<<追記20191024
現実のギャップに私としては如何ともし難い。
四十代としてはもう成り上がるのはあきらめた方が良い気がする。
私としては適当に過ごすしかない気がする。
今まで散々冒険するぐらいの時間があったはずである。
それを避けて今があるとしか思えない。なので基本的に何を言っても通じない。
ただあるのは生活するだけである。ただ単にそれだけのためにモメテイル。
現実的な話が共有出来無い。それが仕事に出ている。
ただひたすらに私は冒険もしたし現実も直面した。
それで会話が成立しない。
私に言えるのはもう成り上がるのはあきらめて楽しく生きる事である。
もうそんな歳で中年である。先は長くない。
残るのは経験ぐらいしかない。いつまでも若い奴のようには仕事は不可能である。
日頃から頭を使うとか体を使うとかやってないとこの歳では無理である。
そんな現実のギャップに小中学校の再現をくり返そうとする。
何でそんな単細胞と付き合う奴隷をせなああかんのかわからない。
本当に知的生物なんだろうかと思う。束縛の地獄としか思えない。
それぐらい高卒と大卒と院卒は違うと言うことだろうと思う。
知的とは何なのかわかっていない。
くだらないことをくり返すという事はそういう事である。
それでも現実のギャップに開いた口がふさがらない。
色んな世界を知らない。仕事をする人がいない。ただの給料泥棒である。
そんなこんなでさめた気持ちである。
なので基本的にくだらない人間の方が大多数である。
そんなあきらめ気分で民主主義が成立するのか私は懐疑的である。
もっと努力する人がいない。
なのであんまり仕事が全てのように思えないのも現実である。
さめてあきらめて仕事している。誰も仕事をしようとしない。
それが私の現実でありそんなんだったら四十代からはもっと自分を大切にした方が良い。
要するに他人は自分勝手であり全然民主主義じゃあない。
自分さえ良ければ良いのであって民主主義は遠い。
もっと結果をみんなで求める所は皆無でありそれが私の奴隷の状態を許している。
いつまでこんなヒドイ状態を続けるつもりなのか無責任としか思えない。
誰も私の事を考える奴がいない。
それが努力をとっても仕事をとってもどこにいっても結果は同じである。
それが私のさめた気持ちである。
明日もよろしく。
<<追記20191024end
<<追伸20191024の小言
ここのところ録画がたまっている。当分今週の土日まで録画を消化しようと思う。
相棒とか日曜美術館とかホームズとワトソンとかカウントダウンTVとかである。
それと今日は短歌を一首作りたい。色々考える事が多くて大変だけど慣れかなと思う。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20191024の小言end
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