2018年10月8日月曜日

御殿場駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181008
今日はスタートとゴールが御殿場駅だった。
御殿場駅のお祭りで鮎の塩焼きが目標だったが目標を果たした。
徳川家康の御殿跡でみたらし団子も一つ買って食べた。
沼津の静鉄ストアで夕食と昼食の買い物して帰った。

昨日と今日で掲示板の書き込みを読んでいた。
それで平和に向けて神と自由と愛を誓えるか微妙だなあと思った。
自分が信じる線と言えば自分が出来る事をするぐらいである。
それとみんな同じがどうやったらかみあうのか私には理解出来ない。
多分勉強している大半はそんな事思って勉強していない。
でもみんな同じではないから問題が起こっているようにも思う。
大概人間なのだから基本は同じってだけなのに
みんな同じでない事が問題になっている。
それが私になんの関係があるのかわからない。
それで平和になるのかそれで神はいるのかそれで自由なのかそれで愛なのか
なんかあんまり私も自信が無くなっていく。
大半はみんな同じで私だけが別物なのかそれもなんか神がいる気がしない。
自分の事だけは特別という発想はありがちだけど
私にはそんな事を信じる気になれない。
なんか俗世としては良くあるパターンのように思うが
それで学歴や職歴は何のためにあるのかチンプンカンプンである。
結局あんまり他人もそこまで真剣に考えていないだけかもしれない。
そういう風に私の人生は進んでいる。
大体本当に賢いって何なのかそれさえも難儀な話である。
私にはテストで判断出来るように思えない。
だっておおむね今の状況でさえ考えが足らないからである。
みんな同じというよりみんなこんな生活をしたらこうなりますぐらいが
関の山のように思う。
こんな生活が出来るのか出来ないのかが分岐点である。
それが平和のわかれ目神のわかれ目自由のわかれ目愛のわかれ目のように思う。
こんな生活が穏やかな原因のように思う。
それがわかってもらえないから誰が賢いのかわかってもらえない。
それが無責任をくり返す原因になっている。
あまりにも特別意識が強すぎる。それが失敗の原因だと思う。
みんな同じにもならないし特別にもならない。
ただあるのはこんな生活ぐらいしか私には共通点がない。
そんなこんなで今日も長い旅路の末の結論のように思う。
色々話し相手になってくれる人がいて助かったかもしれない。
また明日から仕事である。
今日も夢のような日だった気がする。ボチボチやりたい。
<<追記20181008end





2018年10月7日日曜日

富士駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181007
今日はスタートとゴールが富士駅だった。
お祭りもやってたけど
歩くのが主眼だったように思う。
富士山も見えた。
昼食は沼津でした。
帰り際イトーヨカドー三島店に寄った。

金曜日ぐらいから今までの掲示板を去年の12月付近から今年の2月ぐらいまで
進んでいる。
おおむね繰り返しだけど申し分ない気はしている。
それで解決しないのが私のチンプンカンプンである。
これ以上私にどうせいというのかわからない。
十分過ぎるぐらい繰り返している。
それでも私なりに興味のある事もあって
それはそれで楽しみである。
もっと面白い話が出来なくて何が学歴や職歴なのか私にはわからない。
この間の掲示板の書き込みも私としては二年分の気持ちでいた。
総じて一年の感覚が二年になっている。なんとなく生き急いでいる気はする。
私のホームページでは短歌と俳句は十年目ぐらいになっているけど
俳句を初めたのは私のホームページの時からであるが
短歌は三重の津にいた時から初めている。
2002年ぐらいには初めている。一応メモ帳に残してある。
なので短歌は十六年ぐらいやっている。
俳句は仕事先で言われてそれじゃあやってみるかと思ったのがキッカケである。
なんか短い文章なら出来るかなというのがキッカケである。
そんな私が毎日何かを書いている展開になるとは思わなかった。
今はもうこの辺でいいだろと思っている。
気高い精神を極めてエネルギッシュな憲法前文草案作れないかと
私なりの興味である。
ここまでやれば平和になるだろうみたいなエネルギーある文章を作りたい。
全神経がこの高みを乗り越えたい気持ちになれば書けるだろうなあと思っている。
だけど今はそんな高いポテンシャルは持ち合わせていない。
それぐらい材料が整えて初めて乗り越えれる気がする。
なんかそれが私の最近の夢である。
そんなふつふつとした気持ちになれるかが最近の興味である。
あんまりそんな事しなくてもいいとは思っている。
だけど目標としては面白い目標ではある。そんな私に何の問題があるのかわからない。
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。
それでなんでみんな同じになるのかわからない。
皆金や経済みても自分勝手に生きているだけである。私には全く関係がない。
私も私で生きるだけである。なんでそれが許せないのかわからない。
私は私でやる事やっているだけである。
なので他人も他人でやる事やるだけである。
それが不可能なら不可能ってだけである。
何でそんな一般庶民にそんな問題が残るのかわからない。
ほとんど他人が問題だけである。私には一切無関係である。
大体こんなに専門家がいっぱいいるのにみんな同じなんて無理である。
それがわからない人が問題を起こしているだけである。
小学生レベルである。中学生レベルでもないし高校レベルでもない。
ましてや大学レベルでもないし大学院レベルでもない。
とどのつまり子供レベルである。そんな専門もわからなくて学歴も職歴もない。
それが学歴と職歴の無意味とつながっている。
今の世界を知らないし今の世界を理解出来ていない。
それで私に何の関係があるのかわからない。
それでも私なりに高みを目指している。
どうなるかわからないけれどそんな気持ちでいる。
もしかしたらあきらめるかもしれない。それはそれで人生である。
<<追記20181007end





