2019年5月6日月曜日

焼津駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20190506
今日はスタートとゴールが焼津駅だった。
どこ行っても長蛇の列で買物するのも至難の技だった。
はんぺんフライ四枚と崎陽軒のシュウマイとうす茶あられを焼津と静岡で買った。
静岡駅構内のラーメンを昼食にした。
三島のイトーヨーカドーで下着のシャツを四枚買った。
去年の夏用のパンツと靴下があるので今年の夏はこれで乗り切ろうと思う。
ゴールデンウィークはやる事やれた。あんまり思い残す事ないようにしたい。
これからあとはメールのチェックぐらいである。
比較的ゆっくりして明日の気合を込めたい。
前向きに生きる。それがゴールデンウィーク後の目標である。
それでも日課をやるぐらいしか方法は無い。
それが私なりの前向きである。
仕事は生活費を稼ぐには仕方無い状況である。気分は消化試合だけど
まあそれなりに成果を上げるつもりでやる。
そのため気合あるのみかもしれない。昼食の一息ぐらいが天国である。

日本も韓国も大統領も首相も体制化の人である。
ましてや物理の立場の偉い人もそうである。
自分の言っている事が正しいと思っている。そうならなあ支持されない。
私のような弱い立場だとより一層正しい事を言わなければ
より一層弱い立場に置かれる。
それなりに正しさを求めない限り民主主義にならない。
間違ってても自分さえ良ければ良いなんて民主主義にならない。
それが大統領にも首相にも物理の立場の偉い人にも求められるはずである。
なのに何か昨今は右も左も滅茶苦茶である。
それで信頼されるはず無いのにそれが平気である。
それはそれで国民が賢いからなのか馬鹿なのか私には判断出来ない。
もっと時間をかけてから判断出来るようになる気はする。
歴史が明らかにする気がする。
もっとスピードのある政治が必要なのかゆっくりでも良い政治なのか
私には少し判断に迷うというのが本音である。
それでもやる事やっている政治なのか教育も含めてたくさん議論する必要を感じる。
エリートはおいしいところだけ勉強している。
庶民はもっとたくさんの勉強をしている。
そういった事を含めてトータルで考えないと判断が難しいというのが私の本音である。
本当に今のままで良いのだろうか私には判断が難しい。
色んな議論をしないと結論が見えない気がする。
それだけにもっと討論する必要を感じる。
何か自分の事だけというのが殺伐とした気分である。
どんな人間がベストなのかそういったところから議論する必要を感じる。
それなのに他人はおいしいところだけ持っていこうとする。
それで本当に民主主義何だろうかと思う。
他人に良い方法を示せないで民主主義は成立しない。
もっと明るい未来が描ければ日本国民は努力すると思う。
それが今の政治に出来ているのか私には判断が難しいというのが実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190506end





2019年5月5日日曜日

富士宮駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20190505
今日は富士宮駅だった。白尾山公園までのぼってくだった。
川沿いを進み西富士宮駅を通り過ぎ浅間大社前に到着した。
富士宮焼きそば食べて富士山遺産センターでビデオを一本見て
特設企画展を見てイオンモールに直行しおにぎりと豆乳を買った。
そしてゴールである。良い天気で気持ちは清々とした。ウグイスも鳴いていた。
連休も明日で終わりである。あんまり旅ばっかり出来ない気はする。
日常の生活の方が本望のように思う。

昨日のツイッターには女の都合なんて私は聞いていない。
私は私で楽しくやるだけであって女は女の工夫次第である。
そんな事も出来なくて女の幸せになんかならない。
それなのに結婚でどうにかなろうとするのは大間違いである。
もうすでに不幸はどうしようもない。それが私の本音である。
つまんないのはつまんないだけである。
そんなの私にはどうしようもない。私は私でひたすら楽しくやるだけである。

昨日は何とか一回土日の日課を消化した。
短歌と俳句をアップしていないのを夜に思い出して日課が危ぶまれた。
ギリギリ寝る頃に間に合った。今日は二回目の土日の日課である。
昨日みたいな事無くゆとりをもってやれそうである。

何でもやっている気はする。それはそれで世の中は色々やらせているからだと思う。
得意な事だけやらすなんてまず無い。手と足と頭を動かさないとありえない。
それなのに何で他人と比較せなああかんのか私にはチンプンカンプンである。
もっと自分が哲学し工夫し生活せなああかんのに何でそこに他人が入るのかわからない。
選ばれるだけで色々やるようになる気がしない。
物事は考え方次第である。それを考えるのが哲学である。
それも無く他人と比較して考えようとするのは人間が甘すぎる。
大事なのは毎日生活する哲学である。
それなのに他人を見て話を聞いて女は判断しているだけである。
何にも哲学する要素が無い。大事なのは毎日がなんとかなる哲学である。
結局男も女も自分の都合の良いように考えているだけである。
もっと中身のある話が出来無い。それが私が私で楽しくやる理由である。
そんな事も出来無くて世の中何とかならない。
どこまでもどうしようもないだけというのが小中学校の再現である。
それで何で女の都合で動かなああかんのか私にはチンプンカンプンである。
人間として最低である。もっと人間の一個人として立派に生きるべきである。
それが無く中身が無い。だから女の都合なんて人間ひどすぎる。
私はひたすらインターネットで書き込んで中身を与えてきた。
女もどういう形であれ
ひたすら女の中身を与えるべきである。それでようやく男と女のバランスがとれる。
なんでそんな女の困った都合なんて出てくる要素が私には存在しない。
それがあるとしたら一個人として人間として最低である。
私としては救いようがない。一個人として立派に生きるべきである。
それが昨日のツイッターの発言になった。
あんまり長く書ける自信が無かったのでツイッターにしてみた。
今日は案外意外な気持ちで書いた。
明日も連休最終日ボチボチやりたい。
<<追記20190505end





