2020年6月14日日曜日

雑記

<<追記20200614
最近は「資本論」もチョコチョコ読んでて日本のことを考えると
ここ日本ではプロレタリア層が専門家になることを阻止している気がする。
なのでそんな状態のためプロレタリア層が上位に来ることなんて無い気がする。
そして読書層も日本国民では100万人ぐらいしか本を読まないらしい。
そんなんだからほとんど人材の墓場である。
栄光の巨人軍と同じである。誰もエラくなれない。それが日本の現状である。
何で若い人に知恵をつけないのか私にはわからないけど
それが日本の限界点のように思う。競争は出来レースである。
限られた人のための出来レースである。
それがこの日本の限界としての現状をあらわしている。

なので何となく「プロレタリア層に可能性が無い。」
そういう仕事をしている。得にも損にもならない仕事をしている。
そこにはチャンスが無い。ただあるのは現状維持ぐらいである。
得するのは時給が発生するぐらいで他に役に立つ知恵は無い。
ただひたすらに続けるだけである。それが私の言う現状維持である。
なので基本的にプロレタリア層が専門家になることは無い。
それでも色んな事を落ち着いて考える必要がある気はする。
振り返ってみてはじめて気づくことがあるように思う。
それぐらい私は私でプログラムに年月をかけている。
それはそれでプログラムに限らない気がする。
そんな機会がプロレタリア層に無い気がする。それがこの日本の現実である。
あんまり考えるのも疲れてくる。こんな現状を変えるのが政治家だと思うけど
誰一人期待する奴がいない。
それなのに私に文句言うよりこの日本に文句言った方が良い気がする。
あまりに私に焦点を合わせ過ぎである。
賢く生きられない。それが日本の限界点である。よろしく。
<<追記20200614end

<<追伸20200614の小言
権力の三冊の本も60%ぐらい全て進んだ。あと40%である。
何となく思うのは気長にやりたいぐらいである。あんまり言いたい事は無い。
今日はたまたま「資本論」読んであんまり良い日本に思えなかった。
私の仕事でも現状維持がメインで将来性は他人まかせである。
そんな仕事で良いのか色々考えてしまった。
一応今週もテーマが見つかるまで書き込みを減らしたい。
仕事の方もボチボチやりたい。
<<追伸20200614の小言end

2020年6月12日金曜日

短歌と俳句と近況



--->> 落ち着かぬ仕事ばかりが先に立ち健康維持に複雑かしら 行風 
--->> 横になり一段落の夏の夜先行き見えぬ不透明感 行風 
--->> 仕事して疲れて帰る金曜に雑務を重ね未来をおもう 行風 
--->> 何事も直面してる現実を認識出来ず相手にならぬ 行風 
--->> 読書する時間があれば良しとして総合力の毎日送る 行風 
--->> 毎日の努力を重ね歩むうち目指すものには自然と物理 行風 
--->> 仕事ある気合をかけて六月のどうなることか展開読めぬ 行風 
--->> 課題にものりこえるべき六月で確かめるうち日が過ぎるかな 行風 
--->> 残業し仕事疲れて帰宅するノルマこなすも骨を折るなり 行風 
--->> 家の中楽しみ多く天国に一人でいるも格別かしら 行風 

/*睡眠も*/
/*スッキリしてる*/
/*夏の朝*/
/*もっともっとの*/
/*仕事こたえる*/

/*仕事して*/
/*真面目にいきる*/
/*つらさにも*/
/*のりこえるもの*/
/*様々かしら*/



--->> 金魚にも愛想を尽かす興味かな 行風 
--->> 麦茶にものどをうるおす願いあり 行風 
--->> 夏風にめまいを起こすひかりあり 行風 
--->> 五月にもくり返すもの様々よ 行風 
--->> 五月晴意味するものは不思議なり 行風 
--->> 目白にも母の手元に昔あり 行風 
--->> バラの咲く写真が撮れず雑務あり 行風 
--->> 五月尽あきらめきれぬ時が経つ 行風 
--->> 夏にして覚悟を決める仕事あり 行風 


