<<追記20220212
今週も疲れた。なので今週の土日は携帯電話の電子書籍のみ読書するつもりでいる。
結構電子書籍が端末ごとにジャンル別にセレクトされてて最近は携帯電話の方がお留守になっているためである。
FreeBSDとLinuxの本を今週も消化した。tail -fとかログ解析ツールとかLinuxのディストリビューションについてぐらいになった。
Haskellも終盤戦である。何となくもっとコードを見ないとモナドは使えない気がする。
それでもまだ展開は未定である。二冊読んでて一冊はモナドが過ぎたがもう一冊はこれからが本題である。
それでも大体どんな型のモナドがあるのかは理解出来た。だけどどのようにその型を組み合わせられるかまでいっていない。
そもそもリストもモナドらしい。モナドは一関数に一つらしい。それ以上を使うとしたら一つの方法として関数の合成らしい。
モナド変換子というのがあってモナドを違うモナドに変換するモナド変換子というのがあるらしい。
そんなんだからモナドの型がどういう組み合わせが可能なのかまで理解出来ていない。
何かモナドって数学の圏論らしい。数学から来ているとは知らなかった。
ただ関数型言語にはエラー解析に役に立つんじゃあないかと思っていた。何となくモナドは数学者にまかせた方が良さそうである。
でも何となくモナドと圏論をどうやって料理すべきかわからない。R言語のベイズ統計みたいである。
要するにHaskell言語の圏論(モナド)みたいである。どうもそこら辺で住む世界が違う気がした。
一応一ヶ月つき合ったので最後までやろうと思う。何か数学者もモナドがプログラムに使えるか想像しているみたいだから
そう簡単に役に立つものじゃあなくてもっとスケールの大きな課題に役に立つもののように感じた。
それぐらいスケールが違う畑の話に聞こえた。
ベイズ統計も私なりに失敗している。それがそのままR言語が活躍する理由のように思う。
なので私がモナドに失敗すればHaskellは成功するだろうなあと思う。
洗濯と炊飯と土日の日課と携帯電話の電子書籍と部屋の整理整頓とDVDが土日の課題である。
私は結果オーライで生きている。最終的にうまくいけば何の文句も無い。それでも若い時にもっと色んな経験したかった。
それぐらい私の知らない世界があるように思う。私でさえそう思うのだからアマノジャクなんて論外なのである。
今の所私の人生の延長しかなくなっている。それぐらいやる事やっている気はする。
だけどもっと若い時に時間を有効に使ってればもう少し違った気はする。それも少し時代の仕方無い側面のように思う。
現在はもっと違った世界になっている。それぐらい日本人が積極的になってくれればデフレの神様が笑ってくれる気はする。
そうしてインフレになるかまで私にはわからない。私は私でデフレに抵抗したという事だと思っている。
そこにデフレの神様を感じてくれればデフレの神様が笑ってるかもしれない。
私は私の結果オーライを目指している。だからあんまり私が特別とか他人が特別とかは無い。
全ての人が活躍する世界をのぞんでいる。だからあんまり特別視する事はない。フラットこそ結果オーライの原因だと思っている。
だからあんまり神様的とかエラそうとか私は疑問視する方である。それぐらい自然派なのである。
普通の人が普通に真面目に生きられる方を選択する。それが私の自然派なのである。
なのであんまりバカにも秀才にも期待していない。どこまでも普通に独立独歩が大事だと思っている。
それぐらいフラットが私の理想である。それぐらい普通に出来るのが私の理想である。
それでも春が待ち遠しい。なんでこんなに春をのぞんでいるのかわからないけどそれが私の元気のように思う。
色んな事が未来に形になると信じている。そういう事を未来に期待している。
それぐらい時代は劇的に変わる。今までの時代がウソのようである。
それぐらいバカと秀才は終わった。これからは普通の人の時代である。それが私は自然派だと思う。
それでも大事なことは楽しく生きるである。それを忘れて生きる事はない。
なにもみんなつまらなく生きるのがバカと秀才の習性なのである。そんなのナンセンスである。
もっと笑ってたらみんな明るく生きられる。それが普通の人の発想である。本当につまらないのは勝手にしやがれである。
それはそれでそれもデフレの神様が笑っている原因かもしれない。
そんなんよりも人間がもっと笑えば経済は解決すると思う。全ては経済次第である。つまらない経済にオサラバすべきである。
それぐらい楽しく前向きに生きるのは大事である。
来週の仕事に備えてゆっくり休んでボチボチやりたい。
<<追記20220212end
<<追伸20220212の小言
何となくパソコンで出来る事は可能性を秘めている気はする。道具としては時代物のように思う。
本当はサーバーも使いたいのであるが私の場合はホームページサーバーのみである。
だけどそれでもやれることはあるように思う。何か学習方法としてパソコンを活用するぐらい。道具として優れている気はする。
時代には時代に合った道具がパソコンのように思う。それぐらい活用方法としては多岐にわたる気がする。
なので困ったらパソコンのように思う。それぐらいパソコンは未開発のように思う。
パソコンは入力と出力がある。それが会話のようである。何か入力したら出力される。パソコンに愛着がわくのもわかる気がする。
そんな得体の知れぬものがパソコンのように思う。
ともかく土日はゆっくりして来週の仕事にのぞみたい。よろしく。
<<追伸20220212の小言end
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