2019年5月4日土曜日

川奈駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20190504
今日は電車で川奈駅まで行って帰ってきた。
熱海駅でイチゴ串買って食べた。昼食は三島駅でざる蕎麦食べた。
三島駅のパン屋で明日の朝食買った。
大場駅のコンビニでお茶とミンチカツバーガー買った。
大場駅とバスの中で短歌と俳句を済ませた。

あんまり賢いとは何かわかっていないのに
そんな議論は成立しない。結局自分がどうにかなりたいだけである。
それだけのために私は譲歩を求められている。
それでも私に起こっている事実は否定出来ない。
それが私の直面している事実である。
そんな事は無いのにそんな事あるから他人を認めろと言っているのに等しい。
何でそんな他人のために事実をねじ曲げて私が譲歩する必要があるのか
チンプンカンプンである。
事実は事実でしかない。論理をねじ曲げても事実は動かない。
それなのに賢いというのは何なのかわからないとしか思えない。
それはほとんど馬鹿である。
それをどうやってわからすのか私にはチンプンカンプンである。
結局他人のどうにかなりたい論は私には手に負えない。
私は私の事実の方がまさに現実的である。事実をねじ曲げたらあとは何にも残らない。
人間何のために生きるのか私の場合健康のためである。
他にも色々価値観があると思う。
それを知らずして何で他人のために譲歩する必要があるのかわからない。
色んな価値観があるんだから譲歩というより共存である。
何で他人の迷惑なんて受ける必要があるのか理解出来ない。
それも他人のために他人の迷惑を受けて当たり前なんてありえない。
ただあるのは共存ぐらいしかない。
それも出来なくて馬鹿じゃあ無くてなんなのかわからない。
もっと自分の生きる価値を見出さなくて共存なんてありえない。
それが出来ないから迷惑は当たり前だなんて馬鹿丸出しである。
結局賢いとは迷惑を与えないというのがわからないに等しい。
たくさんの人が工夫して努力して共存する。
そこに何で迷惑が入るのか私にはありえない。
もっと数学的にも論理的にもうまいやり方を探して生きている世の中で
他人のために迷惑を受けるのはやり方を間違えている不正解であって正解では無い。
それがわからないのは馬鹿しかいない。
賢いとは何か知らない人が問題を起こしているだけである。
そんなのは社会の共存になっていない。ただの迷惑である。犯罪である。
なんでそんなために時間を使う必要があるのかそれ自体犯罪である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190504end





2019年5月3日金曜日

雑記

<<追記20190503
今日は五味八珍で五目ソバ食べてその後散髪して夕食の買物して帰った。
帰宅して午後二時十五分前頃である。
あんまりやる事ない。あるのは日課ぐらいである。
来週は市役所に行きたい。多分連休中は市役所は閉まっていると思う。
平日の仕事帰りに寄ってけそうである。

なんだかあんまりゴールデンウィークという気分でも無かったけど
あっという間に金曜日というような気分である。
色々やってみて考えさせられた。人間そんなものかなと思う。
そうやって問題を克服するしか人間立ち上がれないだろうと思う。
そう言う意味で色んな所で難問が待っているように思う。
それでどうしようとするのかが問題である。
それが人間に問われる気がする。それなのに他人の真似でどうにかなるように思えない。
要するに軟弱過ぎるのである。
もっと体当たりするぐらいの勇気が無くて問題は克服出来ない。
それが子供心にあらわれている気がした。
もっと大事な心とは何なのか努力を含めて軟弱過ぎる。
女も男もそれがわかっていない。それが私の幻聴にあらわれている。
明るい気持ちで挑戦しなければうまく難問を解決しない。
暗い気持ちで何か挑戦出来ない。
それが選ばれるから明るいのと違う。愛があるから明るいのである。
全然見当違いである。高い障壁を乗り越えるには高いポテンシャルが必要である。
だからこそ明るくつとめるのであって選ばれているから明るいのと違う。
愛が無ければ明るくなんかならない。
向こう側に何か未来を見るからこそ愛が生まれて明るくなるのである。
そこまでの努力とは何なのか全然理解していない。
色んな事をやらないとそこまでの努力に導かれない。
単に選ばれたぐらいで努力なんてしない。
そんなポテンシャルとは何なのか私はそう言う可能性を感じて女性の魅力を見てしまう。
愛らしく明るく子供を導ける人が私の女性の魅力である。
色んな関心が色々向いていないとありえない。
それが幻聴で女も男も最悪である。
会話が成立しない以上ありえない人が叫んで問題を起こしているだけである。
もっと努力とはとか明るいとはとか勇気とはとか考えるのに乏しい世界にしか思えない。
そんな道にそれた人が問題を起こしているだけである。
もっと大事なものを大切にせなあありえない。
それが愛というものである。
愛が無い以上他人の真似なんて論外である。
それが理解出来ない以上何やっても同じである。
私にどうしろと言うのか全然理解出来ない。
その愛をどうやって努力に結びつけるのかが大事であって
他人の愛なんてどうでもいいのである。それが全然理解出来ていない。
無茶苦茶に人生生きて私にどうしろというのかわからない。
それじゃあ子供や本人は暗くなるだろうなあぐらいしかない。
それを私にはどうする事も出来ない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190503end