2018年10月5日金曜日

雑記20181005

<<追記20181005
掲示板の書き込みしばらく休業しようかと計画している。
毎日時間がかかるのを他に当てたい気もしている。
十分過ぎるぐらい書いたと思う。
また色々考えると思うけどそれはまた次の機会にしようと思っている。

当分は短歌と俳句とさわやかウォーキングぐらいにしようと思っている。
BloggerとFacebookと三島SNSと掲示板でさわやかウォーキング使って
短歌と俳句に掲示板を使う予定である。
あんまり使ってないと使えなくなる可能性もあるので
その予定でいる。

やがて終わりは来る。
それが私の実感である。どんどん次の展開を目指すしかない。
とりあえず私とは何かについては役目を終えた。
次はもっと冷静に判断した方が良い気がする。
時間があれば自分の書いたものを読んでみたい。
分析することで少し整理される気はする。
自分が書いてる時は主観が入っている気はする。もっと客観的に考える必要を感じる。
それでも私がここまで書くとは思っていなかった。
あんまり自分が見えていない気もする。
そんなこんなで冷静に考える時が来ているような気もする。
なんとなくカエルに始まりカエルに終わっている気もする。
あんまりカエルの鳴き声は聞かない。
子供の頃がなつかしい。幼稚園の先生に教えてもらったカエルから始まり
俳句でカエルで終わっている。なんかカエルにご縁がありそうな気もする。

そんなこんなでそんな予定でいる。
また何か思いついたら文章を始めようと思っている。
それがいつになったらウズウズするのか私にもわからないけど
過去もそうだったからこれからもそうかもしれない。
なんかここまでご苦労さんでしたと言った気分である。
やり過ぎだからここらへんが丁度いいだろうと思っている。
何事もボチボチやりたい。
<<追記20181005end

2018年10月4日木曜日

雑記20181004

<<追記20181004
今日も仕事した。
色々疲れた。とりあえずあと一日である。
あんまりやりたい事もない。
昨日iMacで電子書籍読まなかったぐらいである。今日それを取り返そうと思っている。

仕事のせいで指関節が疲れる。
四人で一日2000が目標で結構続けるのが大変である。
慣れもあって慣れない人が加わるとペースが落ちる。
手が疲れる。来年2月までととりあえず聞いている。
私としてはやるだけやるしかない。

なんか政治にふられているのか科学にふられているのか
それさえはっきりしない。
私としてはただ努力あるのみかなあと思う。
それはそれで無責任である。
それでもそうしなああかんのは学歴と職歴の崩壊である。
どこにも正義が存在しない。
そんな社会である認識が欠ける。
それでも生きていかなければいけない社会ってだけである。
そうやって正義が成立しないのを喜んでも不幸なだけである。
それでも他人の幸せが私を不幸にしている。それが私の現実なんだと思う。
それだけに私は私で幸せにする必要にせまられている。
なんかこれだけでも他人なんてどうでもいいよなと思う。
ただ単に他人がストレスである。
もっと他人が楽園だったらいいのだけどそうじゃあない。
一人で楽しんでいる方がマシである。
つまらない他人ばかりクローズアップして何になるのかわからない。
もっと楽しんで生きれないものかと文句たらたらである。
私としては失敗しながら未来に備えたつもりである。
未来の若者に期待したい。なるようになるだろうと思う。
あるのは勇気あるのみである。決して成功ばかりしていない。
それが学歴にも職歴にもあらわれている。
それなのに未だにそんな問題をかかげるのは私としては無知の無知である。
私にはそんな問題は存在しない。
なのでそんな会話も通じない。それが全然わかってもらえない。
それでズルズル今まで来ている。もうここまでくれば犯罪である。
税金泥棒と無知の無知しか残っていない。
どちらも救えない。私には無関係である。
ただあるのは責任を果たすことだけである。無責任だらけである。
それが犯罪たるゆえんである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181004end

2018年10月3日水曜日

雑記20181003

<<追記20181003
今日も仕事した。
帰宅中に特定健診の結果を知りに行った。
とにかく体重を落とすことを言われた。
それ以外はクリアと言われた。
一年重くのしかかる事業である。

