2020年4月30日木曜日

近況

<<追記20200430
明日は診察日である。そのため明日から事実上ゴールデンウィークである。
何となく家で自宅待機で読書である。
用は買物ぐらいである。折角だから毎週と違う本で読書したい。

数学がプログラムをやる事で進むなら
特に文系の人にプログラムをやった方が良い気がする。
何事も気分転換にプログラムをやれば数学に入り込める気がする。
結局英語と同じで使っているうちに慣れてくる。
プログラムも言語の一種である。
それぐらい英語を使っているのかが関心事かもしれないけど
プログラムも同じである。それでコードを読めば数学の頭になる。
それが気分転換にならないかと私は思う。
要するに英語と同じである。英語も作文していると気分転換になる。
それがプログラムも同じである。それで数学の頭になるならやってみるべきである。
それが私なりの提案である。

全ては頭の体操のためにある。それが私の実感である。
だから気分転換のつもりでやっている。そのうちに何とかなるだろうと思っている。
私にはデータの事は知らないらしい。それでも社会に感謝しないとデータはとれない。
それぐらいお金がかかる。それぐらいの社会的自負がないとデータはとれない。
敵味方にわかれているようじゃあデータはとれない。
それが私の本音である。責任感全くゼロで実験は出来無い。
もっと他人を勇気づける人にならんと科学は成立しない。
バカとアホなんて論外である。それぐらいの責任感が必要である。

データには補完法という関数化手段がある。
それより級数展開の方が科学的のようである。
それはそれで大学の頃に感じた時代があった。また今と昔で違うのだろうなあと思う。

私は私でやり過ぎのように思う。それでも何となく時代の要請である気もする。
それぐらいの教育を受けたからのように思う。
それぐらいみなさんにも出来ると思います。私だけって事無いと思います。
そんな責任感を持って頭の体操してたらこんな事になります。
それぐらい頭の体操していないという現実の不健康しか残りません。
これぐらい誰でも出来ます。それが私の実感です。
明日も診察で外出で買物して帰る予定です。よろしく。
<<追記20200430end

<<追伸20200430の小言
今日の書き込みも普段からの妄想が元になっている。
それぐらい無意識に考えているということだろうと思う。
あれがやりたいこれがやりたいそれが発想の元である。
何かうまくいきすぎのように思う。それぐらいやる事やっているというのもあると思う。
とりあえずゴールデンウィークである。しばらくゆっくりしたい。
明日は短歌と俳句である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200430の小言end

2020年4月29日水曜日

雑記_take2

<<追記20200428
当たっているかわからないけど
「自分にやさしくて愛があるから他人に対してやさしくて愛がある。」
それが私の感じる最近である。
他人厳しい分自分にも厳しいのではないかそう私は仮説を立てた。
それぐらい他人に厳しいと自分の存在意義が問われる気がする。
それで理想が出てくる。それで私は迷惑してる。
そんな理想を借りるより自分にやさしく愛が必要のように思う。
そうすると仕事と生活にならないのが問題らしい。
結局何事もバランスなのである。アンバランスなのが問題である。
調和が足らない。規則正しく仕事し生活して心を安定させる。
それでこそ理想はたくさん不必要である。他人に押しつける理想なんていらない。
それが人間のバランスである。
みんな同じ人間になる必要なんて存在しない。
色んなタイプを許せる人間になるべきである。
それが出来無いのはどっか人間のバランスがくずれている。
だから自分にも他人にもやさしくて愛が足りない。

なのに一割の日本人とかバカとアホの層とか考え出すのは
理想が無いと生きていけない人が言うことである。

人間はもっと自由に考えることが出来る。他国の歴史観は異常である。
日本の歴史観の方がマトモである。日本にあって他国に無いものもたくさんある。
色んな意見を言えるのも色々な自由な議論もそうである。
向こうには事実と異なる正当な歴史が幅をきかしている。
個別に歴史を議論できない。一辺倒の主張が通っててどこも多角的に議論できない。
それなのに日本がマトモじゃあ無いのはそれでは自分が理想に生きれないからである。
そんなの本人の問題であって私の問題では無い。
人間にバランスがあればこんな事は起きない。是々非々で考えられる。
それさえ許せない人が問題を起こしているだけである。
もうちょっと平和に生きれないものかと思う。

