2020年2月8日土曜日

原木駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20200208
今日は原木駅からユートピア函南までだった。伊豆仁田駅まで歩く気がしなかったので
大場駅まで歩いたら結構疲れてしまった。
日守山もコースに入ってたけどショートカットしたので
どっちもどっちかなと思った。

それでも歩いてたら梅がちらほら咲いてた。他には水仙も目にとまった。

何か今日は全体的に疲れてしまった。
何となく何もする気が起こらない。しばらくベットで横になっていようと思う。

全体的にバカとアホの証明なんて私はしたくない。
それがこのまま行くと本気でしかけない。
自然法則のままで世の中は成立している。
それに反する事が今まで無いから自然法則なのである。
それをうまく使って科学が成立している。
神様がなぜそれを成立させたのかまでわからない。
それが神様が作った世界である。何回も同じ事して何回も同じになる。
不規則なバカとアホの証明なんてナンセンスである。
神様の領域でなんべんやっても同じになる法則の中で人間は戦うべきである。
なんでそれが成立するのか人間でも説明がつかない。
そんなうまさが科学にある。
それなのにありえないバカとアホの文句や問題なんて考える暇が無い。
もっと神様の領域で人間は戦うべきである。
ここまで来ると時代に逆行している。
なんべんやってもなんべんもそうなることで戦うべきである。
そんな自然法則を無視してまでバカとアホの文句や問題と戦う気がしない。
最低で無意味なのに偉そうなのである。
それは男だけでなく女もそうである。ここまで来ると最悪の世界である。
もっと神様の領域に冒険した方が良い。
人間の領域なんて狭すぎる。最悪なのに偉そうなのである。
ここまで来るとその最悪を私にカバーさせる気らしいぐらいしかない。
私としてはひたすらに無関係でいたい。
女も男も最低である。それが私に何の関係があるのかわからない。
もっとまともにいきれるはずである。それが出来無い人が問題を起こしている。
全く無関係なのに迷惑を与えて平気で最低で最悪な女と男が偉そうなのである。
そこにあるのは会話が成立しない世界である。
女は人形であり男はカッコばかりである。人間そんなためにいきていない。
私にはそんなのつまらない。もっと中身のある人間になりたい。
もっと面白くいきれるはずなのにつまらない問題ばかり起こしている。
結局そんなつまらない人に何言っても効果が無い。
それだけに最後はバカとアホの証明しか残されていない気がする。
偉いのは神様の作った自然法則であり人間では無い。
人間に残されたチャンスは自然法則を探すことである。
なのに時代に逆行したバカとアホの論理なんて問題外である。
最善を目指せない人が文句を言っているとしか思えない。
目指せない以上偉く無くて良い。それが私の第一感である。
なんでバカとアホが偉くなるのか私には信じられない。
もっと人間は最善を目指すべきであり民主主義も根幹だと思う。

明日もよろしく。
<<追記20200208end

<<追伸20200208の小言
しばらくベットで横になっていようと思う。
もっと私を大事にして欲しい気はする。女が偉くなる根拠がわからない。
意味不明で最低なのに偉いのである。私にはありえない人が叫んでいるとしか思えない。
もっと会話の出来る女がいないのかと文句タラタラである。
ただ感じるのは女の人形が成立しないのが我慢出来ないぐらいにしか思えない。
それだけの権利のために文句を言っているとしか思えない。
もっと他に面白い事ないのかと私は思う。
私にはつまらない人が文句を言っているとしか思えない。
要するに心が無い。
明日は寒桜です。ボチボチやりたい。
<<追伸20200208の小言end





2020年2月7日金曜日

短歌と俳句

短歌十首更新 --->> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2020_2.html 


--->> 寒さから通り過ぎ行く祈りあり日課ばかりが気にかかるかな 行山 
--->> 色々と思ひ返せばなんとやら土日入る計画立てる 行山 
--->> 今週も無事に過ぎれば日課あり工夫をしつつのりこえるかな 行山 
--->> 慣れてきていつものように調整し克服すればもう一歩かな 行山 
--->> いつになく歩き疲れて帰路に着く色んな事が山のようなり 行山 
--->> 色々とやる事残し今があり寒々とした世の中みえる 行山 
--->> 冬の雨凍てつく気持ち重ねてもたまらんものはたまらんかしら 行山 
--->> 人知れず幾度とせまる挑戦に成長の跡残して歩む 行山 
--->> つまらなく時が流れてはかなくて生活だけが残るものかな 行山 
--->> 人知れず私に出来る一歩ありなればなるほど毎日にあり 行山 

