2020年10月31日土曜日

雑記

 <<追記20201031

今週はブログもツイッターも書き込みをあまりしなかった。昨日の短歌と俳句ぐらいだった。

平日もあんまり本を読まなかった。たまにJavascriptの本を二冊読むぐらいだった。

何となくお疲れモードで落ち着くのがやっとだった。こんなに書き込みを減らせばまた歴史の本を読めるかなと野望が出てきた。

毎日書き込んでいると毎日歴史の話になってしまう。それが書き込みしないならそうならない気がした。

それでもあんまり書き込みしなくても毎日同じように生活しているような気がする。

それぐらいなんか他の事をしているという事のように思う。


それと仕事で疲れて早目に寝てしまう。寒いのもあると思う。早朝目が覚める。それでもダラダラと横になっている。

何となく寝過ぎのように思う。早朝に本を読む気力が無い。それが今のところの私のネックである。

時間的に損をしている気がする。もっと他にやる事が出来る気がする。

一時間ぐらい融通出来る気がする。それが私の漠然とした問題である。


他に思う事は楽しく生きたいぐらいである。それはいつもそう思う。

それは面白いことに接するごとにそう思う。この日本でそういうコンテンツは山ほどある。

そういうことをヒントに面白く生きられると思う。そうやって私も引っ張られている。

そんなこんなでそういう面白さはチャンスでもあるように思う。

私自身他人にゲラゲラ笑わられる人間のような気もする。

そんな機会は結構あったような気がする。ひょっとしたらそれが私の笑いの原点かもしれない。

ある意味それも学習の機会のような気もする。


何となく私のアウトプットは一通り終わった気がする。

あとはひたすらインプットとアウトプットをくり返すだけのように思う。

私の十代と二十代はインプットがメインだった気がする。

四十代はアウトプットになって今は落ち着いている。それぐらい十代も二十代もアウトプットが必要だった気がする。

それぐらい私に欠けていたのがアウトプットだったように思う。

それぐらい偏っていた。それが私の反省点である。それを補正出来たのもパソコンだったような気がする。

それぐらいパソコンに助けられた人生だったように思う。

手書きでこんなにアウトプットするような人生を送っていない気がする。

それでも短歌と俳句を手書きで記録を残しているぐらいとたまに日記を筆ペンで書くぐらいで

パソコンと比べてもアウトプットの量は全然違う。

私をこんなにアウトプットさせたのがパソコンだったように思う。

私のパソコンの接点は大学時代である。それまでは私には見たことあってもさわったことなかった。

それぐらい時代にあった道具とは大切かもしれない。


昨日電車で論文読んでいる人がいた。その論文にペンで書き込みしていた。

片手にスマホとiPadを使ってた。私には考えられない時代のように思う。

そんな時代にもインプットとアウトプットは大事なのだろうけどもっと違う方法があるかもしれない。


今日は久しぶりに良く歩いた。歯周病検診に斉藤歯科クリニックに行って

イトーヨーカドー三島で買物して丸亀製麺で昼食してカドイケで買物してついでに家まで徒歩で帰った。

それでも果物とチーズ買うのを忘れてしまった。

とりあえず来週も金曜日と土曜日に書き込みたい。来週もよろしく。

<<追記20201031end


<<追伸20201031の小言

午後は少し時間があるので町内のオオカワで買物しようかと計画中である。

それでもしばらくゆっくりしたい気分である。

横になりながら読書でもしようかと思ったりする。

何が自由か何が健康か難しい相談である。考えると結構ストレスである。

そんな意味で私もそれなりに束縛されている気はする。

それはそれで人権問題である。そういう意味で不自由で不健康な気もする。

なので真面目に考える気がしない。ただ自分に出来る事をするだけである。

来週もボチボチやりたい。

<<追伸20201031の小言end

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