/*草取りも*/
/*気にしてみれば*/
/*何度目か*/

/*扇風機*/
/*出してみるなり*/
/*ご活躍*/

<<追記20200612
今日は診察日だった。私は私で自分の事は自己完結している。
なので私にどういう仲間がいるのかまで認識していない。
ほとんど自分の事は自分でするになっている。
基本的に私に怒りをぶつけるのは私に関係が無いと思う。
私にはどうしようもない。私は私で自己努力しているだけである。
あとのことはあんまり考えていない。それを仲間と言うのか私には想像出来ない。
私はあんまり仲間のことを考えていきていない。
とりあえず自分が出来る事をすることだけ考えている。
あとの解釈は他人にまかせている。結果オーライを目指している。
それが仲間のためなのか私には判断がつかない。
「結果が無いと仲間のためにならないのか」と「仲間のためになるから結果があるのか」
どちらも対偶になっているけど多分どっちも成立しない気がする。
なのであんまり仲間のためにいきていない気がする。
結果的に仲間のためになってたら良いなとは思っている。
そのための結果オーライである。そういう意味で私の事は自己完結している。
あとは焼くなり煮るなり好きにしてくれモードである。
私の事を許してくれないのは永遠に会話が成立しないからのように思う。
もうまるで宇宙人とやりとりしているみたいである。
異次元空間の人である。努力一つ共有出来無い問題な人ってだけである。
そんな人私にはどうしようもない。
人間なのだから知識や気持ちを共有してこそ人間である。
それが根本的に出来無い人が私を困らせているだけである。
なのでそんな仲間がどうのこうのの問題でもない。
どうしようもない人間がいるというだけである。
そんな人がどうやって社会を形成出来るのか私には想像つかない。
なのでひたすらに私は無関係でいたい。よろしく。
<<追記20200612end

<<追伸20200612の小言
私の方としてはもっと気楽に生きたいのである。
それをさせない日本社会もどうかしている。
私に責任転嫁している。日本自体が無責任である。
責任をまっとう出来無い日本である。学歴も職歴も名前だけである。
私が悪いというより日本が悪い。それが私の認識である。
それなのにどうして私に焦点を合わせようとするのは犯罪に近い。
逃げている日本国民が悪い。それが私の文句である。
出来るだけ書き込みを減らしたい。テーマが見つかるまでゆっくりしたい。
なのでボチボチやりたい。
<<追伸20200612の小言end

2020年6月10日水曜日

近況

<<追記20200610
他人が私にむかついても私には無抵抗です。神様に文句言ってくれぐらいしかない。
私にはむかつくことの何の要因も思いつきません。
ほとんど他人の妄想としか思えません。そのため付き合いきれません。
そんなんだからあんまり私は有名人になるべきじゃあないように思います。
法律も法律で逆差別です。なのであんまり私には日本は住みよくありません。
あんまり日本以外の事は知らないので日本にいるだけです。
色んな差別があると思いますが私には腹をわって話すしか方法がありません。
そんなことで一筋の道がみえる気がします。
それが私のいきるカテです。私が有名人になればなるほどむかつく他人がいる。
私にはそれは絶望に近いです。日本からどっかへ避難した方が良さそうです。
最悪の教育体制がそうさせている気がします。ほとんど教育の失敗です。
そんな感覚も無く間接的に私に関わってくるのはほとんど犯罪レベルである。
そんな犯罪を平気でやっている日本である。
ただあるのは私を困らしているだけです。それが仕事にも生活にもあらわれている。

こんな状況を許している日本も日本である。
ほとんど法律と行政が悪い。
なので私が権力を守る動機は存在しない。

ただ私にあるのは他人の無力がむなしい。

なので私的には煮るなり焼くなり好きにしてくれぐらいの気持ちである。
他人の妄想まで私には無抵抗です。

今の所基本的に私は有名人だと思っていません。
だけどこんなに他人がむかつくのだから有名人にはなれそうにありません。
有名人になってもおかしくないけど他人のせいで無理そうです。
物理でも哲学でもプログラムでも俳句でも短歌でも有名人になれそうだから
ムカつく他人に絶望してしまいます。
これをどうやって終わらすのか私には想像が出来ません。
ただ他人の妄想がムカつかせているだけだと私は思う。
ただ頭にあるのは平和に暮らしたい。それも法律と行政と医療と教育が悪い。
ただ日本は悪魔の巣窟である。それが私の本音である。よろしく。
<<追記20200610end