逆に普通に生きれている五割の方がよっぽどマトモである。
なので日本の中流階級を重視するのは間違っていない気がする。
そこら辺がバブルとは違う原点回帰が必要のように思う。

今週は明日一日でゴールデンウィークである。よろしく。
<<追記20200428end

<<追伸20200428の小言
私は私で他人の理想に迷惑している。そんなこと考えなくても生きられる。
他人には必要であっても私には必要でない。それが私の現実なのである。
それを本当に理想というのかわからないけど他人にとっては理想である。
なのに他人は平気でその理想を押しつけてくる。
それが他人の正義である。私にとっては迷惑でしかない。
それが一割の日本人とバカとアホが考える層なのか私には同じように聞こえる。
私はそんなんより普通に生きたい。それが本音である。
所詮私も五割の人ということかなと思う。
<<追伸20200428の小言end

<<追伸20200428の小言take2
やっぱり仕事としてプログラムの仕事出来るように知識を分配する必要がある気がする。
それが物理にも数学にもせまれるチャンスのように思う。
数学が出来無くてもプログラムに活路を求めても良い気がする。
必要なのは気力と体力だけである。
ゲームやっている暇があったらプログラムした方が良い。
若いうちにプログラムやっている方が将来性があると思う。
プログラムやっているうちに物理や数学に慣れるかもしれない。
そんなチャンスがプログラムにある気がする。
どうにかしてほとんどの日本人がプログラムが出来るようになったら
仕事に困る事無いだろうと思う。それが私の思う現状である。
もっとプログラムに活路を求めて良い気がする。
それが私の最も一番の不満である。ゲームよりプログラムの方が生産的である。
四十過ぎたら教育や上司にまわっても良いのだから
若いうちにプログラムやってもらった方が社会のためである。
それが使い捨てになって教育もままならない。この現状を変えるべきである。
それが私の最も一番の我慢ならない不満である。
良識がどうのこうのよりプログラムの仕事に不満である。
もっと人材を有効活用すべきである。現状は使い捨てである。
もっとプログラムの仕事に神経を使うべきである。そんな仕事を死守出来ていない。
もっと外堀から要塞堅固なプログラムの仕事にすべきである。
そしたら仕事に困る事無くなって経済は良くなると思う。
もっとプログラムの仕事をやってもらうことに神経を使うべきである。
それなのに排他的な仕事場に幻滅である。
もっと仕事をやってもらうことに神経を使うべきである。それが私の不満である。
<<追伸20200428の小言take2end

2020年4月28日火曜日

近況

<<追記20200428
今日も仕事した。とりあえず木曜の一日でゴールデンウィークである。
コロナウイルスもどうなるのか予断を許さない。
関東でも関西でも無い山口大学のような地方国立大学で五割のように思う。
現実問題そんな庶民が100%のように思う。あんまりエライ人はいない。
民主主義の手前五割は正確な判断をしなければいけない。
それでもそんな理論まで100%の国民には無理である。
それなのにそんな理想を他人に押しつけるなんて迷惑である。
上から下まで理想も無く仕事と生活する事考えるしかない。
要するに理想が無くても仕事と生活は出来るのである。
私の頭にあるのは善処しかない。理想なんて必要無い。

私がそんなこと言うのは家族がいないからかも知れない。
あんまり社会的責任が無い。
だけど事実を無視してまで理想を求めるのは間違っていると思う。
そんな理想は理論じゃあ無い気がする。科学的におかしい。
一部の人を困らせる理想はやっぱりおかしい。
そんなんだったら理想は不必要である。それでも仕事し生活する事考えた方が良い。
そんな仕事と生活を考えるべきで理想はいらない。

一割の人でこの日本がどうにか出来る気もしない。
たくさんの日本人が考えないと沈没する。必要なのは理想じゃあ無いと思う。
どうやって仕事しどうやって生活するかぐらいしかない。
そんことを考える余裕があるならそれはそれでアドバンテージだろうと思う。
一割だけがそれが出来るなんて私にはナンセンスである。
100%の国民がそれが出来ると思う。理想なんて迷惑である。
誰もがそのチャンスがあると思う。一割で解決しない。
それは最も自然に近いことを考えることが大事である。
もっと出来る事を積み上げていくしかない。それが一割に出来ている気がしない。