/*願うなら*/
/*もっとまともに*/
/*いきたくて*/
/*包まれるもの*/
/*悲しみばかり*/

/*楽しみは*/
/*日進月歩*/
/*するけれど*/
/*つまらぬ仕事*/
/*続くものなり*/

俳句九句更新 --->> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2020_2.html 


--->> いつの間に一月終わる努力かな 行山 
--->> 春隣いつかどこかで祈りあり 行山 
--->> 春遠くかみしめてなおこらえてる 行山 
--->> 冬深く持ちこたえつつ我思ふ 行山 
--->> 冬終わり決意をかため日を送る 行山 
--->> 春近く一歩一歩のいさみ足 行山 
--->> 春待ちて展望開く一歩あり 行山 
--->> 春隣やがて来るはず信じてる 行山 
--->> 厳寒に緊張走るたまらなさ 行山 

/*立春の*/
/*希望を胸に*/
/*一歩ずつ*/

/*余寒から*/
/*前に進んで*/
/*日を送る*/

2020年2月5日水曜日

近況

<<追記20200205
今日も仕事した。相変わらず良くわからん幻聴で苦しんでいる。
ここまで来るとバカとアホが決定するまで続くらしい。
私としてはたまらんというのが本音である。そんな自己意識も無く幻聴が続いている。
仕事もそうである。私には関係無く仕事が続いている。
誰が仕事しようと私には関係が無い。それなのにのたうちまわるのは
バカとアホの認識が無いだけである。
一体それをどうやってわからす気なのかわからない。
そんな現実感覚もなく続いている。仕事しては末期的である。

当分書き込みを減らそうと考えている。

書き込み自体が負担なのと何か同じ事を書き込んでいる気になったりするからである。

結論はバカとアホの発言がバカとアホの認識を持てないってだけである。
ここまで来ると民主主義なんて成立しない。
そんなのと関係無く私は私で自由のために善処するしかない。

そんな結論はもう小中学校の時から決まっている。

なので当時から私はそんなのと関係無く生活したかった。
今もそれは幻聴と仕事含めて変わらない。

私の関心は民主主義はどのような形をとるかぐらいしかない。

バカとアホはどこまでもバカとアホなのである。

そんなのと関係の無い生活がしたい。それが私の本心である。

なのに私に対してのたうちまわるのは人災である。
もっとまともにいきたいそれが本心である。

妥当性さえ共有出来無い。要するに無茶苦茶である。
それのどこが勉強しているのか私にはチンプンカンプンである。
そんなことを続けたら利己主義しか残らない。
そんなバカバカしさとやりきれなさしか感じない。
要するに現実と理論の普遍性がわからないのである。勉強不足である。
時間の計算も出来無いのだからもう無理である。

要するに話が合わない。異次元空間の人である。
それなのに私に対してのたうちまわるのは犯罪である。
迷惑のなにものでもない。

私としてはもっと真面目にいきれると提言している。
それ以外は一切私とは無関係な立場をとり続けている。
それ以上私としては無関係でしかない。
勝手にやってろぐらいしかない。それは幻聴も仕事も同じである。

明日もよろしく。
<<追記20200205end

<<追伸20200205の小言
今日は金曜日まで日課を流す予定でいる。
もっと真面目に生きたくなる世の中にすべきなのにデフレのせいか
最悪な世の中である。エリートももっと何を考えているのか私には理解不能である。
エリートもバカとアホも利己主義しか残らない。
理論と現実の普遍性にほど遠い。神様はもっと違った世界を作ったのに
世の中は逆行している。それがまともに生きる気が無くなる原因である。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200205の小言end

