2022年10月22日土曜日

雑記

<<追記20221022

今日は伊豆長岡駅でさわやかウォーキングだった。函南で唐揚げ弁当買って帰った。

久しぶりに良く歩いたと思う。それプラス大場駅から家まで往復歩いた。結構体力があって安心した。

最近は情報処理が主に読書している。たまに五輪書と民主主義全史とかたまに哲学系である。

小説も二本なかなか終わらない。継続中である。学歴も大学入試が全てじゃあないのにそれで幸せな気はしない。

もっと結果を重視しないと日本は没落していく気はする。それぐらい大事なことが人によって違う。

それが人間の価値観の多様性なのだと思う。なのでなかなか何が正解か難しい。

そんなに簡単に正解が見つかれば結果は見えているはずである。それが結果に結びついていない。

賢い人でさえ結果が見えない。なので比較的私の方が結果が見えているのかもしれない。

それはなぜなのか私にもわからない。小学校の塾で国語のテストをするたびに頭が痛くなった。

それで私は読書をするようになったみたいな話をした。何かその国語のテストが私の頭の闘争につながっている気がした。

それが母親に話として迷惑を与える結果になったような気もする。それぐらい頭が闘争だったような気がする。

そんなことで読書に闘争を求めて作文もそれなりしたのが私の国語術だった気はする。

作文は私の心の投影だった。理想と現実に悩んだ。両立しないと迷惑なのはハッキリしていた。

それぐらい何をやるにも理想と現実はついてまわる。そこに整合性が無いと敗北である。

時間の計算がデキナイ同級生も敗北している。それが今でも私に迷惑を与えるのは予想外だった。

それぐらい理想が他人に迷惑を与えるのが自覚できていない。現実はもっと他の所にある。

なので基本的に相手にしたくないのである。付き合いきれない。それが私の本音である。

それもエラそうでコワい何様なのか悪魔である。平和になれない。もうここまでくると厄介なだけである。

そんなのと関係無く生活や仕事をしたい。それぐらいもっと環境にやさしい人がエラクなってリーダーになって欲しい。

いつまでこんなありえない文句を受け付ける必要があるのか理解不能である。

向こうは私がどうのこうのよりは向こうがバランスが取れないだけである。向こうの問題であって私の問題ではない。

いつまでこんなバランス関係で私に文句が言えるのか理解不能である。何様のつもりなのかありえないのである。

つまり極悪非道である。


でも何を目指そうとするかは大事な視点ではある。ただ漠然としても結果はついてこないかもしれない。

何かを目指そうとするから許せる部分と許せない部分はあると思う。それを判断して目指さなければいけない。

そうやってコツコツと具体化すると結果が見えてくるかもしれない。

それが私の環境にやさしいエラクてリーダー像である。そういう部分が無いと周りは認めてくれないかもしれない。

それぐらい方向性が定まってないと自分としても他人としても結果が見えてこないような気もする。

それを提示するのがリーダーのように思う。


まあこれでも大学は国立なので理系でもセンター試験で国語は受けた。

中学でも国文があった。なので国語の知識が無いわけではない。しかし幻聴が無ければもっと大学入試はやれたと思う。

それぐらい幻聴で自分がオロオロしてしまった。それぐらいパニックだった。

とても勉強する状態ではなかった。なので退却兵のしんがりのような大学入試だった。

記憶量も高校入試を下回った。理数系で助かったのである。文系なら大学にも行けなかった気はする。

なので人生は冒険も大事である。


来週もボチボチやりたい。

<<追記20221022end


<<追伸20221022の小言

土日は短歌と俳句、土日の日課、洗濯、炊飯、メールチェック、月曜の弁当、録画の消化、ぐらいはしたい。

国語の闘争が私の戦略になっている気はする。それが私の頭痛が原因のように思う。

私なりに何とかしたいというところで今の状態である。なのに他人は私がウソをついているというのは私には理解不能である。

その基準が私には理解不能である。そんなこと言うと誰でもウソつきになってしまう。

それで他人は私に犯罪をして当然なのだから恐ろしい。なぜなら私が犯罪者だからである。

まったく私にはそんな他人が無関係でしかない。関わりたくない。本当に真っ黒である。


来週もよろしく。

<<追伸20221022の小言end







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