そんな無責任を何で理想になるのかが私には理解不能である。
頭にあるのは人災や公害にならないように仕事と生活するだけである。
それに反して理想を他人に押しつけるのは最悪である。
それも現実の事実を知らせない。最悪の極致である。
それが一割の人にはありえない気がしない。
帝国主義にだまされ日教組にだまされている。どちらも理想の問題である。
教育はコワイ。それを変えていくのは生徒だろうと思う。
必要なのは合理的な意見交換である。最後は生徒が確認することである。
もう頭にあるのはそんな理想も無く地道に仕事と生活するだけである。
いつもだまされているのが庶民なのである。
だからあんまり一割に期待感が無い。それでも私に出来る事をするだけである。
それぐらいなら100%の国民に出来る。
要するに誰もアテにならないというのが本音である。
<<追記20200428end

<<追伸20200428の小言
用心するのは現実から目をそらさないことである。
無視すれば無視するほど他人に振り回される。現実から逃げないことである。
現実から逃げた理想や理論は無視した方が良い。
それがそのままバカとアホを相手にしたくない理由である。
私にとって最悪でしかない。
ここまで来ると一割の人もバカとアホも期待感が無い。
100%の国民が自分の出来る事を積み上げた方が近道である。
それが私の実感である。そんなわけで五割の人も五分の魂である。
ちょうどセンター試験が理系の私には平均の五割なのである。
幻聴であんまり高校入試より記憶出来無かったため最悪の気分だった。
退却兵のように後ろ向きに試験を受けた。だからあんまりセンター試験には自信が無い。
まだ二次試験の方が自信がある。
<<追伸20200428の小言end

2020年4月27日月曜日

近況

<<追記20200427
こんなに滅茶苦茶やって民主主義なんて成立しない。
自分勝手に生きているだけである。これだからこそ目的が大事である。
ハチャメチャに生きても仕方無い。もっと自分が何をしたいのか考えるべきである。
そんな目的がハッキリしないのがみんなのためである。
みんなのためなら何をやっても良いらしい。それが間違いの元である。
もっとこの世に求めるものを考えるべきである。
それが往々にして一部の人を困らせている。そんなの関係無く結果が大事である。
その結果は自然に求めるべきである。なのにこんなに利害関係が先鋭化するのは
みんなにとって結果になっていないからである。
どんな人にも成立するのが自然なのである。
なのにみんなのために何をやっても良いにならない。
自然にみんなに成立することが大事である。その自然が成立しないから
自分勝手の滅茶苦茶なのである。

もっと自然に成立することを主眼に考えるべきである。
なんべんやっても誰がやっても一部の人を困らせない自然に求めるべきである。

なのに損得で正義は成立しない。
バカとアホのやっていることは損得である。
そして自分の安心がバカとアホの担保である。
私としては近づきがたい。そんなのに相手してたら時間の無駄である。
だから私としてはこたえを出したくない。こたえをだすほど私の状況は悪くなる。
それが昔からの私の実感である。
それを平気でまわりの他人は私にこたえを催促する。
私にはそれは恐ろしさでしかない。もっと関係の無いところで仕事と勉強をしたい。
なので私には全く関係の無い話である。
バカとアホと同じ時間なんて罪悪である。
それが少しでもそうならないように生きたいのが本音である。
そんな迷惑感が他人にわかってもらえない。本当に最悪を知らないからだと思う。
人間と言うよりバケモノである。だから相手にしたくない。
<<追記20200427end