2020年2月4日火曜日

近況

<<追記20200204
今日も仕事した。最近は千利休の本読んだり世阿弥の本読んだり
日蓮の本読んだり空海と最澄の本読んだり法然と親鸞と一遍の本読んだりしている。
岡倉天心の茶の本読んだりしている。何となくそれ全体が日本文化のように思う。
特に千利休は美的感覚に優れている気はする。
いろんな情緒のある人だったんだろうなあと思う。
行書楷書草書どこを学んでも良いらしい。それも茶道にも言えるらしい。
そんな意味で色んな茶道があるようである。
それが全体的にワビサビにつながる。心は仏道らしい。
なので日本文化も仏道は切っても切れない。
どうも仏道も禅から茶道が来ているようなので禅も知る必要ありそうである。
何となく私は私で日本文化を楽しむ人間になりたい気はする。
それがどうやった形で実現出来るか考えている。
ワビサビ考えるとお金の問題じゃあ無い気がする。
用が足りるぐらいで実現する方法が大事である。それが短歌と俳句以外に何が出来るか
興味本位に本を読んでいる。情緒のある生活とは何なのか
それも仏道なんだろうなあと思う。なんせ心が仏道なんだから
究極の問いが仏道である。ダラダラしてもセカセカしても実現しない気がする。
そんな微妙なバランスが情緒のように思う。
そんな美的感覚が千利休にあったのではないかと私は思う。
何かをじっと考える時間と作業する時間その対比がないと情緒ある生活にならない。
多分そのバランスが絶妙だからこそ美的感覚が生まれる気がする。
色んな事に気づくし考えもする。そんな時間配分が絶妙なんだろうと思う。
ただテストが出来れば良いという問題じゃあ無い気がする。
それが生き方としての仏道と重なる気がする。
そこに慈悲がある。慈悲はテストには存在しない。
生き方としての慈悲が絶妙な時間配分と関わっている気がする。
何となく今の所それが私の感じる日本文化である。

昨晩は日課をこなした。今晩も日課をこなしたい。
何となくあんまりやり過ぎも問題かなと思う。情緒ある日課にしたい。
それが今の所の課題である。

明日もよろしく。
<<追記20200204end

<<追伸20200204の小言
色々野菜があって今の所ほうれん草とネギを消化した。
今週はキャベツを消化したい。他にも色々野菜がある。それはそれで作戦会議である。
そんなこんなでまだ一人暮らしに慣れていない気はする。
それでも楽しんで生活したい。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200204の小言end

2020年2月3日月曜日

近況

<<追記20200203
今日も仕事した。昨晩は民主主義の本をナナメ読みして完読とした。
司馬遼太郎が出てきて戦中の総決算になっていないと指摘され
戦中のある部分が抜け落ちているというコメントだった。
それがそのまま司馬遼太郎のやったことだった。
私は何となく戦争自体が戦国時代に似ている気はする。
それぐらい生活するのも大変だったし物資に恵まれていなかった。
要するにそこから勝ち取る必要があった気がする。
それが国民を戦争に突き進んだ気がする。今は幸いやる事がいっぱいある。
戦争している場合じゃあない。そんなに多岐にわたるぐらいやる事がある。
そんな手前もっと人材の有効活用をした方が良いと思う。
自分だけが得をする教育もあらためる必要がありそうである。
そんな問題意識も無く賢くなってもしょうがない。
そんな自由を求めるのが民主主義らしい。善処する自由が大切なのである。
それなのに自分一人だけ得しても自由を求める民主主義にならない。
学習をするのは自由を求める善処の中で生活する事である。
なので自分だけ得をする教育なんて民主主義では無い。
そんな善処が私にも要求されている。そして他人もまた同じである。
そうやって全国民が幸せに向かって目標に向かうことが大事である。
それは今現在もそんな世の中になっていない。
学校の先生も役に立っているのか私には半信半疑である。
そうじて国民全体が自由に善処しているように思えない。
要するに自分だけが得をしているだけである。
そんな権利を行使して何が実現しているのか私にはチンプンカンプンである。
やる事はいっぱいあるのだから人の人生をそのレールに乗せることである。
それが今の時代に最も要求される事だと思う。
そんな行動を政治的にも社会的にも経済的にも不成立である。
自分が得をしているだけである。そうやってみんな目標に向かって活動してない。
それを民主主義というのか私は信じられない。
大事なのはもっと今の知識を有効活用することである。
それが出来無くて民主主義は成立しない。
そんな活動とほど遠いというのが私の実感である。どこが善処しているのかわからない。
結局自分だけが得するようにしか活動していない。
それが民主主義なんて言えない。それは自由と言うより束縛である。
なぜなのか自由に善処出来ないからだと思う。そうやって他人を束縛している。
必要なのはお互い自由に善処する活動である。それが民主主義であると私は認識した。

明日もよろしく。
<<追記20200203end

<<追伸20200203の小言
教育の機会均等とか勤労の義務とか不公平もほどがある。
そんなんで民主主義なんて無理である。色んな人を見て考えた方が良い。
他人にチャンスを与えるぐらいの気持ちも無くて民主主義は成立しない。
それなのに世の中の矛盾を感じざるおえない。
何で私だけがターゲットになって困る必要があるのかもわからない。
結局自由に善処出来ない人がいっぱいいる世の中なのである。
そんな世の中を作った人が悪いのであって私は悪くない。
何で私が問題解決人にならなああかんのかわからない。ほとんどエリートが悪い。
自分の事ばかり考えるエリートが悪い。チャンスを与えないエリートが悪い。
自分の給料ばかり良いエリートが悪い。私はドロップアウトした。
その責任をエリートは感じるべきである。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200203の小言end