<<追伸20200610の小言
総じて今の世の中が許せない。私にムカつく暇があったら日本にムカつくべきである。
なんで私一人にこんな事を許すのか方向が間違っている。
ムカつくのは日本であって私ではない。権力そのものが間違っている。
そういうムカつく学歴と職歴である。
もっと私よりこの日本にクローズアップすべきである。
それなのに日本社会は私を盾に使っている。それが権力のズルイところである。
私にはムカつく他人には無関係であってこの日本に関係している。
そうやって責任を回避している日本である。
それが私一人に焦点をあわせてごまかそうとしている。
ともかく権力の乱用である。私にはひたすらに無抵抗である。
とりあえずテーマが見つかるまで書き込みを減らしたい。ボチボチやりたい。
<<追伸20200610の小言end

2020年6月7日日曜日

雑記_take2

<<追記20200607
政治をする時に自分の修養が大切だと言われるけど
それは自分が等身大で考えられるからだと思う。自分の身の丈で可能と不可能を知る。
それがそのまま政治の不可能と可能が見えてくる。
それが国民の側に見えてこないと本当の民主主義じゃあない気がする。
そうじゃあないと国民の側も不可能を可能に出来ない。
そんなチャンスを国民の側も見えていない。
全てはブラックボックスの中である。それで国民の出来る事も限られている。
要するに本当の民主主義じゃあない。
自分が身の丈になって日本が身の丈になる良い所は現状の限界が見える所である。
そしてそれを許すか許さないかは個人に託される。

私にはそれが出来て民主主義の一つのような気がする。

今日は外国語やる予定である。読書もなかなか進まない。
何かそんな感じで夏が終わりそうな気がする。下手すると正月までこんな感じである。
ここんところもう一度数学の本を読もうと思っているが用意しているだけで進まない。
そんな数学の準備ぐらいが変わった点である。
あとは全体的に消化するだけである。
それでも教養があるってなんなんでしょうねえ。仕事が出来るわけでもないし
ほとんど自己満足しかないのにそれがそのまま学校の意味になっている気はします。
仕事のために学校があるとは思えません。
もうちょっと学校の意味を深掘りしないと仕事に直結しない気がします。
私はみんながプログラム出来たらみんな仕事が出来る気はするけど
そんなに仕事が単純のような気もしないのでそこら辺の教養に対する疑問があります。
数学は数学で大事だしそこら辺の微妙な気持ちがあります。
それでもプログラムが出来ればパソコンで出来る事はプログラム出来るわけなので
可能性は広がると思います。なんせ何でもパソコンでやる時代だからです。
そんなこんなで今がただ一人でここまでやる限界点のような気がします。
それがいつまで続くかわからんけどやれるだけのことはやっておこうと思ってます。
今週もよろしく。
<<追記20200607end

<<追伸20200607の小言
今日は色々考えたけど段々テーマも無くなってきています。
なので収束に向かっているように思います。ただあるのは現状報告ぐらいです。
それでも読書して色々言いたい事が出てくるかもしれません。
そのためテーマが見つかるまで書き込みを減らしたいです。よろしく。
<<追伸20200607の小言end

<<追伸20200607の小言_take2
「権力」の本を三冊読んでて三冊とも40%ぐらいなんだけど
身の丈の国を求めたら「小さな政府」なのかなと思った。
偉大な国はいらないのかもしれない。それが民主主義の国の末路かもしれない。
ともかく私は権力を守る方じゃあない。それが私の方針のような気もする。
それでも権力は分散している気はする。私たちに出来る事は増えている。
それがインターネットとパソコンとスキャナーとデジカメとプリンターやスマホにも
あらわれている。
ともかくあと60%が三冊あるゆっくり読みたい。よろしく。
<<追伸20200607の小言_take2end

2020年6月5日金曜日

短歌と俳句と近況

短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/06/blog-post_5.html 


--->> 横になり過ぎ去るものは人知れず迷惑ばかり先に立つかな 行風 
--->> やすまらぬ仕事ばかりで悩みつつあと一日の辛抱かしら 行風 
--->> 今週もやる事やって土日のみ楽しくいきる言い聞かせつつ 行風 
--->> 中身あるこたえ求めて今があり無責任にもあきれ果てつつ 行風 
--->> 五月晴夏の峠を心配し父の声にも追い求めつつ 行風 
--->> 無責任ばかり私にのしかかりもっと気楽に解決したい 行風 
--->> 頭にはあしたの仕事ひかえてる何が健康難しきかな 行風 
--->> やり残す課題もあって取り返す修正したい夏の陣かな 行風 
--->> 五月にも夏をのりきる勇気無くコロナウイルス天運まかせ 行風 
--->> 神祈り展開読めぬ五月から最善目指すまっしぐらかな 行風 