<<追伸20200427の小言
私がこんなに書き込みが進むのはバカとアホが嫌いだからだと思う。
それは男も女も同じである。損得で動くバカとアホはもっと嫌いである。
私はそんなんより自然に生きたいし自然の利益の方が大事だと思っている。
最悪の状況で損得で生きる話はこちらも最悪なのである。
聞いているだけで疲れてくる。そんなんより豊かになる事考えたい。
なのでバカとアホに合わせる義理は無い。
私としては無関係に生きたいのである。
最近はリベラルの話とか戦後史とか満州国の話とか中国と韓国の歴史とか読んでいる。
私が思うことはあまりにリベラルも本当に事実を知らないのだと思った。
自分を理想に生きたいだけで現実を知らない。
日本にある事が他国に無いのが知らない。日本と同じく他国にもあると思っている。
他国の歴史観さえ知らないで日本で理想に生きるために独断している。
それはそれで情報がかたよっていると認識している。
それが何か日本の一つの危なさだなと思った。色々情報を知った方が良い。
それが私の本音である。
<<追伸20200427の小言end

2020年4月26日日曜日

雑記_take6

<<追記20200426
http://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_20.html

三角関数などのべき乗展開は微分が出来れば可能である。
マクローリン展開とかテーラー展開とかがある。
二変数のべき乗展開も出来るらしい。
1から0と-1から0のべき乗はべき乗を重ねるごとに有効数字が細かくなる。
なので何桁までの有効数字まで出すか決めたらあるべき乗でで終了する。
だからpiの何桁まで計算する事も可能である。
行列の三角化は代数方程式の計算に有効である。
x=6     (y,z行を引いてxを求める)
y=4+3x   (z行を引いてyを求める)
z=5+2x+2y (zを求める)
例えば上のような感じが三角化であり上から代入していけば求められる。
代数方程式を三角化するのは各y行を列をかけたり割ったりしてそろえて
二つの行の式を引くことで各y行が0で消滅し各z行も同じく
各y行と各z行を0にすると一番上のxが出てきて
各行列を三角化させる事で代数方程式の変数を求める方法である。
他にも行列の固有値で代数方程式を求められる。
固有値で最小二乗法を求められる。あるデータをy=a*x**2+b*x+cのような
二乗までのべき乗で関数を作る方法である。
それ以上のべき乗展開が級数展開や三角関数の級数展開(フーリエ級数展開)である。
あんまりべき乗を増やすと関数が波打つのは高校の関数論でわかると思う。
エルミート行列の正規直交化は量子論の複素空間で出てくる。
無限次元にエルミート行列の正規直交化できる。正規とは1に規格化する事であり
確率が1と言うことである。直交化とは角度を90度にする複素空間である。
多重積分は次元が増えるごとに多重積分することである。
複素空間では分母の特異点まわりで積分できる。
複素空間で積分できると言うことは複素空間は実数空間を含むので
実数空間でも分母の特異点まわりで積分できる。
ルンゲクッタ法はプログラムの微分の計算方法であり
モンテカルロ法は確率表現のプログラム分布であり
ニュートン法はプログラムの関数のこたえである。
偏微分はある変数のみ微分する。別の変数を一定として偏微分することがある。
微分方程式は人間のやる計算で求める。プログラムで出来るかは知らない。

とりあえず一次方程式が代数方程式であり行列であり線形というらしい。
それが二次方程式とか増えると非線形というらしい。
物理がやるのは線形が多いと聞いている
色々微分したり積分して線形に持ち込むと言うことだろうと思う。

あとは数学の問題としては統計かなと思う。
正規分布をガウス分布というらしい。物理には統計力学のボルツマン分布がある。
大学の講義でやったけど私の専門で無かったためか
あんまりボルツマン分布は慣れていないように思う。
ガウス分布もボルツマン分布も指数関数の分布である。

今日は物理の数学の世界観でした。
<<追記20200426end

<<追伸20200426の小言
http://wakkii.umu.cc/poem_road/

短歌と俳句のページで今年の二月までである。
一応2009/12月から始っているけど私が三重にいる頃から短歌を作っているので
三重から名古屋に移ったのが2002年である。
このホームページ作り始めたのが2007年頃だったように思う。
あんまり最近は詩を作らないよなと思う。
最近は漢詩を少し読み出したり英語の詩を読んだりしている。

それにしても私にやる事があるのは何を意味しているのか不思議である。
決して専門だけで終わらない気がする。
何となく知りたいという一念で生きている気がする。
ボチボチやりたい。
<<追伸20200426の小言end

