<<追記20170417
今日は仕事して帰宅後
clispのファイル起動を試した。
なんか仕事になるように活動したい。
私が今までやってきた事が仕事になっている原因だと思う。
東芝テックの子会社で仕事をしてきたのは
そこにある資源で最大限の事をやった。
それなりの資源を見つける事が私にとって大事のように思う。
そういう魅力ある資源のある仕事がしたい。
そんなすりきれるような仕事はしたくない。
仕事一つやり方次第である。
みんな似たりよったりだからなおの事やり方次第である。
みんな同じ事を繰り返しているだけである。
もうちょっとプログラムとはなんぞやを語る必要がある。
人間ありきというよりプログラムありきである。
人間よりプログラムの方が正確である。
人間の間違いよりコーディングされればプログラムの間違いなんてほとんど無い。
きっちり計算される。計算間違いなんてコンピュータがするのかというほど正確である。
そういう意味で人間の間違いの方がたくさんあるのである。
入力と出力さえ間違わなければコンピュータは正確に計算する。
人間の間違えが明らかになるほどコンピュータの仕事は正確である。
だとしたら人間の間違えを出来るだけ減らせばいいだけである。
それはコンピュータが正しいというような論理構成でのぞむべきである。
まさに神は正しいというようなコンピュータである。
なのにへそを曲げてごまかしたってコンピュータはそれを許さない。
それぐらいコンピュータは正確である。
それが私の実感である。
だからコンピュータで困るのは人間が悪いぐらいしかない。
コンピュータはちゃんとこたえている。
それぐらい正確なものと仕事しているという事実しかない。
なのでほとんどコンピュータではほとんど人間次第なのである。
ごまかしがきかないほどコンピュータが正確というだけである。
<<追記20170417end