強にもある。
それでもやってきた。英語がやりたく無い事もあった。
それを乗り越えたのは作戦がうまくいったんだと思う。
やり方一つで苦もなくやれる場合がある。
それが私の場合ホームページだったように思う。
道具を使えばうまくいくのと似ている。
なのでやり方一つで好きになったり嫌いになったりする。
色々な理想とは色々なやり方である。
私もボチボチやりたい。
そんな社会と学歴の底辺でもやれることがある。
それが日本の本当の実態である。
<<追記20170216end
先生に試験の詐欺なかったら
返信削除もっと真剣に勉強してた。
結局関心が他にいってしまった。
それが大学一浪人時代に
あらわれて永久機関おもいついた。
その時から
幻聴に悩まされて
英単語は忘れてく一方だった。
退却兵のしんがりみたいに
つらかった。
センター試験も現役より悪かった。
あべこべに良い点と悪い点が
現役と入れ替わった。
それぐらい対処はしたが
許容量をこえてたんだと思う。
東大や京大に行っても
研究結果が出ない中
私は大学一浪人時代に結果を出した。
この事実は私の努力が可能にした。
先生がなんと言おうが
私の興味は実益だったのである。
学歴では無かった。
普通の神経なら許されるものじゃあない。
だって判断出来ない状態だったんだから
そうして私は判断をせず
実益に走った。
それが事の真相である。
東大生も京大生も思いつかなかった。
相対論の十一次元もである。
私に有利にはたらいた。
私にはエネルギーの問題を
解決したかった。
これを解決するには次元を増やすしかなかった。
それが私に幸いした。
なので学歴には私は無頓着でいるしかなかった。
それは先生の責任である。
立派な犯罪である。