2017年4月29日土曜日

近況20170429

<<追記20170429
私自身大学出て社会に放り投げだされて
何の助けもなく途方に暮れた時があった。
それ以外にもどんな時もなんのヒントもなくここまでこれた原因を
書きしるす必要があるような気がする。
そんな時人間は何が必要かと言えば
私自身何を悩んでいるのか考えるべきである。
以外に私も含めてわかっていない。
それが見えてくると図書館で本を借りたりもっと手段を見出せる可能性がある。
悩んでいない事が悩みな場合は
自分が現時点で何に興味があるのかが悩みである。
もっと自分がなにをしたいのか考えるべきである。
仕事して漠然と解決策が見つからない場合は
色んな事を試せるように環境に配慮して仕事する事である。
そういう仕事が出来ないならあきらめも大事である。
そういった事が自分で出来るとは
ある意味愛と勇気が無ければ一人で解決しない。
それともう一つ
自分がどれだけ勉強してきたかも影響する。
英語もしかり国語もしかりプログラムもしかり
勉強すればするほど自分は物事をヒントに考えるようになる。
それが自分の支柱になる。
なので若い時から勉強するのはそれなりに意味がある。
自分で考える癖がつく。
案外自分の気持ちにヒントがあるのは
それなりに経験しているというのもある。
それだけ数をこなして実行しているから経験になっているのだろうと思う。
いくらかやってたら色んなヒントに遭遇する。
それに気づいたらたくさんの経験になるはずである。

それを一人でやるにしても色んな状況があるわけで
それを乗り越えるのは総合力なんだろうと思う。
だからあんまり利益に走るよりハードルが高い気がする。
そんなに簡単じゃあないからである。
それが私のやる事をやらなければありえないという一言になる。

私自身、学歴も職歴も関係無くやってきた手前
世間とは、かけ離れた人間である。
それでもここまでやれたのは奇跡だろうと思う。
もうちょっと他人が頼りになればいいのだけど
そんな人がいない。
迷惑ばかりである。ちゃんとしている人を見た事がない。
それでも仕事しているというのがこの日本のシステムである。
社長は誰かがしっかりしている人がいるというが
私は近くにそんな人がいるように見えない。
法律とか法令とかなんかそういう決まり事ぐらいしか思いつかない。
もしかしたら品川とか東京近辺にいるのかもしれない。
それでも生活しているというのが私の実感である。
そういう私が私になりにやってきた一つのこたえである。
<<追記20170429end



1 件のコメント:

  1. そういう自己努力は
    他人がどうのこうのより
    自分なりにやってきた。
    オリジナルな事のオンパレードなのは
    あんまりそんな人いないから
    かもしれない。
    あえて自分の本音を言った。
    誰もあてにしていない事が
    いっぱいあるというのが
    現状なのがあって
    あきらめに近い。
    あるのは仕事だけかもしれない。
    仕事の話だけ通じる。
    それはなぜだろう。
    あんまりにも
    ヒドイ状況な気がする。
    それでも日は過ぎる。
    ボチボチやりたい。

    返信削除