今日は毎週のやることを書こうと思っている。
週3日平日にiMacで書籍を読んで
週2日平日に録画を消化している。
それを少し変化をつけて本で物理と外国語とUMLを取り入れようと思っている。
夕食後にも週3日平日にスマホで書籍を読んでいる。
週2日平日は少し短歌と俳句関連の雑務はあるが少しゆとりがある。
土日はまたiMacで外国語と物理と数学を読んでいる。
一応一週間で一通りを目指している。
段々やることも少なくなりつつある気もする。
目標をどこかに設定する必要があるように思う。
英語にしてもJavaにしても資格をとってもいいんじゃあないかと思う。
ドイツ語とフランス語はまだまだのように思う。
どこかで踏ん切りつけて新たな展開を目指す必要があるように思う。
ここ四年間良くやったと思う。
この四年はかえがたい時間だった。
出来るだけ形を残すのが資格かなあと思う。
出来るだけ面白いようにやりたい。去年は資格元年だった。
この一年良く頑張った気はする。
それにしても体重は減らせるのかあんまり自信はない。
それも一歩一歩かなあと思う。
あんまりにも情報が多すぎて情報を処理するのが難儀な時代だと思う。
滝ように情報が流れる。ついていくのがやっとである。
それが人間に求められていると思う。
結局そこから得るものは格闘しかない。言葉の洪水から格闘することである。
色々混ぜ合わせる格闘ができることである。
そこからひょんなものが出てくる。それが哲学だと思う。
私の無意識が底にあらわれる。そこまで格闘することである。
そのために毎日日課をこなしている。そうなるように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181003end

2018年10月2日火曜日

雑記20181002

<<追記20181002
今日も仕事した。
疲れたには疲れた。
昨晩は読書した。
今夜もする予定である。
昨日は日本人がノーベル賞だったようで私には異次元の世界の人のように思った。
まあ何事も人それぞれだなあと思った。
あんまり医者にはいい印象はない。それが私の気持ちだからだろうと思う。
なんかコワイ。影で何やっているのかわからない。
警察もコワイ。なんか医者も警察も同類である。

最近の楽しみは新しいことを知ることである。
知らない事がたくさんある。
それが私のエンジンになっている。
色んな所に私の本音がある。
それが世界を知ると発露する。
なんか知識を食べている気はする。
なんか元気になる気はする。
日増しにエスカレートしている気はする。
それぐらい無意識は奥が深い。
そこに何かしらのヒントがある気はする。
そのために自由がある気はする。
楽しいのもある意味楽しんでいるから楽しいんだと思う。
それだけに楽しいものにひかれる気はする。
それで色々気づく事もある気はする。
なんとなく楽しいから気づくように思う。
法律も滅茶苦茶で警察も滅茶苦茶で医者も滅茶苦茶なので
一般庶民としては異次元空間である。
それでも出来る事とはなんなのか考えさせられる。
あんまり私にはいつまでも蚊帳の外のように思う。
社会にとり残されている。全然社会の一員じゃあない。
どうぞお勝手にコースである。それでも出来る事を探すしかない。
社会に認められていない事をひしひしと感じる。
私にはそれでも生きるという命題だけが残っている。
普通のエリートだったら自殺していると思う。
それでもここまで来たのは奇跡だろうと思う。
あんまり気力体力はない。
あんまり乗りこえる力もない。それでも私に何が出来るだろう。
それだけでここまで来たのが私の現状である。
何にも偉くないと思う。それが私の滅茶苦茶に対する思いである。
なんか清算するものが滅茶苦茶が先のように思う。
それが昨日の医学の話に対する嫌悪感である。
そんなんで話はまとまらない以上まだ当分時間がかかりそうである。
幻聴もそうだし滅茶苦茶もそうだし社会もそうである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181002end

2018年10月1日月曜日

雑記20181001

<<追記20181001
今年の夏は
台風は来るは暑いは大変だった。
ある台風は東から西へ横切った。
なんか最近は変な天気が多過ぎる。
地震もあるし何か神様からのメッセージのような気がしたり
なんか色々対応に困るご時世だなあと思う。
そういう意味では試練でもありそれでも生きなああかんというのもある。
温暖化も人口減少もなんかもっと良い策考えた方が良い気はする。
どうやったら仕事出来るのか真剣に考えないと解決しない。
それなのに自分ばかり良くなろうとし過ぎである。
それが競争のたたりである。
もうちょっと日本全体を考える人が必要である。
それなのに個人プレーばっかりである。
どうしたら仕事が出来るか仕事の環境を良くする事考えた方がいい。
それも勉強も同じである。
どうして自分だけ良くなろうとすんのか私には理解不能である。
それがなんか神様のたたりのような気もしたりしてあんまりいい気分じゃあない。
もっと自分の環境を良くする事を考えた方がいいと思う。
その次に利益だと思う。どうしたらこの世界に利益が出るのか考えた方がいい。
私には仕事の中身だと思う。その仕事が次の何かに役に立てば次につながる。
そうやってポテンシャルを上げていかなければ仕事は増えない。
それが個人プレーのせいで全然ポテンシャルが上がらない。
そんな仕事を排除しないと仕事は増えない。
その人だけの仕事で終わる。
もっとあんな人もこんな人も仕事できますみたいにしないと仕事は増えない。
そういう閉鎖的な社会にしか見えない。
それがなんか神様怒っている気がしてならない。
私にはなんかそんなメッセージを感じる。私にはわからないことだらけである。
それでもいろんな自然を感じて生きている。
当たっててもはずれてても万事結果オーライである。
それが人間の生き様のように思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181001end