/*帰宅して*/
/*考えめぐる*/
/*おもいあり*/
/*責任とらず*/
/*いい加減なり*/

/*雑務して*/
/*横になるまで*/
/*やすまらぬ*/
/*おさまるものは*/
/*様々かしら*/

俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/06/blog-post_5.html 


--->> 若葉にも元気をもらい歩くかな 行風 
--->> 新樹にも見上げる空に立ち止まる 行風 
--->> 薄暑にも仕事が続く覚悟かな 行風 
--->> 五月からやる事やってまたあした 行風 
--->> 夏めいて見上げる空に届いてる 行風 
--->> 汗流し展開読めぬコツコツと 行風 
--->> 五月雨や涙出てくる神祈る 行風 
--->> 夏浅く気になる事はスタミナよ 行風 
--->> 夏めいてのりきるものは気合かな 行風 

/*更衣*/
/*気分一新*/
/*出勤す*/

/*六月の*/
/*展開読めぬ*/
/*一歩かな*/

<<追記20200605
日露戦争と太平洋戦争の違いを知って政治も身の丈の合った政治が大切のように思う。
それなのに政治家は自分の権力を誇示するためにやったふりする。
そうやって王が神格化したように権力が神格化する。
それで政治は安定しても形だけで民主主義には程遠い。
ほとんど封建制度と同じ発想である。そうやって権力が神格化する。
もっとこの日本で何が実現するのか問う方が民主主義に近い。
私は民主主義は絶望に近いと思っている。
それでもこの日本のサイズを日本国民が知る事は大事のように思う。
何事も歴史も原因と結果を分析すべきである。
悪いとか良いとかで歴史が決まらない。色んな条件や状況をふまえて考えるべきである。
そうやって権力争いしてもつまらないだけである。
そんなことが出来ないのは日本の身の丈を誰も知ろうとしないからである。
それが太平洋戦争の無謀さを実践するのは日本の身の丈がわからないからである。
結局権力闘争に明け暮れて身の丈を知らない要因である。
もっと中身のある議論をして欲しい。ただ悪いとか良いとかで議論している。
もっと日本はどういう国なのかそれからして空論である。
それがそのまま身の丈のあった政治が出来ないのは危険である。
それが私の感じる太平洋戦争論である。よろしく。
<<追記20200605end

<<追伸20200605の小言
もっと身の丈に合った政治をすべきである。ただ権力を誇示しているだけである。
それで議論は権力闘争である。
話の出来る人が誰一人いない。なので民主主義は崩壊している。
もっと良いとか悪いとか双方が言っている。私の気分は最悪である。
もっとどういう日本だからとかどういう外国だからとか話にならない。
もっと日本が身の丈になったらそういう議論が出来るはずなのに
権力を誇示して権力を守ろうとしている。それが日本人の議論になっている。
要するに太平洋戦争論と同じである。あまりに非現実的である。
こんなに若い人が減っているのにこのままで良いのか私には疑問である。
そんな真剣な議論が出来ていない。それがそのまま日本の身の丈がどっかにいっている。
とりあえずテーマが見つかるまで書き込みを減らしたい。
とりあえず土日である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200605の小言end