2020年2月2日日曜日

近況_take3

<<追記20200202
人間の中身が空洞化している。もっと中身を問わないと仕事にならない。
そんな仕事をしているからいつまでも中身が無い。
結局仕事以外で自分で本読んで日課をこなす方が効率的になっている。
そんな中身の無い仕事して毎日が終わっている。
それはみんな逃げの姿勢である。それで仕事が成立している。
それが物理にしてもプログラムにしても干物やタッパーや事務の仕事にしても言える。
人間の中身が空洞化している。もっと真理にせまろうとしない。
逃げてばかりで仕事が成立している。
それでどうやって経済が成立するのか私にはチンプンカンプンである。
もっと人間の中身で勝負すべきである。
それなのに何か逃げの一手である。空洞化に拍車をかけている。
結局日課をこなす方が効率的になっている。
それはそれで逃げではあるが経済全体が逃げになっている。
みんなが逃げているから私も逃げている。日課だけが攻めになっている。
仕事全体が逃げている。なので私自身真面目に仕事を考える気にならない。
とにかく通り過ぎていくのを主眼としている。
そうやっていつの時もみんな逃げているようにしか見えなかった。
それが今も同じ状態である。そして私は日課だけが主眼である。
私の理想は私が働かなくても他人が働くことである。
現実は私が働かなければ仕事にならないである。
そんな中身が仕事として空洞化している。自分で本読んでる方がマシなのである。
そんな仕事だからデフレなんだろうと私は思う。
攻めと言うより逃げである。だからあんまり真面目に仕事する気になれない。

そんな逃げ精神だから仕事が成立しない。創造的になれない。
真面目に考えるのがバカバカしい。
それが物理にしてもプログラムにしても干物やタッパーや事務の仕事にしても言える。

ただあるのはもっとまともに生きたいってだけである。
いつの時もそう思う。それは私だけの問題じゃあ無い気がする。
みんなそうだというだけである。
なのにみんな逃げているから私も逃げる。最後の砦は日課ぐらいである。

明日もよろしく。
<<追記20200202end

<<追伸20200202の小言
昨晩は外国語を少しした。ほうれん草もゆでた。
今日は英語と古文の作文を二回分やるつもりでいる。昨日やったのか記憶が無くて
念のため二回やる事にした。それとグラタン作ってご飯炊いて残りの外国語やって
録画を消化する予定である。
明日は仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200202の小言end

<<追伸20200202take2の小言
とりあえずあとは英語と古文の作文一回と残りの外国語と録画のみになった。
もうすぐに午後二時をまわろうとしている。
私にとって仕事は通り過ぎればそれで良いになってる。
なので適当に済んだらそれで良いだけである。
そのためだけに仕事している。他人はどんな問題をかかえているのか知らんけど
私は仕事を真面目に考える気になれない。それが私のデフレの仕事である。
他人が仕事しないことまで面倒をみれない。
それぐらい適当に仕事を済ましている。ただひたすらに通り過ぎるために仕事している。
それなのに他人がそんなに仕事のことを考えられる気がしない。
考えないで済むように仕事するのが私の言うみんなが逃げている証拠である。
つまり仕事自体に中身が無い。考えるだけ損である。
それでも明日は仕事。それも仕方無し。生活のためである。
もうひたすらに仕事のこと考えるより通り過ぎるだけである。
それがデフレの仕事の逃げである。仕事自体に中身が無い。
<<追伸20200202take2の小言end

<<追伸20200202take3の小言
みんな逃げているからまともにいきる気がしない。
それが物理にしてもプログラムにしても干物やタッパーや事務の仕事にしても言える。
まともに評価さえしない。それが障害者の宿命である。
これを差別と言って何なのか理解不能である。
これじゃあ仕事を通り過ぎるしか手段が無い。それが本音である。
ようやく残りの外国語と録画のみになった。
みんな逃げているから障害者を評価出来無いなんて犯罪も良い所である。
本当は向こうから仕事が来てもおかしくない。
いつまでこんな不当な扱いを受けなああかんのかチンプンカンプンである。
正義が許せない。そう思っても通り過ぎるしか手段が無い。
それが私の唯一の仕事に対する手段である。みんな逃げているしか感想が無い。
私としてはただまともにいきたい。それが本音である。
<<追伸20200202take3の小言end

