2018年12月7日金曜日

短歌と俳句



短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> やる気なく横たわるもの仕事あり気合を入れてのぞむものかな 行雨 
---> 冬の夜深まるほどにやる事は山のようなり作戦会議 行雨 
---> 祭りにも色んな世界垣間見る意味するものは不思議な感じ 行雨 
---> 日に当たり小春日和のいい天気力のこもる道中かしら 行雨 
---> いつまでも冬眠したく横になり人生どこか夢物語 行雨 
---> 青天の天気はどこか空の中かけめぐるうち何かが浮かぶ 行雨 
---> 話して思うところに行列に思い思いの祭りあるかな 行雨 
---> 小春にも景色めぐまれ歩くうちあしたに進む気合を込める 行雨 
---> やる事も山のようなりじっとして進むものなら風情あるかな 行雨 
---> あらためて祈り込めつつ冬の夜あしたにつなぐ気合を込めて 行雨 

/*タコばかり*/
/*よってたかって*/
/*寄せ集め*/
/*叫んだところ*/
/*意味不明なり*/

/*タコばかり*/
/*よってたかって*/
/*寄せ集め*/
/*話にならぬ*/
/*コンテンツなり*/


俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 納豆も季語になるべき時代あり 行雨 
---> 冬リンゴめぐみを受けて走り出す 行雨 
---> 大根のみずみずしさが口に合う 行雨 
---> 冬服もえりを正して気合あり 行雨 
---> 冬構いよいよ来たか身構える 行雨 
---> 冬にある日差しを受けて天国よ 行雨 
---> 師走から終わりむかえてもう一歩 行雨 
---> 冬紅葉終わりむかえて覚悟する 行雨 
---> 落葉にも気持ち伝わる音がする 行雨 


/*隙間風*/
/*気になる時に*/
/*今日も行く*/

/*時雨にも*/
/*うたれる心*/
/*じっとする*/


2018年12月6日木曜日

近況

<<追記20181206
昨日は少し大掃除というより後片付けした。
今日は帰宅後も色々いらないものを捨てた。
今夜もチョコチョコやろうと思っている。
何かもう年末モードである。
何か店じまいみたいな気分である。
煩悩を捨て去って正月が迎えられるのか何となくおごそかな気分である。
今年一年も何か二年たったような気でいる。
それぐらい私としては生き急いでいる気はする。
年老いているというべきかもしれない。
それぐらい中身の濃い一年だった気がする。
色々夢に向かって進んでいる気はする。
ここまで私の自己努力である。仕事にあきれ果ててるけどあきらめている。
来年はイノシシなのでひたすら猪突猛進かなあと思う。
なんかそれを地で行く年になりそうである。
それも色んなキッカケがあった気がする。あきれている仕事も影響している。
あきれてもそれなりに意味があった気はする。
あんまり仕事は適当でいい気もする。真面目にやるだけバカみたいである。
それより自分が目的を果たす方が意味がある。
ひたすらに神様に感謝しかない。世の中神様の言うとおりである。
それを自然法則のためだと思っているのは不幸の始まりである。
そういう人生を私は歩んでいる気がする。
日本人はもっと神様によりそって生きた方が良い。
それが幸せのもとである。それぐらいが他人を許せる範囲である。
何もかも自分がやる気でいると他人が許せなくなっていく。
そうじゃあない。神に選ばれる事で他人を許せるようになる。
それが人間の生き方のように思う。こんなに他人を許せなくなっても
私が許せるのはやっぱり神様のおかげである。
もっと日本人の心を取り戻すべきである。自然崇拝の日本人に戻るべきである。
色んなところに神がいる。
それらの神に感謝をして他人を許せる日本人になるべきである。
日本人の脈々たる心とは何だったのかそれが日本人の歴史である。
歴史にのまれるどころか受け継いでいく継承者になるべきである。
それが私を仕事から遠ざける原因になっている気もする。
何を持って仕事するのか悩ましい問題である。

ともかく明日もやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181206end

2018年12月5日水曜日

雑記

<<追記20181205
元徴用工の賠償は韓国政府が払えば良いんじゃあないのかと思う。
それがそうならないのは他の意図があるようにしか思えない。
日本に対するアクションでしかない。
結局仕事に徹するしかない。もっと考えることあるのに考えていない。
それが仕事にもあらわれている。そんな仕事でいいのか問われている。
考えること満載なのに考える余裕も無い。それがこの日本の実態のように思う。
それが元徴用工の賠償の対応にもあらわれている。