2020年6月4日木曜日

近況

<<追記20200604
「純粋理性批判」の百分de名著は再放送だった。
雑誌で二回目の放送を読み切った。それでバカとアホの共有まで無理そうだった。
そのため民主主義も難しい。学歴で言えば高卒である。
私の話が通じない。なので民主主義は崩壊している。
それが私の感じる現実である。
そのため中身の議論より物理とか科学とかプログラムやっている方がマシである。
哲学なんかやっても自己納得でしかない。
誰もがその知識を共有出来無い。物理とか科学とかプログラムの効果の方が救われる。
民主主義による王道というより自分のための王道である。
いくらやっても他人は結果を信じられない。なので自分が納得するのが王道である。
他人は民主主義を形成出来ない。それより自分のために生きた方がマシである。
仕事一つ現実認識が異なる。もうここまで来ると最悪である。
もうあるのは他人がどうにかなりたいだけである。
それだけのために迷惑を受けている。現実認識が異なるから民主主義は成立しない。
そんな哲学も成立しない。ほとんど医者のやる仕事である。
もっとまともな人が判断しないと民主主義は成立しない。
そんなバカとアホが何で私に関係あるのかが私にはチンプンカンプンである。
気に入らないとかジンマシンが出るとか私には無抵抗である。
文句あるなら神様に言ってくれと思う。私には不可抗力である。
バカとアホが許せないからと言って現実は現実である。
それをねじ曲げても異次元空間の人である。私には全く関知しない。
何かここまで来ると人間として最低である。私にはどうしようもない。
そんなんだから物理とか科学とかプログラムやっている方がマシである。

誰かに判定出来ない世の中である。
判定してもらいたかったら物理とか科学とかプログラムやった方が良い。
それが私の現実認識である。それがバカとアホには通じない。
本当にここまで来ると民主主義の終焉である。
もっとまともな人間が
知識と気持ちを共有出来るたくさんの秀吉みたいに増えてくるのが私の希望である。
明日は短歌と俳句である。よろしく。
<<追記20200604end

<<追伸20200604の小言
落ち着いて生活したいが世の中の評価としては最悪である。
ただあるのは無駄に時間を費やしたくないただその一心である。
そんなこんなでもっとやる事他にある気がしている。
その辺をようく考えて方向転換したい。
今週も平日はあと一日ボチボチやりたい。
<<追伸20200604の小言end

2020年6月2日火曜日

近況

<<追記20200602
昨日は雑誌で第一回分の百分de名著を読んだ。
録画の方は今晩見る予定である。
なかなかバカとアホとの共有が難しくて多分無理だろうなあと思う。
それが「純粋理性批判」で少し見えてこないかと思ったけど
バカとアホまで無理そうな気もする。そのため民主主義も成立しない。
それが中国論と韓国論にも出ている気がする。
まともなこと言う奴がいない。なので総じてウンザリモードである。
賢い人がひたすら賢くないと社会はもたない。
なので民主主義も終焉モードである。ただあるのは自由だけのように思う。
結論は出てこない。自分が納得するだけである。
それだけのために自由があるように思う。
中学生の時に「坂の上の雲」読んで民主主義にかけようと思ったけど
それが根本的に間違っていた。ただあるのは自分が納得するために生きるだけである。
誰もそんな正当な判断は出来ない。
それが民主主義が成立しない理由である。
結局自分勝手に判断して今がある。それが今の世の中である。

どうしようもない人はひたすらにどうしようもない。
そんな人がどうにかなりたくて、どうにかしようとしても、つまらないだけである。

それで他人が納得いかないからと言って私に文句を言う権利はない。
ありえない人がエラそうな事言っているだけである。
ここまで来ると民主主義は終焉している。
民主主義に期待感ゼロである。ただあるのは自分が納得するだけである。
それだけのために生きている気がする。
それなのに中国論と韓国論の矛先を変えても結果は変わらない。
ただお茶をにごしているだけである。
ただあるのは自分が納得するかしなくて良いかぐらいしかない。
そんな事まで考えて中国論と韓国論は存在しない。
結局自分が何をしたいのかが大事なのであって他人の結論なんてどうでも良いのである。
他人の話なんて話半分で良い。それが民主主義の実態である。
ただあるのはまともな日本じゃあない。無責任犯罪迷惑大国日本である。
そんなのと関係無く生きたい。それが本音である。
<<追記20200602end

<<追伸20200602の小言
結局どこもどいつも権力志向である。そうやって日本が成立している。
あちらも立たずこちらも立たず権力が成立している。
本当に中身なんてどうでも良いのである。
なのでバカバカしいので私は私でもっとラクに生きたい。
真面目に考えるだけバカバカしい。なのでまだ物理や科学やプログラムの方が救われる。
それのどこが民主主義なのか私にはチンプンカンプンである。
ただあるのは自分が納得するかぐらいしかない。
なのでなおさら自分が何をしたいのかが大事である。
出来るだけ書き込みを減らしたい。またテーマが見つかるまでにしたい。
よろしく。
<<追伸20200602の小言end