<<追伸20200426の小言take2
これ以上無茶苦茶やっても無茶苦茶である。話が成立しない。
全くコンセンサスがとれない。小学校の頃からそうである。
私には勝手にしろぐらいしかない。理解が共有出来る人と話がしたいだけである。
何でそんな無茶苦茶な人と比較される必要があるのかが犯罪である。
賢い一つ共有出来無い。全く私にはそんなのと関係無く生活がしたい。
まったく話が通じない人が私を困らせているだけである。
そんな認識が出来無い人がバカとアホである。私にはどうしようもない。
私にあるのはひたすらに勝手にやってますぐらいしかない。
最低最悪である。それでどうやって成功すると思っているのか私には理解不能である。
永遠に無理である。無理に無理を重ねているだけである。
無茶苦茶にバカとアホはしている。それを犯罪じゃなくてなんなのかわからない。
それさえ気づかないで迷惑を与えているだけである。
それでどうやって他人を救えるのかが私にはわからない。
無理でしょというのが本音である。ありえない人がありえない事やっているだけである。
もっと話のわかる人間になった方が良いだけである。
本当に迷惑でしかない。これ以上他人に対して私はどうしたら良いのかがわからない。
そんな話の通じない宇宙人がいるぐらいしかない。それぐらい不可能である。
<<追伸20200426の小言take2end

2020年4月25日土曜日

雑記_take3

<<追記20200425
話をする一番大事な部分は「AならばB」を明らかにすることである。
「AならばBかつBならばAならA=B」
「AならばBかつBならばCならAならばC」
「AかつB以外はA以外またはB以外」これは逆も真
「AまたはB以外はA以外かつB以外」これは逆も真
「AならばBならB以外ならばA以外」これは逆も真
こんな論理学もあるけど一番大事なのは「AならばB」を説明することである。
それをたくさんリスト化して何が説明出来るのかが大事である。
それがもっとも理解出来る話である。今の現状を理解出来るもっともな方法である。
そんな説明が科学的にも論理的にも数学的にももっともな話だろうと思う。
そんな説明が出来無くても「AならばB」ぐらいは話すべきだと思う。
それが情報の価値だと思う。それが生きている価値だと思う。
私は挑戦も大事だと思う。だからあんまり失敗にこだわること無い気がする。
そのうちの何個が成功すれば良いと思っている。
だけど他人に話すときは妥当性を求める必要がある気がする。
だけど憶測でありえそうな話も成立すると思う。
しかし成功するか失敗するかわからない話自体は成立しない気がする。
こんな事をやってみる話は成立してもその先の結果までは成立しない。
結果は結果待ちでしかないと思う。こんな事をやってみる話は成立しても
結果までは予測不可能である。
それでも科学は未来予測がおぼろげに見える。それはそれを説明すべきである。
何となくありえそうな話が科学にはある。それを説明してこそ科学だろうと思う。
それはそれで「AならばB」である。
そんな説明を求められたのが私の修士生時代だった。
それが私の言語の形成になっている気がする。そしてその延長が今だと思っている。
そこまでかかったのはブログの書き込みの経験だろうと思う。
私の頭にあるのを書き込んではじめて自由になっている気がする。
そんなに自由になるほど書き込むのは大事だと思う。
考えていることすべてを書き込めるからである。それは数学も物理も同じである。
それが可能なのはなんべんも書く事に挑戦しているからである。
それではじめて書く事で発想が浮かぶ気がする。それぐらい自由になる事は大事である。
それぐらいのことは人間に出来るのである。それをせずしてテストで終わっている。
それが学歴と職歴の犯罪である。生きている以上自分の考えていることぐらい
文章にすべきだと私は思っている。それに妥当性があるのが学歴と職歴だと思う。
文章に妥当性が無いのはまったく生きている意味が無い。
それが私の実感でもあり私の格闘である。
<<追記20200425end