2020年2月1日土曜日

近況_take2

<<追記20200201
私の読書癖は時間的に学歴と職歴に関係が無かった。
そんな時間が私にあった。それが私の頭の体操になった気がする。
そんな手前「少年よまずは本を読んでみろ」みたいな気はする。
それを誰かに言われたわけでは無い。何でかそれが当たり前だった。
そんな父の本棚の影響のように思う。
そこに読める本棚があっただけである。そして幸い私には本を読む時間があった。
二年ぐらい帰宅部というのもあるし勉強もあまりしなかったのもある。
それでも予備校で授業は受けていた。そんな手前勉強の悩みは尽きなかった。

それなのに勉強もしないで東大に合格する奴がいる。
九大の図書館のある有名私立高校の卒業アルバムにそれを自慢する奴がいた。
私にはそっちの方が問題が多すぎる気がする。
自分で努力もしないで授業受けているだけで合格するらしい。
私の勉強の悩みは何なのか人生色々である。
そんな手前あんまり誰も偉そうな事言えない気はする。
努力以外で東大に入学する奴がいるからである。
なので基本的に学歴と職歴は私自身信じていない。
もっと自己努力を実現する方が賢いと思う。なので学歴と職歴が努力だと思えない。
形ばかりの詐欺に近い。それが私の現実感覚である。

努力の方がまず大事だと思う。そんな本分さえ帳消しにするのが学歴と職歴である。
努力と直結しない東大入学者がいる。

なので基本的にテスト何てどうでも良いのである。
大事なのは結果である。物理に結果を残したとかプログラムに結果を残したとか
文学に結果を残したとか大学に入ってやる事の方が大事である。
大学入試なんてどうでも良い。ある一定の勉強が示せたらそれで良い。
それさえ出来無い人が文句を言っているだけである。
結局の所そんな機会を持てる人の選別にしか機能していない。
それに文句を言い出したら誰もそんな権利は存在しない。
それが私の現実認識である。

明日もよろしく。
<<追記20200201end

<<追伸20200201の小言
今日はほうれん草をゆでようと思っている。外国語もやりたい。
私は基本的に学歴や職歴より努力する方が大事だと思っている。
そのために読書も大事だと思う。それが自由に思考する道だと思う。
あらゆる角度で物事を見るべきだと思う。それには読書が最適のように思う。
それが私の感じる読書である。なので私はヘンテコな理系である。
明日は日曜日である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200201の小言end

<<追伸20200201の小言take2
論理的な人より非論理的な人の方が自由度が大きいはずがない。
そんな自然じゃあないからである。あくまでそういう社会だということである。
そうやって生き残れる社会だということである。
そんなんより美鈴ちゃんの夢を実現するためにお供したい。
それがそのまま国会議員と公務員の関係はギクシャクしている。
もっと悩むのはそういう夢をどうやったら実現するのかである。
問題をもみ消す事よりそっちの方が大事である。
そのために論理的に考えるべきである。もっと他に論理的に考える事は山のようにある。
全体的に安倍総理は何がしたいんだろうと思う。ただあるのはそれだけである。
私は政治に必要なのは夢だろうと思う。
この混沌とした中で夢が実現するのかが大事である。
それでもそんなことを考えるのは私が政治家じゃあないからかもしれない。
あまりにプレッシャーが大きすぎて私にはやれない気がする。
そんなタフさが必要にしか見えない。願うのは人材の有効活用である。
そんな思考回路が実現するのかが明暗を分ける気がする。
それには色んなプランを文章化することだろうと思う。そこから物事は構築される。
それを大人数で文章化すべきだろうと思う。模索する文章でも良い。
それでも現実と対比して文章化すべきだろうと思う。必要なのは現実と理論である。
そうやって考えてこそ論理的な人の勝利である。
そんなことと関係の無い生活しているから非論理的な方が社会で有利になると思う。
それでも社会科学にはガッカリする。ちゃんと現実に立脚した理論を考えるべきである。
それでも人間に必要なのは全体的に調和のとれた夢だろうと思う。
それがあるかないかでだいぶ違ってくる。それが美鈴ちゃんを選択する理由である。
それもなくエラくなっても仕方無い。それが私の本音である。
あんまり自分のためにエラくなってもつまらない。夢が無い。
なのでもっとこの日本をどうしたいのか気になる所である。
司馬遼太郎の時代がなつかしい。もっとこの日本に意見の言える人が必要に思う。
昔を思い出すと今はそれがあんまり悲しいことにいない気がした。
<<追伸20200201の小言take2end