<<追記20220109
冬休みは読書タイムだった。プログラムの方はHaskellとAWSとRuby on railを進めUnityの方は読まなかった。
どうも冬休みに終わらないのが判明してしまって全体的に計画倒れだった。
あとはまんべんなく本を読んでた。新年早々アリストテレスの本を買ってしまった。
他には漢詩の本も買った。どう考えても漢詩は作れなくても短歌と俳句の発想になったら良いなあと思っている。
Haskellの方が冬休みには主眼だった。JavaとかJavascriptに出てくるモナドが気になるためである。
今まで関数型言語の勉強を積み重ねてきたせいかHaskellで総決算になっている気はする。
途中でOCamlの本もナナメ読みしつつ今まで何とか続けてきた気はする。
だけどここからが本番のような気がする。なので楽しみはここからのように思う。
関数型言語の良いところはテストがしやすい。モナドなんかはエラーの検出が表面化しやすい。
というのが私の考える関数型言語のイメージである。それがどう変わるのか私にもわかっていない。
また読み終えて感想が書けると良いなあと思っている。
気になるのはゲームである。あんまりゲームをやっていない。たまに麻雀をやるぐらいである。
そう言って少し囲碁ゲームをやった。
今日は色々やる事がある。土曜が出勤日だったためと月曜の祝日が出勤日である。
これも給料のためである。正直に言うとゆっくり過ごしたいのであるがしばらく我慢である。
それでも家にいるので少しほっとする。これでも計画が必要でどうしたものか色々考える事がある。
そんなこんなで日曜が終わりそうである。あと気になるのはTV録画とDVDである。
冬休みに少し消化したけどまだ残っている。
しかし何でバカが何でも出来るようになるのかが理解不能である。そう期待するのが他人の欲求なのである。
バカが出来るのだから他人も出来るだろうという判断である。結構本末転倒である。
それでバカが出来無かったらどうなるのかが私には理解不能である。全て物事が成立しないらしい。
私にはそんな世界観が信じられない。バカに出来るようになってもらうより自分が出来るかの方が大事である。
本当に他力本願というよりバカ本願である。そんなので世界は成立しない。
自分の気になる事を極めるしかない。それが大人のやる事である。なのにバカに期待するのだから他人が悪すぎる。
バカに出来るようになってもらうなんて発想が軟弱である。残るのは自分が何とかするぐらいの気持ちが大事である。
要するにアマノジャクなバカにいつになったら出来るようになるのかが信じられない。
そこら辺が大阪の他人の欲求が渦巻く極悪非道である。
それで仕事が成立し読書が成立したら生活が成立するように思う。ただそれだけのために私はストレスを受けている。
もうひたすらに私は自由になりたい。何かそれだけのために生きている気がする。
まさに人災である。私は気楽に生きたい。
段々生活には慣れてきているけど結構体力を消耗する。それが私の悩みである。
来週も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追記20220109end
<<追伸20220109の小言
私は何となく言葉は財産だと思う。なので言葉で格闘すればするほど言葉が出てくる。
なので言葉が格闘の意味であってあんまり読者を想定していない。それぐらい現状と考えを書くというのは大事だと思っている。
それぐらい書く事で自分の変革を経ている。読み書きソロバンは言い得て妙である。私に足らなかったのは書く事だった。
それがここ数年で書く事の限界を超えた気はする。それが妙に理系らしいなあと思う。
それぐらい理系でここまで書いた人は珍しい気がする。それぐらいやる事が多岐にわたるからである。
あとは私はアリストテレスに興味が移った。そんなこんなでまだまだ読みたい本がある。
来週もよろしく。
<<追伸20220109の小言end
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