色んな意味でお金にするのは難しいなあというのが実感である。
どういうのが仕事するということなのか考えた方が良い。
労働すれば賃金が発生するのは労働者の立場である。
けれどそんなに簡単な話じゃあ無い気がする。
どうしたらそんな簡単な話になるのかもっと真剣に考えた方がいい。
仕事だから成立するのであって仕事じゃあ無ければ成立しない。
それが仕事というものである。

今日は大掃除やる気があんまりない。
やる気出るまでゆっくりしたい。

今日は私の読書の話と競争の話をした。
高校時代に司馬遼太郎とか父親の本を読んでたことと
活人剣とかセクシャルな小説とかも読んだ。
競争は簡単なことより難易度の高いことで競争した方が良いと言った。
難易度が高いことでメリットは当然あるはずであるみたいなこと言った。
三島図書館の方が小説が多くて沼津図書館は専門書が多いみたいなことも言った。
私的には本を読めば肥やしになる気はする。
今思うに地学が結構面白いかもしれない。
私は文系の多い高校だったので知らなかったけど結構地学もありだなと今は思う。
化学と物理を専攻したけど地学と物理でも良かった気はする。
生物は暗記が多くて私には荷が重い気がした。地学もそれなりに暗記がいるけど
結構面白いし人気もあるように思った。
私的には理系として地学と物理が推薦科目である。
生物もそれなりに人気のある分野になってきている気はする。
今世紀は生物も面白いかもしれないが大学の感じからすると私には苦手だった。

今日も書き込んでしまった。
色々考えがめぐる師走だからか当分ゆっくりしたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181205end

2018年12月4日火曜日

雑記

<<追記20181204
リビングにあったiMacを我が部屋に持ってきて
テレビにつなげてiMacを使っている。
そのために家にいればパソコン使うことが多くなっている。
今日は音楽CDを録音した。

本当は書き込みをする気は無かったけど
かわいいについて書き込もうかなと思った。
二十歳こえて私自身かわいいで済まない。
かわいいで済むのはティーンネイジャーじゃあないかと思う。
それでかわいいがキモイに感じる事もある。
ゴマカシになったりすることもある。不健康に感じることもある。
何をもってかわいいのか私には子供や少女や少年や青年ぐらいしか思いつかない。
いつまでかわいいで済むのか私には無責任でしか感じられない。
私自身かわいいと言われることあってもそんなことで勝負しない。
それが私のかわいいに対するささやかな愛である。
歳を重ねてかわいいで済まない歳である。
そんなことより楽しく生きたい。それが歳を重ねるということのように思う。
色んな可能性を感じて模索したい。それが私の四十代である。
可能性の無いかわいいなんて論外である。それが私の本音である。
何かが生まれそうな人間関係でいたい。惰性で生きたくない。
それで人間は死ぬまでかわいく生きれるものだろうか?
私にはかわいいは副産物でしかない。もっと他のものを求めて生きている。
かわいいより可能性である。そのために努力している。
極端につまらなくなるのを恐れている。それが私の可能性である。
かわいいよりコンテンツである。それが私の創造源である。
何か新しい発想を求めている。
なのでかわいいより他にやることはたくさんあるようにしか思えない。

今日は年賀状のイラストを作った。昨晩紙に書いて
今日の帰宅後、複合機で取り込んで色を付けた。
残すは文章だけになった。また後日頭冷やして考えたい。

明日から少しずつ大掃除したい。
気持ちのいい正月になるように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181204end

2018年12月3日月曜日

近況

<<追記20181203
土日は一応日課を済ませた。
その間音楽アプリと画像アプリと動画アプリをインストールした。
何か期待感は大ありである。

今週一週間は日課を止めて大掃除と年賀状でもやろうかと思っている。
何となく気持ちのゆとりも大事だよなあと思う。
ここんところ時間に追われてそろそろリフレッシュも大事な気がしていた。

正直女もよくわからんけど
男もよくわからん。
何が男で女なのかチンプンカンプンである。
問題を起こすのが男なのか問題を押しつけるのが女なのか
ただあるのは問題だらけである。
もっと腰を据えて防波堤になる奴がいない。
それを男というのか女というのか無責任地帯である。
そんな根性がまるで存在しない。
そらあ私の努力の方がマシである。
それで男とか女とか言っているのは男でもないし女でもない。
全然かっこよくないし美しくない。
なんでそれが男なのか女なのか私には理解不能である。
そうやって逃げてばかりいるから男にもなれないし女にもなれない。
もっと防波堤になるような根性無くて努力とは言わない。
それが私の努力である。
色々無責任過ぎる。それが男にもならないし女にもならない原因である。
努力さえなんとか成立したら男でも女でも成立する。
それが成立しないのに男とか女とかの発言なんてナンセンスである。
そんな発言自体見苦しいしかない。
全然かっこよくないし美しくない。
それが私に何の関係があるのかわからない。
それでも私の仕事を否定して私の仕事が成立して他人の仕事が否定されている。
それがなんか問題があるように思えない。
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。

