2020年5月2日土曜日

雑記_take2

<<追記20200502
折角のゴールデンウィークなのでいつもと違うように日を送りたいと思っている。
それでも外に出るのは買物ぐらいかなと思う。ツツジの写真を撮りたい気はする。
全体的に頭にあるのはゆっくり過ごしたい。
何となく私の心は短歌と俳句でもっている気がする。
何でかわからない。短い文であるのもあるし短い時間でも作れるからのようにも
そこに自分の心があらわれるようにも
そこにまだまだ新しい短歌と俳句が作れるようにも思える。

最近は頭の中で英語でbe動詞の過去形を作って文を作っている。
他には現在分詞と過去分詞を意識的に作って頭の中で文にしている。
それでもゴールデンウィーク期間中は外国語は保留しようと思っている。
何かやってしまうと普段と同じになってしまいそうだからである。
それでも慣れるというのは何事も大事のように思う。
それがつくづくプログラムや外国語や数学とか物理とかでも感じる。
それ以外にも生活や仕事でも感じる。
それなのに慣れていない状況でテストがおこなわれる気がする。
それが全ての問題の根幹のように思う。
学歴や職歴が危うい。それが賢いというのが共有されない原因である。
テストを通り過ぎても価値が無い。それが賢いという価値が無い原因である。
それぐらい慣れていない。それが私の大学にいた頃の状況だったと思う。
私が大学に出て出来る事は慣れるということのように思う。

それぐらい未消化のまま物事が進んでいる気がする。
時間の許すまで慣れることが大事のように思う。それが私の大学の問題のように思う。
慣れていると錯覚しているけど慣れていない。
それが私の現状である。他人は他人の問題だけどこころして考えて欲しい。
それが私の問題提言である。形ばっかりで実がともなっていない。
それが慣れという問題である。
振り返ってみて、それが私が大学を出た二番目の理由のように思う。
一番目は大学には私の問題のこたえが無いと判断したためである。
それでもなんか心でもっている。それが短歌と俳句である。
自分の体がそう言っている気がする。ボチボチやりたい。
<<追記20200502end

<<追伸20200502の小言
昨晩は少し読書が出来た。それでもほんの少しである。
権力とはみんなが権力闘争するものなのかと冷めた気持ちになった。
私としては知恵を共有したい。出来るだけそれが実現することを考えたい。
昨晩は多分ゴールデンウィークでは終わらない気もした。
しばらく長丁場である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200502の小言end

<<追伸20200502の小言take2
何となくコロナウイルス対策の空白観がしていてそういう時こそ歴史の分岐点のような
気がしている。こんな時に手段を打っていると歴史が変わる気がする。
東京や大阪の人口の多さを考えると
もっと未来予想図がないと元に戻らない気がする。
色々こんな時から対策を打っていると未来が違ってくる気がする。
このままで収束すれば問題が無いけど
やれることはやっておいた方が良さそうな気がする。
こんなに人口が多いと接触を八割減らすのは難しいのだろうか?
私には見えていないけどどんなケースを減らせば減るものなのか知りたい。
通勤時なのか?買物の時なのか?散歩の時なのか?電車の時なのか?バスの時なのか?
仕事の勤務の時なのか?その具体的割合が知りたい。
通勤の電車はかなり人が少なくなっている。
なので東京の場合と異なるのではないかと思っている。
私は東京の人の多さが駄目だとなるのが一番コワイ気がする。
それを回避するプランを考えないと元に戻らない気がする。
そうやって色々心配する事がこの空白時に今大事のように思う。
<<追伸20200502の小言take2end

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