北斗七星

昨晩なんとか北斗七星を撮った。
朝二時半に起きて夜空眺めたけど天の川は確認出来なかった。
カシオペア座やオリオン座を確認出来なかった。それを目印にしようと思ったが
また七夕の時期かなあと思ったりする。


2019年5月2日木曜日

雑記

<<追記20190502
今日は昼間沼津にいた。イトーヨーカドー沼津店とフォーエルに行って来た。
昼食は千楽の角の福岡ラーメンで豚骨ラーメン食べた。
餃子とラーメンと替え玉注文した。
イトーヨーカドーでジーンズ一枚とシャツを二枚を買った。
フォーエルは行ったけど買わなかった。
大場駅から家まで歩いて帰った。それはそれで汗をかいた。
今考えるとバスを待っているのとどっちが良かったか複雑だった。

あと気になるのは散髪と雑草である。
日課も何とか帰宅後にいくつか済ませて今晩スマホであと少しである。
そんなこんなで何とか日課も一日一日で何とかなりそうである。
私としてはいつものペースに持ち込みたい。
それが私の毎日の仕事である。今日は本を読んでたら
全てが商品価値で出来ていないという事だった。
献血のようにお金にならない事で多数の献血を実施出来る現実もあるそうで
まだ話の途中だけど全てが経済で成立していないらしい。
それが私の現状にも思える。
私は経済だけで成立していない。それが私の今の認識である。
そんな手前毎日のペースが私の生命線のように思う。
いつものペースに持ち込みたい。それがひそかな精神障害者の戦略である。

今週もやる事やってスッキリしたい。
何事も一歩一歩である。全力には弱くても前進は出来る。
あんまり他人は努力しないものらしい。それだからなおさら一歩一歩である。
明るい未来が私の希望である。そのために努力したい。
仕事しても仕事にならない他人を見ていると努力あるのみである。
そんな努力を実現するのが私の役目みたいである。
まだ私のやった事は経済になっていない。
それでも明るい未来が保証されているようである。
私にあるのはただ明るい未来を提示する事である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190502end

2019年5月1日水曜日

近況

<<追記20190501
今日から令和に改元した。令和元年と新聞にも書いてあった。
今日は午前中から日課を始めた。
そのため早めに日課が終わった。それでも平日と土日の日課を一回ずつである。
明日から平日だけにしようと考えている。
そのかわり買物しようと考えている。そしてついでに昼食して帰るつもりでいる。
昨日と今日は予報が雨だったので比較的家にいる事が多かった。
なのでここ二日変則的な日課になった。
今晩で録画は消化出来るだろうと計画している。

何かノートをとらない派とノートをとる派があるような事を本に書いてあった。
ノートをとる事で安心してしまって記憶がうすれるというのがとらない派らしい。
いくら何でも情報は多岐にわたる。ノートにとっても情報に埋もれるという。
世間の本の量から記憶に残すのは至難の業である。
ノートをとっても同じように情報を残すのは難しい。
今の時代写真もあるからノートとらない派が優勢かもしれない。
書くという事に価値がうすれている気はする。
何か情報量が多すぎて処理しきれない。
それでも何か立ち止まって書かないと発想は出てこないと思う。
私に落ち着きが出ているのは何となく学校を出たからのように思う。
情報量に押しつぶされていないそれが私の落ち着きにある気がする。
そんな手前私に出来る事があったのは幸いである。
あんまりどこにいても正解は無い気はする。
それで私のやる事があるのが私の判断材料である。
おかげで毎日やる事あるのが私の納得になっている。

そう言えば買物の他に庭の雑草が気になる。
そんなこんなで明日明後日のやる事も埋まってきた。
あんまりゴールデンウィークという雰囲気も無いのがちょっと残念である。
それなりに疲れているのかもしれない。
何やっても疲れるというのが私の気分なのかもしれない。
それはそれで何が楽しいのか難しい問題である。
結局何事もやる事をやるぐらいしかない。
そうやって色々やって気分転換してやってくしかない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190501end