<<追伸20200425の小言
そういった人間の間に論理が成立しないのがこの日本なのである。
なので一般人が活躍するのは当分難しいというのが私の本音である。
あっちこっちでそんな論理が成立しないと難しい。
バカとアホにはそれがわからない。それが私を比較対象にする理由である。
私が何をやっているのかが理解出来無い。それがこの現状を引きずっている理由である。
どうしようもないバカとアホが私を認識しないのが問題なだけである。
私はひたすらにどうしようもないだけである。
そんなどうしようもない奴私には無抵抗である。話が成立しない。
それを身をもって理解出来る奴で共有するしかない。それが本音である。
<<追伸20200425の小言end

2020年4月24日金曜日

短歌と俳句と近況

短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_24.html 


--->> 桃太郎持って生まれた鬼退治そんな悪役正義づらなり 行山 
--->> 今週もやる事やってあしたのみ楽しいことも悲しいことも 行山 
--->> 土日来る金曜の夜横になりもっと楽しい会話がしたい 行山 
--->> 人生は迷惑ばかり先に立ち賢い話成立しない 行山 
--->> 作戦は楽しく生きる言い聞かせやる事多く心配無用 行山 
--->> いきるとは難問多くこたえてる解決目指す不屈の闘志 行山 
--->> 週末の残りわずかの日課ありしめくくるもの我が道を行く 行山 
--->> 問題はどこにあるのか見当たらず時間ばかりが罪悪かしら 行山 
--->> 春雨にぐっとこらえて四月なり計画あれば憂う事無し 行山 
--->> 読書して格闘の末こたえてる今の私も昔の私 行山 

/*やれやれと*/
/*仕事終わって*/
/*帰宅して*/
/*やる事残す*/
/*ひとふんばりよ*/

/*不思議にも*/
/*アテにならない*/
/*浮き世にて*/
/*つまらぬ社会*/
/*地獄絵図かな*/



--->> いさぎよく花にさらばと別れあり 行山 
--->> 桜舞うせつなさどこか浮き世かな 行山 
--->> 人生に花通り過ぎよみがえる 行山 
--->> 春雨に洗濯物の難儀かな 行山 
--->> 神様の力を借りて春がある 行山 
--->> あたたかく何でも出来る読書かな 行山 
--->> 感謝してやる事多く春がある 行山 
--->> 深まれば一歩一歩のあたたかさ 行山 
--->> 土日こそおもひおもひのあたたかさ 行山 

/*ひとごみの*/
/*関西コワイ*/
/*春がある*/

/*家にいて*/
/*体がなまる*/
/*春の陣*/

<<追記20200424
今日も仕事した。土日は自宅待機が一般的になっている。
それでも買物したい気はする。洗濯もあるしゴミ出しもある。
今週のお弁当はタケノコの炊き込みごはんだった。
それでも私は何に備えているのかわかっていない。
ただ目の前のやる事やっているだけである。それが人生だと思う。
それなのにバカとアホの論理なんてナンセンスである。
小学校の頃から相手にしたくない。それが本音である。
ひたすらにやる事やるだけである。それだけのために問題を起こしている。
中年になって四十五年何をやってきたのか私にはわからないが
何にも残らないなんて手のつけようがない。
それで私を比較対象にするなんて幼稚に近い。
もっとやることたくさんあるだろと思う。
そんな生半可なバカとアホなんてどうでも良い。それが本音である。
土日も読書三昧である。ボチボチやりたい。
<<追記20200424end

<<追伸20200424の小言
中年になって模範にもならないのなら期待値ゼロである。
それがどうして私に関係あるのかわからない。
結婚どころじゃあない。それを私にどうしろというのかがわからない。
収入だって私には無関係である。
一体私をオモチャにして喜んでいるだけである。私にはひたすらに無抵抗である。
そうやって賢く生きれない人が問題を起こしている。
無駄に無駄の奴隷である。一体これのどこがエライのかがわからない。
私としてはもっとまともに生きれるはずでありそれが出来無い人は無理である。
それが私の実感である。これ以上引き延ばしても解決しない。
秀吉みたいなのがイッパイ出てこないと世の中は変わらない。
一人で済む話じゃあない。そういう価値観を共有出来無いと世の中は変わらない。
それが私の考える賢い人である。それを身をもって実感することが大事である。
それが出来無い人が問題を起こしているだけである。
<<追伸20200424の小言end