今週はゆっくりしてちょっと気持ちを持ち直したい。
私は私でよくやっている。私自身ほめてやりたい。
そんな事を忘れて時が過ぎている。それも私の役目かなと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181203end

2018年12月2日日曜日

修善寺駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181202
今日は修善寺から紅葉狩りだった。
途中自然公園で鹿肉の味噌汁をもらった。
帰り韮山劇場に行ったがあんまり人がいなかった。
とりあえず今日も歩いて元気かなという感じでいる。

今日の予定は読書と録画の消化と短歌と俳句ぐらいである。
懸案は一眼レフと作曲である。
それがなんとなくここんとこのパソコンと一眼レフの影響で
私にも試せる機会がおとずれている。
三島に来て十五年長かったけどそれなりに成長している。
年老いているの間違いかもしれない。
それなりに我慢もあって苦労もあって努力もあった気もする。
それが今に結実している。
それでもやる事多く簡単に終わらない。それが仕事に走らない原因である。
そんな仕事でいいのか私にはわからない。
それでも色んなチャンスを感じるのは仕事が仕事になっていない気がする。
そこら辺が私が理論家でいる原因かもしれない。

ともかく世の中に訴える形で発信したいと思っている。
そのための創作にしたい。そのためには色々やってみないとどうなるかわからない。
そのためにパソコンや端末があると思っている。
そんなに色んな事が出来るのは時代のおかげだろうと思う。
それぐらい年々チャンスは転がっている気はする。
それをつかまえて世界に訴えたい。それが私の未来像である。
なので今まで失敗してもチャンスはある気はする。
私は私で今までの延長しかない。これ以上成功しても仕方ない気もするけど
それぐらいしか私が時間を使う理由がない。
私自身そういう状況にいるという事だろうと思う。
それはそれで犯罪に近いと思うけどしょうがないそういう運命にいると思っている。
それが私が仕事をするという事にもつながっている。
ただあるのは世界は無責任地帯という事だろうと思う。
それでも私は世界に訴えたい。それが私の心である。

そんなこんなで短歌と俳句は終えた。
残すは読書と録画の消化である。
今週も出来るだけ書き込みを減らしたい。
それが私の負担を減らす。新たな発想よりも大事な気がする。
総じてやり過ぎである。出来るだけ収束を試みたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181202end





2018年12月1日土曜日

近況

<<追記20181201
今日は散髪と買い物と鳥の写真をとった。
途中五味八珍でラーメンと餃子を食べた。
それでもインターネットでDAWアプリをインストールしたり
御殿場の時之栖のイルミネーション調べたりした。
帰宅後パソコンに写真を取り込んだ。

何となく頭には年賀状も冬の大掃除もある。
簡単に済ませば済むけど
何か本格的にやった方がいい気がしたりする。
それでも計画としては十二月の中旬にずれ込みそうである。
日課をやっている場合でもない気もする。
十二月の二、三週間は少しいつもと違うパターンで過ごした方がいいかもしれない。

今夜もそれはそれでやる事がある。
年末年始はそんなものかもしれない。
なかなかラクにならない。今年の正月は寝正月かなあと思ったりする。
それでも何かやっている気はする。それでも楽しいかが基準な気はする。
楽しんでいるうちに解決するのが一番の近道である。
それを悪だと言われれば全員悪である。
そんなんで正義なんて存在するのか私には理解しがたい。
どうしてそれがわかってくれないのか私には不可抗力である。
結局賢いって何なのかわからないだけだろうと思う。
それを何で私が教えなければいけないのか文句タラタラである。
結局防波堤になる奴がいない。それがこの世の実態だろうと思う。
それが私の地上の星の役目なんかわからんが私は私でやられっぱなしである。
正当防衛が成立しない。そんな正義はどこにも成立しない。
それがわかってもらえないからひたすら努力するだけである。
それで努力が成立している。神様に文句言ってくれという気分である。
何か本当に神様はいるんじゃあないのかと思ったりする。
それが私の奇跡である。あんまり神様を怒らせない方が良い。
それが私なりの神様の誓いである。

今日も色々楽しかった。
明日も修善寺に行くつもりでいる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181201end